中国ミステリ史 第六章 - 中国推理小説120年の歴史

2011年2月10日

 『中国ミステリ史 第六章』では、現在(2011年)の中国の探偵小説(偵探小説)/推理小説/ミステリ事情を紹介している。

目次

第六章 現代の中国ミステリ界

第一節 北京偵探推理文芸協会の活動

 先ほど、前述の中国のミステリ情報サイト「推理之門」を見ていたら、「今日は何の日?」コーナーで「船戸与一の67歳の誕生日」などといった情報とともに「韓国推理作家協会設立から28年」という情報が出ていて、そんな情報まで押さえているのかと驚いた(※ 2月8日)。日本の推理作家団体としては、1947年設立の日本推理作家協会と、2000年設立の本格ミステリ作家クラブがある。韓国には、1983年設立の韓国推理作家協会があり、中国語圏では、台湾に2001年設立の台湾推理作家協会がある。そして、中国でも21世紀になってからこの種の団体が設立されている。2004年設立の、北京偵探推理文芸協会である。(最初に「注」で書いたように、このページでは書籍・雑誌のタイトルや団体名に使われる「偵探」はそのまま「偵探」としている。日本語にあわせて「北京探偵推理文芸協会」と書くやり方ももちろんありうる)


 北京偵探推理文芸協会(北京侦探推理文艺协会、The Beijing Association of Detective and Deductive Literature)は2004年設立。行政(北京市)から正式な認可を受けて成立した中国で唯一の推理小説研究団体。前身は1992年に成立した中国通俗文芸研究会法制文芸委員会である。「法制文芸」は聞きなれない言葉だが、これは第三章で述べた「公安法制小説」と同じ意味である。中国では1949年以降、「推理小説」≒「警察官が、おおやけの安寧(=公安)のため、法と制度に基づいて犯罪を捜査する小説」だったため、日本でいう推理小説は「法制文芸」、「法制小説」などと呼ばれることも多かった。会長は作家の蘇叔陽(そ しゅくよう/スー シューヤン/苏叔阳)、常務副会長は推理小説研究者の于洪笙(う こうせい/ユー ホンション)、そのほかの副会長に三章で紹介した推理作家の藍瑪(らん ば/ラン マー)、理事に三章で紹介した推理作家の何家弘(か かこう/ホー ジアホン)らが名を連ねている。会員は推理作家や推理小説研究者、愛好家からなる。団体名には「北京」と付いているが、参加者は北京出身・在住者に限らない。
 この団体は、1998年から3年に一回ほどのペースで、「全国偵探推理小説大賽」(全国侦探推理小说大赛)を行っている。

北京偵探推理文芸協会が主催する「全国偵探推理小説大賽」について
 北京偵探推理文芸協会(およびその前身)が主催する「全国偵探推理小説大賽」は、単行本で刊行された作品や雑誌に掲載された作品、さらにはネット上で発表された作品も含め、既発表の作品の中から優秀作品を表彰する賞である。日本でいえば、「日本推理作家協会賞」に当たるものだと言えるだろう。
 「全国侦探推理小说大赛」の「大赛」は、コンテスト、コンクール、コンペティションなどの意味なので、元の文字の並びを活かして日本語に訳すのなら、「全国偵探推理小説コンテスト」などとなる。李長声(2002)では、「全国探偵小説コンクール」と表記している。ただ、この訳語だと中国の賞だということが分かりにくいため、このページでは「全国侦探推理小说大赛」を北京偵探推理文芸協会賞と表記することにする。ダガー賞のことを「英国推理作家協会(CWA)賞」と呼んだり、エドガー賞のことを「アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞」と呼んだりするのと同じことなので、そんなに変わったやり方ではないと思う。


