ソ連/ロシア推理小説翻訳史 > 1920年代~1930年代 〈赤い探偵もの〉の時代 ――『メス・メンド』、『技師ガーリン』

2011年5月9日-23日

※未完成

ソ連空想科学探偵小説の受容

「赤い探偵もの」の時代

 革命の気分が緩み始めると、1920年代、ソ連/ロシアに2度目の探偵小説ブームが訪れる。この時期に書かれた探偵小説は「赤い探偵もの」(赤いピンカートン)と呼ばれる。

深見弾(1979)「初期のソビエトSF ――革命後から第二次世界大戦まで――」p.322より
 20年代に特徴的な作品に、SF的要素を備えた、いわゆる〈赤い探偵もの〉と称される一群の作品がある。その代表的なものに、トルストイの『技師ガーリン』(25)、シャギニャンの『メス・メンド』(23)およびその続編ともいうべき『鉄工ローリー・レン』(27)、カターエフの『エレンドルフ島』(24)と『鉄の君主』(25)などである(ママ)。これらの作品ではいわゆるSF的アイディアは本質的な役割をはたしていないが、エンタテイメントとしては質が高かった。しかし20年代に現われたこの種の上質の娯楽小説もしくは大衆小説は二度とソビエト文学に現われなかった。どうやら()()なエンタテイメントと一緒に上質なものまで葬ってしまったらしい。

 ここで示されている作品のうち、アレクセイ・トルストイ(誰もが知っている有名な作家のトルストイとは別人)の『技師ガーリン』と、マリエッタ・シャギニャン(Мариэтта Сергеевна Шагинян, 1888-1982, Wikipedia)の『メス・メンド』、『鉄工ローリー・レン』は、原著刊行の数年後には早くも日本で刊行されている。『メス・メンド』は原著はジム・ドル名義で刊行されており、邦訳もジム・ドル名義になっている。

Катаев, Валентин Петрович
『エレンドルフ島』Остров Эрендорф
『鉄の君主』Повелитель железа

  • 1928年、ジム・ドル『革命探偵小説 メス・メンド』(世界社、5分冊) / Джим Доллар, «Месс-Менд» (1923-1925)
  • 1930年、アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ『技師ガーリン』(ソヴエト・ロシア探偵小説集、1930年)※国立国会図書館 http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000785169/jpn

『メス・メンド』

 『メス・メンド』の邦訳の刊行は江戸川乱歩デビューの5年後であり、ソ連の探偵小説が日本に入ってきたのは予想よりもはるかに早かったようだ。おそらくこれが、日本で紹介された最初のソ連探偵小説だろう。(なおSF小説では、1926年に出たボグダーノフ『赤い星』(大宅壮一訳)が本邦初訳のソ連SFだとされている)
 『メス・メンド』は、深見弾(1978)「ロシヤ・ソビエトSFはこんなに訳されている」によれば、1924年にロシアで10分冊で刊行された。1928年に出た邦訳はその5割強ほどを翻訳したもので、翌1929年には同人社希望閣から完訳が出ている。また、1931年には内外社から完訳増補版『メス・メンド――職工長ミックの巻』が刊行されている。訳者のことばによれば日本語版刊行時にすでに英訳・独訳があり、中国・上海でも同じころに、日本語の『メス・メンド――職工長ミックの巻』に基づく抄訳『洋鬼』が刊行されたようだ。
 翻訳者はいずれも広尾猛(ひろお たけし)である。広尾猛は、ソ連/ロシア関連の書籍を扱うナウカ株式会社(2006年よりナウカ・ジャパン)の創設者、大竹博吉(1890-1958, Wikipedia)のペンネーム。

 ところで、江戸川乱歩ファンの人の中には、乱歩と文通を行っていたソ連の推理作家ロマン・キム(Роман Николаевич Ким, 1899-1967, ロシア語版Wikipedia)の名を覚えている人がいるかもしれない。『メス・メンド』の翻訳者の大竹博吉(広尾猛)は、このロマン・キムの生涯にわたっての友人であった。というのも、1920年のある日、ウラジオストック大学の学生だったロマン・キムが日本の憲兵に逮捕されかかっているところを助けたのが、当時日本の新聞記者だった大竹博吉だったのである。

深見弾(1979)「初期のソビエトSF ――革命後から第二次世界大戦まで――」p.324より
物語りの展開は()()()()と言われただけあって(実際に映画化されている)、きわめて急テンポに場面が変わる。また、いたるところに伏線があり、話に緊張感をもたせ読者を惹きつけていく手法は明らかに推理小説のそれで、どちらかといえばSFというより推理小説としてソ連では評価されているのもうなずける。たしかにここではSFは小道具的な添えものの感がある。(中略)だが、大衆娯楽小説としてのSFとしてみれば、ソ連ではアレクセイ・トルストイの『技師ガーリン』と並んで第一級品と言える。

 この作品の内容や日本での刊行状況の詳細は、長谷部史親氏の『ミステリの辺境を歩く』(アーツアンドクラフツ、2002年)に収録の「マリエッタ・シャギニャンの『メス・メンド』」(pp.260-267)で見ることができる。それによれば、1928年に刊行されたものは『メス・メンド』の第一部であり、1931年にはこの5分冊をまとめたと、第二部『続メス・メンド――鉄工ローリーの巻』が出ている。本国では第三部まで刊行されているが、第三部の邦訳はないそうだ。

 また、SFファングループ「THATTA」のサイトで読めるオンライン・ファンジン『THATTA ONLINE』の271号(2010年11月号)(→リンク)に掲載されたフヂモト・ナオキ氏の「ウィアード・インヴェンション~戦前期海外SF流入小史~038」でもこの『メス・メンド』が扱われている。邦訳刊行時にこの作品がどのように評価されたのかを、当時の新聞記事などを引用して丁寧に紹介している。

『技師ガーリン』

 『技師ガーリン』は、〈ソヴエト・ロシア探偵小説集〉の第1巻として刊行されている。

深見弾(1978)「ロシヤ・ソビエトSFはこんなに訳されている(戦前)」より
 内外社のソヴエト・ロシヤ探偵小説の企画は第二弾としてレオニード・ボリソフの『記憶を喪った男』を準備していた。どうやらこれは不発に終ったらしい。調べた限りでは、出版された形跡がない。しかし、未刊だったと判定もできないでいる。ご存知のかたがあればお教えいただきたい。

1925年から1926年にかけて、雑誌『赤い処女地』で連載。1933年に『ソビエト文学』社から単行本として出版された際に、結末に若干の変更が加えられている。
p.326にあらすじ


〈新青年〉海外探偵小説十傑(1937)


最終更新:2011年05月19日 23:21