ソ連/ロシア推理小説翻訳史 > 北京偵探推理文芸協会賞を受賞した2人のソ連推理作家 アルカージイ・アダモフとニコライ・トマン

2011年5月9日-23日

※未完成

Index

北京偵探推理文芸協会賞を受賞したソ連の推理作家

 中国に北京偵探推理文芸協会という推理作家や評論家の団体があり、1998年から3年に一度ほどのペースで、優秀な作品に対して北京偵探推理文芸協会賞を授与している。中国語で書かれたオリジナル作品を対象とする賞と翻訳作品を対象とする賞があり、翻訳作品賞は通常は毎回1作品が選ばれるが、1998年の第1回は1950年以降の約50年間に中国で出版された翻訳ミステリが対象になり、16作品が受賞している。以前にまとめた「中国ミステリ史 後編」では、この第1回の受賞作の中に、日本の松本清張、森村誠一、夏樹静子の作品があることを紹介した。

 その時には、公式サイトの受賞者一覧にあるソ連の推理作家「尼古拉·托曼」や「阿达莫夫」が誰だか分からなかったのだが、ソ連/ロシアの推理作家について調べていて2人の正体(というほどのことでもないが)が分かったので、ここに第1回の翻訳作品賞の受賞者・受賞作一覧をまとめておく。

第1回(1998年)北京偵探推理文芸協会賞 翻訳作品賞 受賞作一覧
《在前线附近的车站》 [苏]尼古拉·托曼 中国青年出版社、1955 ソ連 ニコライ・トマン 『戦線付近の駅で』 (邦訳なし)
《福尔摩斯探案选》 [英]柯南道尔 群众出版社、1957 コナン・ドイル 〈ホームズ・シリーズ〉
《形形色色的案件》 [苏]阿达莫夫 群众出版社、1957 ソ連 アルカージイ・アダモフ 『雑色事件』 (邦訳なし)
《月亮宝石》 [英]柯林斯 上海新文艺出版社、1957 ウィルキー・コリンズ 『月長石』
《希腊棺材之谜》 [美]奎恩 群众出版社、1979 エラリー・クイーン 『ギリシャ棺の謎』
《点与线》 [日]松本清张 群众出版社、1979 日本 松本清張 『点と線』
《东方快车谋杀案》 [英]阿加莎·克里斯蒂 中国电影出版社、1979 アガサ・クリスティ 『オリエント急行の殺人』
《人性的证明》 [日]森村诚一 中国电影出版社、1979 日本 森村誠一 『人間の証明』
《诺言》 [瑞士]迪伦马特 中国社会科学出版社、1980 スイス フリードリッヒ・デュレンマット 『約束』
《梅格雷探案》 [比利时]西默农 上海译文出版社、1987 ベルギー ジョルジュ・シムノン 〈メグレ・シリーズ〉
《亚森·罗平探案》 [法]勒白朗 华夏出版社、1987 フランス モーリス・ルブラン 〈ルパン・シリーズ〉
《罪恶之角》 [美]罗斯·托马斯 群众出版社、1991 ロス・トーマス 『女刑事の死』
《红与魔》 [美]爱伦·坡 群众出版社、1994 エドガー・アラン・ポー 『赤死病の仮面』か??
《蒸发》 [日]夏树静子 群众出版社、1996 日本 夏樹静子 『蒸発』
《梅森探案集》 [美]厄·斯·加德纳 文化艺术出版社、1997 E・S・ガードナー 〈メイスン・シリーズ〉
《他不在现场》 [美]格拉夫顿 作家出版社、1997 スー・グラフトン 『アリバイのA』

 出版社と出版年が示されているが、これはこれらの作品の初訳を示すものではない。たとえば、ホームズシリーズは中国では1896年に翻訳が始まっており、1916年には早くもホームズ全集が刊行されている。1925年にはルパン全集も刊行されているし、『ギリシャ棺の謎』は、1946年に中国ミステリの始祖・程小青(てい しょうせい)の訳で刊行されたのがおそらく最初だと思う。第1回翻訳作品賞は、1950年以降の翻訳を対象としているため、それ以前の訳は対象になっていないのである。ここで挙げたもの以外にも、1950年以前にすでに訳されていたものがあるかもしれない。