 第1回では、【1】1950年から1996年の作品を対象とする部門と、【2】1996年8月から1998年8月までの作品を対象とする部門と、【3】1950年から1998年までの翻訳作品を対象とする部門があった。
 【1】や【2】では、第1回から台湾や香港の作品(繁体字圏の作品)も受賞している。第2回では、新たに設けられた長編賞を、藍瑪(らん ば/ラン マー)の『凝視黒夜』とともに、台湾ミステリの始祖・林仏児(りん ふつじ、1941 - )の『美人捲珠簾』(美人卷珠帘)が同時受賞している。林仏児のこの作品は、台湾で1986年に発表されたものなので、おそらく簡体字版が刊行された際に賞の対象になったのだろう。また、第3回の長編賞は香港の推理作家・鄭炳南(てい へいなん)の『謀殺方程式』が受賞している。第4回は該当作なし。

 1950年以降の約50年分の翻訳ミステリを対象とする第1回の翻訳部門(翻訳作品賞)は16作品が受賞しているが、その中にはドイルやクイーン、クリスティの作品とともに、日本の作品も3作品入っている。松本清張『点と線』(1979年、群衆出版社)、森村誠一『人間の証明』(1979年、中国電影出版社)、夏樹静子『蒸発』(1996年、群衆出版社)である。 第2回以降、翻訳作品賞は毎回1作品ずつ選ばれており、第2回は夏樹静子『Wの悲劇』(2000年6月、中国国際広播出版社)、第3回は『ジョセフィン・テイ推理全集』、第4回は米国の推理作家ケヴィン・ギルフォイルの『我らが影歩みし所』が受賞している。(作品を出版した出版社が受賞する)

 なお第4回では、同時に「世界華文創作ミステリ大賞」(世界华文侦探推理原创文学大赛)(公募の新人賞か?)の実施が当初はアナウンスされていたが、その後の情報が見つからないので、実際には実施されなかったようだ。

 この賞の実施のほか、北京偵探推理文芸協会はブログの説明文によると「イギリスや日本の推理作家との交流や、国際推理作家協会への参加」などを行うと書いてある。サイトを見ると、フランスの推理作家やイギリスの推理作家との交流会の写真が掲載されているが、日本のミステリ界との交流はあったのだろうか?

第二節 現代の中国ミステリ作家

 20世紀末から21世紀の中国ミステリを扱った「第五章」では、ネット上の創作ミステリ掲示板から主に本格ミステリを手掛ける新たな勢力が生まれてくる過程を紹介したが、21世紀に入ってそれ以外の作家がいなくなってしまったわけではない。たとえばすでに述べたが、第三章で紹介した推理作家の何家弘(か かこう/ホー ジアホン)は2001年以降、フランス語やイタリア語に著作が翻訳されるなどして、世界で評価が高まっている。また、上で紹介した北京偵探推理文芸協会賞の結果を見れば、『歳月・推理』以外にも雑誌はいくつもあり、またそこで、まだ紹介していないたくさんの推理作家が活躍していることが分かるだろう。

 ここでは、汪政(2006年?)に従って、現代中国の推理作家を概観したい(やや古いが)。汪政氏は、ミステリを執筆する作家を二種に分けている。ジャンル小説としてのミステリを書く作家と、ミステリの構造を借りて文学を書く作家である(彼は前者を「本格派」、後者を「芸術派」と読んでいるが、「本格派」は現代日本でいう「本格」とは意味が異なり紛らわしいので、ここでは使用しない)。

  • ミステリー派(サスペンス、ホラーなども含む広義のミステリー)
    • 藍瑪(らん ば/ラン マー)、湯保華(とう ほか/タン バオフア)、葉永烈(よう えいれつ/イエ ヨンリエ)、鐘源(しょう げん/ジョン ユアン)
    • 【新人】 蔡駿(さい しゅん/ツァイジュン)、鬼谷女(き こくじょ/グイ グーニュー)、哥舒意(か じょい/ゴー シューイー)
  • 芸術派
    • 馬原(ば げん)、王朔(おう さく)、余華(ユイ ホア)、格非(かく ひ)、海岩(かい がん)、潘軍(はん ぐん)、方方(ほう ほう)、北村(ほく そん)、陳染(ちん りょう)
    • 【新人】 麦家(ばくか)、田耳(てん じ)、須一瓜(す いっか)

