GS たのしい知識 vol.4-7


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目次作成は薔薇十字制作室:はてな出張所MIL BOOKSを参考にした。

GS: 1984.6-1988.9  日経イメージ気象観測: 1987.7-1994.3  季刊思潮: 1989.1-1990.4  季刊都市: 1989.7-11
vol.1-3← →日経イメージ気象観測 →季刊思潮 →季刊都市

GS・たのしい知識、vol.4-7 1986.12-1988.9


第II期vol.4、1986.12「特集=戦争機械」

浅田彰・生井英考・武邑光裕・細川周平責任編集
 発行所:UPU、表紙・目次デザイン・本文レイアウト:戸田ツトム
 本号より浅田彰・生井英考・武邑光裕・細川周平の責任編集となって、第二期スタート。
  • 田中敏彦「戦争機械と国家装置:ドゥルーズの方法について」
  • 小沢秋広「遊牧民論:戦争機械:その内在的側面から」
  • Férix Guattari・Paul Virilio・Alain Joxe・Giairo Daghini「ニュークリア・ステート」 *1 (浅田彰・市田良彦・中島ひかる訳)
  • Paul Virilio・Sylvere Lotoringer「純粋戦争」 *2 (細川周平訳) 〔→『純粋戦争』UPU(GS叢書)、1987.12〕
  • Paul Virilio「彼岸の戦略」
  • Paul Virilio「根源的アクシデント」
  • Paul Virilio「戦争における非物質的なもの」
  • Paul Virilio「映画館『フェルン・アンドラ』」
  • Paul Virilio「未来主義とファシズム」
  • 浅田彰「ジーバーベルクを見るドゥルーズ」
  • ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク「『ヒトラー』をめぐる最後の旅」
  • 四方田犬彦「ジーバーベルクの余白に」
  • ジャン=ズィータ・グローヴァ「アイロニーのカレイドスコープ」
  • 市田良彦編「《地図》 「テロリズム」のリビドー経済学」
  • 市田良彦「戦争と平和、あるいは、ジュネがマオに接吻する」
  • アレクサンドル・コジューヴ「戦争の完了についての二つのノート」
  • 丹生谷貴志「歴史の完了と戦争」
  • 樫村晴香「彼岸の強者と此岸の死者:法と自然0」
  • 花村誠一「師・金属・分裂病:もう一つのカタトニア論」
  • 宇野邦一「ロレンスの戦い」
  • 山名哲史「「合理的戦争人」の誕生:戦うクラウセヴィッツから恋するヒトラーへ」
  • 丸山浩行「ハルマゲドン・シンドローム:黙示録的終末観による知への抑圧」
  • 彦坂裕「死の幾何学:俯瞰マニアと錯乱のグラフィズム」
  • 三宅理一「ヴォーバン」
  • J. G. Ballard「二十世紀の神話創造者」
  • William S. Burroughs「『ザ・ワイルド・ボーイズ』」 *3
  • William S. Burroughs「マインド・ウォー」
  • William S. Burroughs「国家の安全保障のために」
  • William S. Burroughs「新しき蛙よ、目覚めよ!」(聞き手:Daniel Odier) *4 (藤原えりみ訳)
  • William S. Burroughs「皆殺し作戦」(聞き手:Sylvere Lotoringer)
  • ジェラール=ジョルジュ・ロメール「異形態の戦い/疫病/ノヴァ」
  • William S. Burrough「『残虐行為展覧会』への序文」
  • J. G. Ballard「インタビュー 真実を見出すこと、あるいは精神の戦場」(聞き手:ジュノ&ヴェイル)
  • Jonathan Crary「J=G・バラード 散乱する形態」 *5 (?訳)
  • 志賀隆生「P=K・ディックと戦争機械」
  • 文:三上晴子、写真:英隆「BADART FOR BAD PEOPLE」
  • ゾーイ・ソファ「絶滅の装置としての胎児 妊娠中絶・軍縮および地球外主義の性ー記号論」
  • 大原まり子「人工身体 イメージの器」
  • 藤井雅実「脱臼と共振:美術・機械の乱流」
  • ジェネシス=P・オーリッジ「VIDEO WAR」
  • 菅村雅信「ZTT 音波のコカコーラ・ボトラーズ」
  • ポール・テイラー「ミックス・マスターズ」
  • フランク・オーウェン+キャロライン・フランク「ポスト・モダニズム AからZまで」
  • ノーマン=O・ブラウン「炎之巻」
  • 中村忠男「ガンダルヴァの風系 森には入ってゆくいくつかの方法について a Minotauros et Kentauros」
  • クロード=レヴィ・ストロース「南アメリカのインディアンおける戦争と交易」
  • ピエール・クラストル「暴力の考古学」 *6
  • 柄谷行人「「方法序説」への註釈」
狂言回廊
  • 御輿振り その中世的表象 山本ひろ子
  • 佐藤良明「英語基本動詞研究4 スターティング・オーバー編」