 中国では、1949年の新中国(=中華人民共和国)の成立によって、それまでのように西欧の探偵小説を翻訳することは出来なくなり、替わってソ連の探偵小説が翻訳されるようになったと以前書いた。しかしこの受賞作一覧を見ると、新中国成立後も、ホームズシリーズやコリンズの『月長石』など、西欧の探偵小説が訳されていることが分かる。西欧の探偵小説が完全に禁止されてしまったわけではなかったようである。
 また、受賞作の刊行年を見ると、1957年から1979年まで空白期があるのが目につく。これは、文化大革命(1960年代半ばから1970年代末)により、ソ連の探偵小説を含め、翻訳作品の刊行がまったく許されなくなったからである。

 ちなみに、以降の翻訳作品賞受賞作は、第2回は夏樹静子『 Wの悲劇 』(2000年6月、中国国際広播出版社)、第3回は『ジョセフィン・テイ推理全集』、第4回は米国の推理作家ケヴィン・ギルフォイルの『我らが影歩みし所』。

ニコライ・トマン(1911-1974)

Николай Владимирович Томан, ロシア語版Wikipedia(1言語)
  • 言及:袋1957、飯田1965、飯田1972

 ニコライ・トマン(ニコライ・トーマン)の『戦線付近の駅で』(原題: На прифронтовой станции)は邦訳なし。仮の邦題を付けたが、『戦線付近の駐屯地で』とした方がいいかもしれない。ニコライ・トマンは小説の邦訳はないが、ソ連・東欧SFアンソロジーの『遥かな世界果しなき海』(早川書房、1979年)にエッセイ「SF論争 ――モスクワ・1965年」が訳されているようだ。

 ニコライ・トマンは、飯田1965では、レフ・シェイニンと並んで「スパイ小説的な推理・冒険小説」の代表的な作家だと紹介されている。中国では1949年の新中国(=中華人民共和国)成立以降、ソ連の探偵小説=反スパイ小説が大量に流入し、それにならった「反特小説」(はんとくしょうせつ)が書かれるようになったと「中国ミステリ史 前編」で紹介した。どうやら、このニコライ・トマンの作品が、中国におけるソ連反スパイ小説の代表格的作品のようだ。

アルカージイ・アダモフ(1920-1991)

Аркадий Григорьевич Адамов, ロシア語版Wikipedia(3言語)
  • 言及:キム第一信1956、キム第二信1957、キム第三信1957、袋1957

 ソ連ミステリ界の当時の近況と、アルカージイ・アダモフ『複雑な事件』『さまざまな人の事件』『ぐれん隊事件』『雑色事件』『まだら事件』

 乱歩とロマン・キム氏の文通については乱歩が『宝石』誌上で逐一報告している。『宝石』1956年10月号に転載されたキム氏からの第一信は、「ロシヤでは探偵文学のジャンルは十九及び二十世紀(革命前)には発達しておりませんでした」、「革命後のわが国には探偵文学が発達しはじめました」――と、探偵の冒険ものやスパイ小説から始まって、次第に本格的な探偵小説が書かれるようになっていたソ連のミステリ史を伝えている。当時の最新の状況に触れているところを引用する。

ここ数年間というもの、ソヴェートの探偵文学は量的にも質的にも飛躍を続けております。主要な位置を占めておるのは云うまでもなくスパイ小説です。――外国の密使がいかにしてソ同盟に潜入し、秘密の工作を行うか、またソヴェートの偵察兵がいかにして彼らの正体を見破るか、といったたぐいのものです。しかし、最近のわが国には、犯罪とか、或いはソヴェートの探偵の活躍などに関する純然たる探偵小説も現われはじめました。例えばアダーモフ「複雑な事件」など。この秋にはモスクワで探偵小説を含む冒険小説の諸問題に関する第一回全同盟会議が開かれます。数百名の作家が参集し、当面の諸問題を審議するはずです。わが国の新聞雑誌には、もう一連の論文が現われておりますが、その中で、探偵小説というものは主題の興味や独特の構成のほかに、登場人物の性格とか全体の背景とかの巧みな描出によっても優れたものでなければならないという希望を、批評家や読者が表明しております。

 当時のソ連では、SF小説と探検小説と推理小説を合わせて「冒険小説」と言っていたそうで(飯田規和「ソ連の推理小説」参照)、これは戦前の日本の「探偵小説」という語が推理小説のほかにSF小説などを含んでいたのと同じことだろう。ソ連では「冒険小説」に関する積極的な議論が行われているようで、一般的なイメージにある「ソ連では推理小説は流行らなかった」という気配は微塵も感じさせない。そして、ソ連でついに現れた「純然たる探偵小説」とはどんな作品なのだろう。この作品は、『宝石』1957年1月号に転載されたキム氏からの第二信にも登場する。