 上は、汪政氏がそれぞれの代表的な作家および新進気鋭の新人として名前を挙げている作家の一覧である。太字化しているのは、その中でも汪政氏が特に詳しく紹介している作家。これに、2006年創刊の『歳月・推理』で活躍を始めた一群を加えれば、現代中国のミステリ作家がある程度把握できるはずである(もっとも、「芸術派」の作家は「ミステリ作家」とは言えないかもしれないが)。

  • 本格ミステリ派
    • 水天一色(すいてん いっしき)、馬天(ば てん/マー ティエン)、杜撰(ずさん)、御手洗熊猫(みたらい ぱんだ)

 「ミステリー派」の代表的な作家として名が挙げられている4人については、すでに第三章で紹介した。新人として挙げられている蔡駿(さい しゅん/ツァイジュン、1978 - )は、『ハヤカワミステリマガジン』で一度少しだけ紹介されたことがある。それによると、「上海出身の若手作家」「二〇〇〇年に二十二歳でデビューして以来、高い人気を誇っている作家」「サイコ・サスペンスやホラーが得意で、作品は映画化・ドラマ化もされている」とのこと(2008年6月号、p.166)。同じく新人として挙げられている鬼谷女(き こくじょ/グイ グーニュー)と哥舒意(か しょい/ゴー シューイー)も、サスペンスやホラーを書く作家のようだ。

 「芸術派」の代表者として名が挙げられている馬原(ば げん/マー ユアン/Ma Yuan/马原)は、中国で最初に推理小説とポストモダン文学の融合を図った作家で、トマス・ピンチョンやフリードリッヒ・デュレンマット、ソール・ベロー、フランスのヌーヴォー・ロマンなどの影響を受けていると見られるという。王朔(おう さく/ワン スオ)についてはすでに第三章で言及した。余華(ユイ ホア)はすでに何冊か邦訳が出ている作家だが、彼の短編「河辺的錯誤」(河边的错误)は、殺人事件の真相を追求する過程を描くミステリ物である一方で、典型的なポストモダン文学のテクストでもあるという。この作品は、20世紀の中国ミステリの傑作短篇を集めた前述のアンソロジーにも収録されている(第三章参照)。新人の田耳(てん じ/ティエン アル)は、「重畳影像」(重叠影像)が代表作。また、麦家(ばくか/マイ ジア)はデビュー時にその作風が既存の枠組みでは分類不能だと話題を呼んだ作家であり、純文学とジャンル文学をもっとも見事に融合させた作家だと評されている。

その他の現代中国ミステリ作家

 天蠍小豬(2009)で挙げられている作家のうち、今までに名前が出ていない作家の一覧を示す。

  • 江暁雯(こう ぎょうぶん、ジャン シャオウェン/江晓雯) 第1回島田荘司推理小説賞1次選考通過作の『紅楼夢殺人事件』(红楼梦杀人事件、2010)など。
  • 文澤爾(ぶんたくじ/ウェンゼル/文泽尔) 「華文ミステリの第一奇書」と呼ばれる『荒野猟人』(荒野猎人、2010)など。
  • 王稼駿(おう かしゅん、ワン ジアジュン/王稼骏) 雑誌『最推理』、『推理誌』(推理志)などで活躍。
  • 普璞(ふ はく/プー プー) 雑誌『最推理』、『推理誌』(推理志)などで活躍。 台湾やベトナムでも著作が刊行されている。
  • 鬼馬星(き ばせい/グイ マーシン/鬼马星)

