ソ連/ロシア推理小説翻訳史 > ユリアン・セミョーノフ(1931-1993)

2011年5月9日-28日

※未完成

ユリアン・セミョーノフ (Юлиан Семёнович Семёнов, 1931-1993, 英語版Wikipedia(9言語))

  • 長編
    • 『ペトロフカ、38』
    • 抄訳『会長用の爆弾』(ソ連大使館広報部刊行『今日のソ連邦』1973年第1号(1月1日)~第7号(4月1日)、全7回連載)
    • 『春の十七の瞬間(とき)』
  • 短編
    • 「一九三七年の夏」
  • 言及
    • 飯田1965、飯田1972、ベスーグロフインタビュー1991、深見1991、沼野1999

『ペトロフカ、38』(早川書房、1965年)刊行前後

  • 『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1965年4月号に、飯田規和「ソ連の探偵小説」
    • 「ソ連の推理小説はわが国にはまだほとんど紹介されていない。しかし、このことは、一部で言われているように、ソ連には推理小説がないということを意味するものでは決してない。むしろ、事実はその逆で、ソ連でも、他の国と同じように、推理小説は読者の間に大きな需要を持ち、今までかなりの量の作品が書かれていると言うことができよう。」
    • 「ソ連の推理小説界の第一人者で、ソ連の推理小説の歴史に新しい道標を築いたのは、何と言っても、レフ・シェイニンであろう。ソ連では彼ほど人気のある作家はほかにはいないと言われている。」

  • ユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、1965年)
なお、ソ連の推理作家として日本でもある程度知られているユリアン・セミョーノフは、作家生活を始める以前の1955年、『ともしび』(アガニョーク)の記者となっている。

『世界ミステリ全集』第12巻(『ペトロフカ、38』収録)刊行前後

  • 飯田規和「ソ連の推理小説」(『世界ミステリ全集12』早川書房、1972年 月報に掲載)
    • 「ソ連で年々発表される推理小説の数は、大方の予想に反してかなりの数にのぼっている。」
    • 「ソ連の推理小説の読者は推理小説の古典が好きだし、犯罪者側の巧妙なトリックと探偵の側の機知にとんだ推理によって事件が展開するという、いわゆる本格的な推理小説が好きらしい。ソ連で翻訳されている外国作家は相変らずポー、ドイル、チェスタートン、クリスティ、シムノンなどである。」

 「中国には推理小説はない」「ソ連には推理小説はなかった」とまことしやかにささやかれることがある。共産圏では推理小説は育たないというのだろう。しかし以前に紹介したように、中国では推理小説が、政治の影響を受けて形を変えながらも常に存在していた。ということは、ソ連に推理小説がない(または少ない)という説も、疑ってかからなくてはならない。
 上に引用した文を見ると、今まで想像していた状況とはかなり異なり、ソ連でも推理小説は多く書かれていたようである。飯田氏がこの記事で「ソ連の推理小説界の新人三羽烏」として挙げているのが以下の3人(2人+1組)である。飯田氏が挙げている作品名も示す。
  • ヴィクトル・スミルノフ(Виктор Васильевич Смирнов, 1933 - (存命), ロシア語版Wikipedia
    • 『五番目の男』(??年)、『不安な月、九月』(1972)
  • ニコライ・レオーノフ(Николай Иванович Леонов, 1933-1999, ロシア語版Wikipedia
    • 『逮捕に踏み切る』(1968)
  • アルカージイ・ワイネル(Аркадий Александрович Вайнер, 1931-2005, ロシア語版Wikipedia) & ゲオルギー・ワイネル(Георгий Александрович Вайнер, 1938-2009, ロシア語版Wikipedia
    • 『真昼に手探りで』(Ощупью в полдень(1970))、『ミノタウロスを訪ねて』(Визит к минотавру(1972))
 ほかに、ニコライ・トマン(綴り前掲)、アルダマツキー(Василий Иванович Ардаматский, 1911-1995, ロシア語版Wikipedia)、ブラグンスキー & リャザノフ(『自動車に御用心!』、『図書館の殺人』)の名が挙げられており、いずれも紹介に値する作家たちだということだが、その後残念ながら、邦訳の機会には恵まれなかったようだ。
 ――と書いたが、『ソビェート文学』1974年夏季号に抄訳が載ったという『ミノトール訪問』は、ここで『ミノタウロスを訪ねて』とされている作品とおそらく同一のものだろう。

  • 〈座談会〉「F・デュレンマット、Ю・セミョーノフ、G・シェルバネンコについて」(出席者:石川喬司、稲葉明雄、小鷹信光、(ゲスト)福田淳、および編集部)(『世界ミステリ全集12』早川書房、1972年 巻末に収録)
    • 編集部「次にセミョーノフですが、ソヴィエトの推理小説は、これが世に紹介されている唯一のものではないかと思います。」
    • 編集部「ソヴィエトの推理小説はこれが日本で紹介された唯一の作品なので、これをもとに論じてもらうより仕方がないのですけども。」
    • 石川喬司「中薗英助氏が、ソ連へたびたび行っていて、そのときにソ連のミステリの状況なんかをいろいろ調べてもらったところによると、やはりわれわれの考えるような本格推理小説はないということです。」「逆に向こうで、日本の推理作家の横綱格として評価されているのが、松本清張と中薗英助なのです。それをみれば、向こうの推理小説観というのがわかると思うのです。つまり社会派――権力のからくりをあばくような作品が受けている。」

 早川書房が1972年から1973年にかけて刊行した『世界ミステリ全集』は全18巻。そのうち、非英語圏にあてられたのは第9巻と第15巻(ともにフランス語圏の作家)および、この第12巻である。第12巻は、ドイツ語で書くスイスの作家デュレンマットとイタリアの推理作家シェルバネンコの作品、それからハヤカワ・ポケット・ミステリで刊行されたセミョーノフの『ペトロフカ、38』の再録で構成されている。編集部の発言からすると、この時期には、1950年代に袋一平氏がソ連の推理小説を翻訳していたことはすっかり忘れ去られていたようである。1950年代に翻訳されたソ連の推理小説が書籍にまとまることがなかったことと、その主な掲載誌だった『探偵倶楽部』が1959年に廃刊になってしまっていることが、その要因かもしれない。といっても、座談会には以下のような発言もある。
  • 稲葉明雄「以前よく、友人でロシア語をやっているのがいますと、おもしろいミステリがないか、ないかと聞いたわけです。六三年より、もっと以前でしたが、ぜんぜんないというんです。わずかに、楽天的な未来を目指す型のSFが、『技術青年』とか、そういう雑誌にのっていたらしい。袋一平さんがよく多少ともましな作品を捜しだして翻訳しておられたが、ずいぶん苦労だったろうなと思いました。」
 これを見ると、袋一平氏の業績はまったく忘れ去られていたわけでもなかったようだ。それから、引用した石川喬司氏の発言内容は飯田氏が月報で書いている内容と食い違っているようにも見えるが、ロシアで松本清張や中薗英助、森村誠一らの作品が翻訳されていたのも事実なので(特に中薗英助や森村誠一作品は、2011年現在にいたるまで、ほかの欧米圏では刊行されていない)、これもまたソ連の推理小説界の一面をとらえているのだろう。


最終更新:2011年05月28日 21:37