 ごく近いうちに、ソ同盟で本格的探偵小説が発表されます。民警と犯罪者との闘いを描いたヴァレンチン・イワノフ「黄色いメタル」と、モスクワ捜査局の活動を扱ったアダモフ「さまざまな人の事件」がそれです。後者は一九五六年の雑誌「青春(ユーノスチ)」に載ったものでその雑誌は既に一月前木村浩さんに送りました。しかしこの長篇は単行本としてはまだ出ておりません。その後直ぐスパイ小説が出ます――エヌ・アターロフの「変名の死」と、ヴォエヴォディンのものと、タルンチスの「固い合金」がそれです。ポーランド語からの翻訳中篇「静かなる戦線」(東独に於ける西独スパイ組織の活動を扱ったもの)や、中国語からの翻訳で、中国作家の驚険中短篇小説集「謎の数字」も出ます。

 また、同じ第二信にはこうも書いてある。

 小生は木村浩さんに、「さまざまな人の事件」を読んだら、その作品の筋を先生に伝えるよう手紙を出しておきました。多分この作品は日本語に訳されるのでしょう。

 第三信でもアダモフの作品タイトルが挙げられているが、おそらく同じ作品を指していると思われる。

 最近は、犯罪摘発をめぐるソヴェト捜査局及び民警の活躍に関する探偵小説が人気をよんでいます。(改段落)アダーモフ「ぐれん隊事件」につづいて、ブレスト及びランスキイ「見えない前線」レフ・シェイニン「探偵の手記」ロイズマン「狼」その他が出版されました。(改段落)わが国の文学において、かつてこれほど沢山の探偵小説があらわれたことはありません。もちろん、英米のそれと比較しますれば、わが国での探偵物の出版はそれほど多いとは申せませんが、しかし、過去と比較すれば、現在はかつて今まで見なかったほど多量の本が出たというわけです。

 アダモフ/アダーモフの「複雑な事件」/「さまざまな人の事件」/「ぐれん隊事件」は、その後ソ連では1956年に単行本が刊行されている(→ロシアのネット書店)。その翌年にはすぐに中国語版『形形色色的案件』が出ており、ほかに少なくともドイツ語版『Die Bunte Bande von Moskau』(1962年)が刊行されているが、日本で刊行された形跡は、残念ながらない。ソ連では映画化されたほか、ソ連時代に少なくとも2度、ソ連崩壊後に少なくとも3度再刊されており、人気作のようである(最新の2002年版→リンク)。また、ソ連時代の推理小説を集めた全集や選集がソ連崩壊後に何度か刊行されているが、確認できた限り、この作品はすべてに収録されており、どうやらソ連/ロシアの推理小説史においては記念碑的な作品であるようだ。そのような作品が、結局邦訳されることがなかったのは残念なことである。

 さて、幸いなことに、袋一平氏が『日本探偵作家クラブ会報』第120号(1957年7月)でこの作品のあらすじをごく簡単にだが紹介している。袋氏は作品タイトルを「雑色事件」としている。

  「雑色事件」 アルカージイ・アダモフ
    四〇〇字、一千枚位の長篇
 主人公はセルゲイ・コルシュノフという復員士官で、モスクワ刑事捜査局に勤務する。強盗、殺人団が横行しているが、正体がつかめない。というのはスタッフがあらゆる種類の人間の集まりだからで、題名の「雑色」はその意味。そしてこの一味は「犯罪のロマンス」を信奉し、手口が非常に凝っている。主な犯罪者は「パパーシャ」、ソフロン・ロジキン・クプツエウィチなど。このロマンチック犯罪をコルシュノフとその助手たちが解決して行く物語。

 また、桜井厚二氏の論文「ロシア刑事探偵のフォークロア ―ワイネル兄弟『恩恵の時代』を中心に―」でも、アダモフのこの作品のあらすじがまとめられている。この論文は、「21COE研究教育拠点形成 スラブ・ユーラシア学の構築 中域圏の形成と地球化」の研究報告集No.23「文化研究と越境:19世紀ロシアを中心に」(2008年2月)に掲載されたもので、桜井氏はタイトルを「まだら事件」としている。