第三節 賞・ランキング・雑誌・その他

 天蠍小豬(2009)では、他国や地域との交流、賞の創設、ランキング企画の実施などが今後の中国ミステリ界の課題だとされている。

華文ミステリ界の賞・ランキング

  • 非公募
    • 北京偵探推理文芸協会賞(1998年~/3年に1回) 前述。
  • 公募
    • 華文推理大賞(2011年末まで募集、2012年4月に結果発表予定) 短編ミステリを募集。詳細は阿井幸作さんがブログ、またはニュースサイト「KINBRICKS NOW」で紹介していますのでそちらをご覧ください(もともとの賞の名前は「华文推理大奖赛」。阿井さんは「中国語推理小説グランプリ」と訳しています)。

 また、台湾では短編ミステリを募集する台湾推理作家協会賞(2003年~/毎年)と、長編ミステリを募集する島田荘司推理小説賞(2009年~/隔年)があり、どちらも台湾のみならず、香港や大陸の作家からも応募がある。
 ランキングについては詳しくは知らないが、阿井さんがブログで2008年末に『歳月・推理』で実施されたミステリランキングを紹介している(2008年 这十本小说了不起(日本語)(2008年12月31日))。

その他

  • 雑誌・ムック
    • 第四章でくわしく説明した『歳月・推理』や『推理世界』のほか、『最推理』、『推理誌』(推理志)などがある。また、前述の蔡駿(さいしゅん/ツァイジュン)によるミステリムック『懸疑誌』(2007年)、『謎小説』(2009年~)などもある。
  • 大学ミス研
    • 2008年9月15日、中国大学ミステリ研連合設立。ミステリ研9つが参加。

東アジアにおける近年のミステリ刊行状況

 データの取り方が統一されていないが、参考までに、中国、台湾、韓国における2009年のミステリ刊行状況を示す。

  • 中国 2009年1月から10月までの10か月間で、ミステリ小説の刊行点数は関連書も含め358。うち、中国の作品は102(広義ミステリ)。日本の作品は65(約18%)
  • 台湾 2009年1月から10月までの10か月間で、ミステリ小説の刊行点数は146。うち、台湾の作品は7。日本の作品は67(約46%)。欧米作品は72。
  • 韓国 2008年12月から2009年11月までの12か月間で、ミステリ小説の刊行点数は294。うち、韓国の作品は38。日本の作品は98(約33%)。英語圏のものが125。その他が33。
 (台湾、中国のデータは『本格ミステリー・ワールド2010』より。韓国のデータは『季刊ミステリ』26号(2009年冬号)より)

おわりに

 予想外に長くなってしまったが、以上でシャーロック・ホームズ受容から現代にいたるまでの中国ミステリ120年の歴史の紹介を終える。

 日本では中国ミステリの知名度は低い。そんな中、なぜ中国ミステリに興味を持ったのかと質問されるかもしれないが、私が十代の終わりを迎えたころには日本の文芸誌『ファウスト』が台湾や韓国に進出したり、あるいはそれらの地域で日本の漫画・ライトノベル・ミステリが人気だということがすでに話題になっていて、ミステリファンの自分からすれば、それでは逆に台湾や韓国などアジア地域ではどんなオリジナルミステリが出ているのだろうという好奇心を持つのは非常に自然なことだった。taipeimonochromeさんの「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂」を参考にしながら台湾ミステリを少しずつ読んでいた私が中国ミステリにも目を向けるようになったのは、早い時期から中国現代ミステリの紹介を行っていた阿井幸作さんのブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」で御手洗熊猫(みたらい ぱんだ)という作家の存在を知ったのがきっかけだった。

 今まで日本では、「中国には推理小説はほとんどないらしい」ということがまことしやかに囁かれることが多かった。その原因はひとえに、「日本語でググってもほとんど情報が出てこない」ということに尽きると思う。この「中国ミステリ史」が、日本での中国ミステリの知名度アップに貢献できれば幸いである。今後、中国ミステリの日本語への翻訳、そしてアジアミステリ界の交流が進むことを願っている。

参考文献



最終更新:2011年08月06日 12:22