ソ連/ロシア推理小説翻訳史 > アナトーリィ・ベズーグロフ(1928- )

2011年5月9日-23日

※未完成

アナトーリィ・ベズーグロフ (Анатолий Алексеевич Безуглов, 1928- )

  • 短編
    • 「にせのサイン ――弁護士の日記より――」(『宝石』1956年2月号、pp.72-82) (アナトーリ・ベズーグロフ)
    • 「予審判事の捜査記録」(『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.53-77)
  • インタビュー
    • 最新ソビエト・ミステリ事情――人気作家にインタヴュー「アナトーリィ・ベズーグロフ「ドストエフスキーのような作家になるのが目標です」」(1991年7月23日収録、『ミステリマガジン』1991年12月号掲載、pp.46-49)
  • 言及
    • 袋一平(1957)「ソ連の探偵小説界近況」(『日本探偵作家クラブ会報』第120号、1957年7月)
    • 深見弾(1991)「ソビエト・ミステリ界の現状」(『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.50-52)

略歴

 『探偵倶楽部』に短編が掲載されてから実に35年、ようやく再びミステリ雑誌にベズーグロフの短編が翻訳掲載された。同じ号にベズーグロフのインタビューが載っている。ソ連崩壊の約5か月前に収録されたインタビューなので、その後状況はいろいろ変わっているだろうが、まずはこのインタビュー内容に従って、ベズーグロフの経歴などを紹介する。

 A・ベズーグロフは、1928年にロストフ州ブデンノスカ市で生まれ、モスクワ法科大学で法律とジャーナリズムを学び、法学博士の学位をとった。6年間、検事の職に就き、後にマスコミ界に転じて、ラジオの法律問題の番組のディレクターとして知られるようになる。現在は、モスクワ法律専門大学で教授として教鞭をとるかたわら、今年創刊された雑誌《インターポール・モスクワ》の編集長をつとめ、さらに、作品も発表している。
 これまでに『民警刑事』『蛇狩りをする男たち』『特捜班』『検事の手記』『検事のこと』『判事』『犯罪者』『黒い未亡人』『マフィア』『法は法』『検事』など多くの作品を発表し、今年の春、インテルデテクチフ社から新作長篇『掠奪者』を出した。「ソ連内務省文学賞」「ロシア共和国作家同盟文学賞N・Iクズネツォフ名誉金賞」を受賞。創作活動のかたわら、ソ連最初のミステリ専門誌のために取材活動や経営問題で海外出張を精力的にこなしている。

 同号掲載のインタビューによれば、ベズーグロフは情報通信社インテルデテクチフ社の総裁でもある。また、ロシア共和国推理作家同盟の総裁でもある。この推理作家同盟は、作家やジャーナリスト、映画監督、アーティスト、編集者など広い意味でミステリと関わっている人たちの集まりで、インタビュー時には「まだ結成したばかり」だったそうだ。この団体がその後どうなったのかは分からない。

邦訳

  • 『宝石』1956年2月号、アナトーリ・ベズーグロフ「にせのサイン ――弁護士の日記より――」(訳:袋一平)/ Анатолий Алексеевич Безуглов "(原題未調査)"

 『探偵倶楽部』1955年10月号および11月号にL・サモイロフ=ヴィリン「夜の雷雨」(訳:袋一平)が掲載されると、当時の探偵小説の牙城たる『宝石』の編集部はこれにすぐ目を付けたようで、『宝石』1955年12月号には袋一平氏のコラム「ソヴエトの推理小説」が掲載されている。そして『宝石』1956年2月号には短編の翻訳も掲載された。どこの国のものであれ、面白いものがあればどんどん紹介していこうという気概があったのだろう。同号の編集後記には以下のようにある。
鉄のカーテンの向うのソビエートではどんなふうに探偵小説が変化してきているかと、袋一平氏に訳していただいたのが、アナトーリ・ベズーグロフの、「にせのサイン」です。探偵小説愛好の人間性は本質的なもので、政治力以上のものだとまた教えられました。(ながせ)

 もっとも、おそらくこの「にせのサイン」以降、『宝石』にソ連の推理小説の翻訳は掲載されていない(要調査)。この年の6月には日本版『EQMM』が創刊され、以降も英米の作品の紹介に主眼を置いた『マンハント』(1958-1964)、『ヒッチコック・マガジン』(1959-1963)が創刊される。これにより、英米のみならずフランスやドイツ、ソ連、中国など各地から面白そうな作品を見つけてきて「探偵小説」として紹介する「翻訳探偵小説」の時代は終わりを告げ、英米の「mystery」を系統立ててかつ大量に翻訳していく「翻訳()()()()」の時代が到来する。以降、英米以外の推理小説の紹介頻度は極端に下がることになった。

『ミステリマガジン』によるインタビューと短編掲載(1991年12月号)
  • 『ミステリマガジン』1991年12月号、アナトーリィ・ベズーグロフ「予審判事の捜査記録」

ソ連最初のミステリ専門誌『インターポール・モスクワ』

 ロシア初の推理小説専門誌『インターポール・モスクワ』もインタビュー当時はまだ第1号がでたばかりだった。編集局長はベズーグロフで、編集委員には内務省アカデミー会長のA・アレクセーエフ、ソ連ミステリ界の(当時の)長老格であった作家のゲオルギー・ワイネル(1938-2009)のほか、日本評論家協会副理事の竹内陽一や、その他のフランス、イタリア、ドイツ、カナダの人物も加わっていた。創刊号は316ページで、ページの大半をイアン・フレミングの『女王陛下の007』が占めている。ほかに、ロシア人作家の作品が1編と、日本人作家の作品が1編掲載された。ロシア人作家の作品は、鉄道公案もので有名で、ソ連推理小説界のやはり長老的存在であったレオニード・スローヴィムのハードボイルド調の作品「深夜固定料金」。日本人作家の作品は、エラリー・クイーン選『日本傑作推理12選』から選ばれた筒井康隆「如菩薩峠」。


最終更新:2011年05月19日 18:00