 アルカージー・アダモフの『まだら事件 Дело пёстрых(1956)』は、ワイネル兄弟より以前に、戦後モスクワのギャングに挑むソヴィエト刑事探偵の肯定的イメージを提示してみせた先駆的作品であった。この作品は、以下のような梗概の連作短編集である。(改段落)第二次世界大戦から復員した青年セルゲイ・コルシュノフは、その軍功によりモスクワ警察犯罪捜査部の刑事に採用される。折しも首都で頻発する様々な凶悪事件から、その背後で犯罪者たちを仕切る「親爺」と呼ばれる黒幕の存在が浮上していた。当局は「親爺」に操られた雑多な者たちによる多種多様な一群の事件を「まだら事件」と名付け、特捜班を設置する……。

1956年 日本でのソ連推理小説紹介の動向

  • 『宝石』1956年2月号に、アナトーリ・ベズーグロフ「にせのサイン ――弁護士の日記より――」(訳:袋一平)/ Анатолий Алексеевич Безуглов "(原題未調査)"
    • 編集後記「鉄のカーテンの向うのソビエートではどんなふうに探偵小説が変化してきているかと、袋一平氏に訳していただいたのが、アナトーリ・ベズーグロフの、「にせのサイン」です。探偵小説愛好の人間性は本質的なもので、政治力以上のものだとまた教えられました。(ながせ)」

  • 『講談倶楽部』1956年6月号に、ゾルチコフ「新水爆殺人事件」(訳:伊東鍈太郎)
 ゾルチコフという小説家が何者なのかはよく分からない。ロシア的な名前であるので一応メモしておく。翻訳者の伊東鍈太郎(伊東鋭太郎)氏はドイツ文学の翻訳者なので、ゾルチコフがロシアの作家だとしても、翻訳はドイツ語からの重訳だろう。あるいは、ゾルチコフはロシア系のドイツ人なのかもしれない。
 【2011年5月11日追記:ゾルチコフはドイツの作家でした】

  • 『小説読本』1956年8月号に、ヴィリン「雷雨」(訳:住田伸二郎)(未見)
    • 会報111号(1956年8月)掲載の中島河太郎氏のリストに載っている作品。袋一平氏が1955年に訳したL・サモイロフ=ヴィリン「夜の雷雨」と同じ作品か?

  • 『宝石』1956年10月号に、江戸川乱歩「探偵小説の世界的交歓」(小題「ソ聯の探偵作家キム氏」「ロマン・キム氏からの手紙」

1956年 解説

1956年の『探偵倶楽部』

 前年に「夜の雷雨」を掲載した『探偵倶楽部』は、この年には以下のようなものを掲載している。

  • 『探偵倶楽部』1956年4月号と5月号に、エフゲニー・リャプチコフ「追跡」(訳:袋一平)
  • 『探偵倶楽部』1956年5月号に、ア・エザノフ「マンヂン・バルタザールの妖術」(訳:アライ・キミ)
  • 『探偵倶楽部』1956年11月号に、ア・エザノフ「ピユリシユケヰチ大公のトランク ――ロシア革命から逃れ出たたった一人の大公殿下――」(訳:荒井浩)

 どれも冒険実話や東洋奇談的なもので、推理小説ではない。ソ連の推理小説紹介の先陣を切った『探偵倶楽部』だったが、その後が続かなかったのが残念である。(中島河太郎氏のリスト(会報114号、1956年11月)では「ピユリシユケツチ太公のトランク」となっているが、「ツ」は誤植である。また、『探偵倶楽部』1956年11月号では作品冒頭ではタイトルが「太公」となっているが、副題では「大公」、目次でも「大公」となっており、意味的にも「大公」が正しいので、ここでは作品タイトルは「ピユリシユケヰチ大公のトランク」とした。)

1957年 日本でのソ連推理小説紹介の動向

  • 探偵作家クラブの11月例会(土曜会)で、第一回訪ソ文化使節団長としてソ連および中華人民共和国に滞在した原久一郎に話を聞く。
  • 『宝石』1957年1月号に、江戸川乱歩「ソ連と中共の近況」

  • 『探偵倶楽部』1957年1月号に、アレフィエフ「赤い小箱」(訳:袋一平) / С. Арефьев "Красная шкатулка" http://www.ozon.ru/context/detail/id/5469616/
    • 目次に書かれたあおり文句は、「テレビを使った新犯罪・ソヴェト現代探偵小説の傑作!」