第II期vol.5W、1987.4「特集=電視進化論」

浅田彰・武邑光裕責任編集
 発行所:UPU、編集スタッフ:萩原富雄・窪田由美・田村洋子・横田紀子
※ 付記や備考のように文章コラージュや短文が破格のスタイルで挿入されており、また翻訳選択が誰によるものなのかが明確になっているので、通常は邦訳解説として明記しない短文等も含め、本号の目次は緻密に辿ることにした。タイトルのない短文は「無題」と表記し、書き出し文章をカッコ内に提示した。一部は書き出しのしばらく後の箇所だが(無題(「わたしのお気に入りヴィデオ」で・・・))、それは目次の表記にしたがっている。

挟み込まれた紙:浅田彰「〈電視進化論〉附記」
電視進化論
  • 武邑光裕「無題(ニューヨークのパブリックTV局であるWNETの建物は……)」、p.1
  • Jonathan Crary「スペクタクルの蝕」 *7 (浅田彰・市田良彦訳)、pp.2-13
  • 浅田彰「無題(気鋭の美術史家・評論家であり、ZONEの編集委員でもあるジョナサン・クレーリーについては……)」、p.12
  • Paul Virilio「潜在的イメージ」 *8 (菅啓次郎訳)、pp.14-16
  • Paul Virilio・Jean-Paul Fargier「スピード=映画(シネマ)」 *9 (菅啓次郎訳)、pp.16-21
  • Jean-Paul Fargier・Don Foresta「ヴィデオは決して偶然を廃棄しないだろう」 *10 (千葉茂隆訳)、pp.22-25. pdf
  • 四方田犬彦「ファルジエの余白(マルジュ)に」、p.24
  • Marc Guillaume「われわれを身体から解放せよ」 *11 (牧田弥訳)、pp.25-29
  • 浅田彰「無題(1940年に南仏で生まれ、パリで経済学を学んだマルク・ギヨームは……)」、pp.26-28
  • Umberto Eco「TV:失われた透明性」 *12 (山本敦子訳)、pp.29-39. «TV : la transparence perdue»
  • 細川周平「無題(ウンベルト・エーコ(1932-)は、『記号論』をはじめ……)」、pp.35-38
  • Raymond Bellour「ヴィデオ・ユートピア:その前衛的存在あるいは非存在」 *13 (加川順治訳)、pp.39-45. cf. Bill Viola Bibliography
  • 浅田彰「無題(マスメディアとしてのTVに対抗して自らを規定し……)」、pp.44-45
  • 山崎浩一「白いブラウン管から恋人の瞳を射る日」、pp.46-47
  • 手塚眞「もっとも過激な映像としてのTV」、pp.47-49
  • 鈴木布美子「TVの映画的不幸をめぐる幸福な物語」、p.49
  • 浅田彰「新しい画像技術、新たなネットワーク」、pp.50-51
  • Edmond Couchot「画像のデジタル合成」 *14 (菅啓次郎訳)、pp.52-57. html
  • Edmond Couchot「ハイブリッド化」 *15 )(菅啓次郎訳)、pp.57-61
  • Edmond Couchot「リアル・タイムを求めて」 *16 (菅啓次郎訳)、pp.61-66. cf. Edmond Couchot Bibliography
  • 浅田彰「無題(エドモン・クーショはデジタル技術の視覚芸術への応用を追求する研究者であり……)」、pp.65-66
  • 浅田彰「スクリーンから電脳都市へ:ドゥルーズ『映画』を読む」、pp.67-71
  • Christine Tamblyn「リン・ハーシュマンの物語的反物語」 *17 (幾島幸子訳)、pp.72-77
  • Luca Muscarà「インターラクティヴ・パソロジー」 *18 (山田和子訳)、pp.76-80
  • 四方田犬彦「無題(Jean-Luc says, Cinema and video are just as Cain and Abel.....)」、p.81
  • 四方田犬彦「はじめてヴィデオ・カメラを手にした年少の友人によせる手紙」、pp.82-83
  • 三浦明彦「長い人生の伴侶にTVゲームをどうぞ」pp.84-89、
  • 浅田彰「無題(先日ロバート・エイブルと会ったとき、彼が語っていたアイディアの一つは…・・・)」、pp.87-89
  • 武邑光裕「マックス・ヘッドルーム」、pp.90-91
  • 浅田彰「無題(マックス・ヘッドルームが日本のTVにチラリとお目見えしたのは……)」p.91
  • Dorothée Lalanne「チャンネル4:制約なきチャンネル」 *19 (千葉茂隆訳)、pp.92-93
  • Kathleen Hulster「主張をもったテレヴィジョン:イギリスのチャンネル4」 *20 (山田和子訳)、pp.94-97
  • Kathleen Sturken「TVラブWNET」 *21 (山田和子訳)、pp.97-100
  • Susan Dowling「WGBH/ニュテレヴィジョン・ワークショップ」 *22 (山田和子訳)、pp.101-103. html, pdf