  • 『毎日新聞』1957年1月20日朝刊に「ソ連はスリラーがお好き」との記事が出る。乱歩が探偵作家クラブ会報への転載を会報編集者に勧めるが、その後、転載なし。

  • 『日本探偵作家クラブ会報』第119号()に、江戸川乱歩「海外近事」(「ソ連のキム氏からの第三信」)

  • 『日本探偵作家クラブ会報』第120号(1957年7月)に、袋一平「ソ連の探偵小説界近況」
    • 引用:「ソ連に於ける芸文【「芸術文学」のことか? あるいは「文芸」の誤植か?】界を展望するに、ここ数年来、冒険小説、探偵小説論議がさかんとなり、芸術文学の魅惑的なひとつのジヤンルとして、これを待望する声が強くなつた。それにつれて、従来のスパイものから、しだいに本格的なものが現われはじめたというのが、今日の段階である。」

  • 『宝石』1957年8月号に、江戸川乱歩「海外近事──アメリカ、ソ連、オランダ」(「ソ連探偵小説界の近況」)

  • 『探偵倶楽部』1957年11月号に、レフ・シェイニン「婦人探偵の推理眼 =うっとうしい事件=」(訳:袋一平)
    • 「これは「シエイニン選集」ソヴエト作家社、モスクワ、一九五五年版より紹介したもので、シエイニンはもと予審判事、一九二〇年代未期(ママ)から、その手記を新聞雑誌に発表、作家としての経験を積んで、後に探偵小説専門作家となった。長篇には「軍事秘密」「お礼参り」短篇には「カリルの経歴」「狼群」などが有名である。」

  • 『探偵作家クラブ会報』第124号(1957年12月)に、「戦后ソヴエトで出版された日本の翻訳図書リスト」(1957年10月、日ソ翻訳出版懇話会が作成したもの)掲載。推理小説はなし。

1957年 解説


 袋一平氏が『日本探偵作家クラブ会報』に登場。以下の作品を詳しく紹介している。
  • アルカージイ・アダモフ(Аркадий Григорьевич Адамов, 1920-1991, ロシア語版Wikipedia
    • 「雑色事件」(400字詰原稿用紙で1000枚ぐらいの長編)
    • Wikipediaに単独で記事が立っている"Дело «пёстрых»" (1956)。映画化もされているようだ。
  • レフ・シェイニン(Лев Романович Шейнин, 1906-1967, ロシア語版Wikipedia
    • 短編集「古なじみ」(「うっとうしい朝」、「ナデジダの死」、「お礼参り」、「狼の群」など収録)
    • "Старый знакомый" (1957)
  • D・フラブロヴイツキー(Даниил Яковлевич Храбровицкий, 1923-1980, ロシア語版Wikipedia)、V・ウエデーエフ(В. Ведеев) ※会報では「D」ではなく「O・フラブロヴイツキー」となっているが、誤植
    • 「追跡」(『アガニョーク』1956年40号から44号まで連載)
    • 原題 "ПО СЛЕДУ"、Googleブックスで読めるようになっている(40号41号42号43号44号
  • N・シパーノフ(Николай Николаевич Шпанов, 1896-1961, ロシア語版Wikipedia
    • 「魔法使の弟子」(袋一平氏曰く、「ソ連のシャーロック・ホームズを創造するという意気で探偵小説を書いている人」)

 ほかに内容紹介はないが、最近の作品として以下のものが挙げられている。
  • G・マトウエーエフ(Герман Иванович Матвеев, 1904-1961, ロシア語版Wikipedia
    • 「タランテラ」 / "Тарантул"(1957)
    • 何度も再刊される人気作のようである。2011年版
  • ベズーグロフ
    • 「弁護士の日記」
  • N・シャグーリン
    • 「見知らぬ旗」
  • M・ボジャートキン
    • 「駅の出会い」
  • V・ミハイロフ(Виктор Семенович Михайлов)
    • 「犯人の名前で」
  • N・トマン(Николай Владимирович Томан, 1911-1974, ロシア語版Wikipedia
    • 「グーロフ技師の図面の謎」/ "Загадка чертежей инженера Гурова" (1955)

その後、袋一平氏は早川書房の最初のソビエトSF短編集『宇宙翔けるもの』(1963年6月、ハヤカワ・SF・シリーズ)の翻訳などに携わる。1971年、逝去。


最終更新:2011年05月23日 14:50