  • Joanne Kelly「ナショナルセンター・フォー・エクスペリメンツ・イン・テレヴィジョン」 *23 (山田和子訳)、pp.103-104
  • 武邑光裕「パブリック・アクセス・アーキテクチャー:マンハッタン・ケーブルTVとメディア・フロンティア」、pp.105-113
  • 武邑光裕「無題(アメリカにおける大都市のフランチャイズ(放送権公的認可)を求める動きは……)」
  • 武邑光裕「サテライト・ネットワーク」、pp.114-115
  • 浅田彰「『バイバイ、キップリング』見聞記」、pp.115-117
  • 「日本側は三宅一生氏や横尾忠則氏も」「ナムジュン・パイクの「瞬間地球芸術」がおもしろい!」(『東京新聞』1986年9月17日号、『週刊ポスト』1986年11月7日号から抜粋)、pp.115-117
  • Hal Foster「TV:その二つの部分」 *24 (藤原えりみ訳)、pp.118-119
  • Gretchen Bender「政治的娯楽」 *25 (藤原えりみ訳)、pp.119-120
  • 川崎徹「TVについて」、pp.121-122
  • いとうせいこう「「わたしに躓かぬものはさいわいである」とファミコンは言った」、pp.122-123
  • 宮沢章夫「壷の鑑賞」、pp.124-125
  • James M. Welsh「TVにおける核の意識」 *26 (山田和子訳)、pp.126-133. cf. Rose Bene, «Book Review. Transmission, edited by Peter D’Agostino and {Using Computers: Human Factors in Information Systems by Raymond S. Nickerson», Canadian Journal of Educational Communication, vol.16-no.3, Summer 1987, pp.271-275.
  • 浅田彰「無題(『ザ・ウォー・ゲーム』についてはすでに羽仁進が……)」、pp.132-133
  • Peter C. Rollins「テレヴィジョンのヴェトナム」 *27 (岡本直也による抄訳)、pp.134-140. cf. Pay-to-Download site
  • Jean-Paul Fargier「はめ込まれた人間」 *28 (千葉茂隆訳)、pp.140-142
  • John Wyver「TVとポスト・モダニズム」 *29 (尾河直哉訳)、pp.142-145
  • Jefferson Humphries「官能的(セクシー)な雑種性」 *30 (小沼純一訳)、pp.146-149
  • 浅田彰「無題(ミュージック・ヴィデオがヴィデオ・アート自体にもたらした……)」、p.147
  • 浅田彰「無題(前作『スレイヴ・トゥ・ザ・リズム』でトレヴァー・ホーンとともに〝はやい資本主義″と″きらめくテクノロジー″の頂点を極めた感のあるグレーズ・ジョーンズだが……)」、p.148
  • 浅田彰「無題(ミュージック・ヴィデオの中から出てきたもっとも興味深い成果は……)」、p.149
  • 浅田彰「ここまできたTVシミュレーション」、pp.149-151
  • 桑原茂一「確かに恐ろしかった。だけど、それじゃ僕たちはいったいどうすればいいんだ。」、pp.151-152
  • 浅田彰「無題(「わたしのお気に入りヴィデオ」でベスト5のひとつに『グレン・グールド:ピアノ演奏の秘密』を挙げた僕……)」、pp.152-152
  • 浅田彰「無題(同じく音楽を扱っても、フランスのヴィデオ・アーティスト、ロベール・カーンの手法は……)」、p.153
  • 生井秀考「暗殺」、pp.154-156
  • 「無題(それらの光のひとつひとつは交互に……)」(クロード・シモン『盲いたるオリオン』〔平岡篤頼訳、新潮社、1976〕からの抜粋)、pp.155-156
  • 「TVカメラの前で短銃自殺」(『朝日新聞』1987年1月23日号から抜粋)、p.156
  • 浅田彰「TVアクシデントの時代に絵画はいかにして可能か」、p.156
  • 浅田彰「無題(いくつかの顔を重ね合わせて、新しい顔を合成する。……)」、pp.157-159
  • William A. Ewing「ナンシー・バーソン」 *31 (尾河直哉訳)、p.158
  • 「無言の政見放送始まる」(『朝日新聞』1986年6月24日号からの抜粋)、p.159
  • 大竹伸朗「奥村チヨはモノクロTVにナイロビの光を見たか:炭坑編」、pp.160-161
  • 野阿梓「「テレビくん」の記憶」、pp.161-163
  • 大原まり子「テレヴィジョン」、pp.163-164
  • 香山リカ「分裂病者の時代は終わった」、pp.165-167
  • Martha Gever「ミート・ザ・プレス:「ペーパー・タイガー・テレヴィジョン」についての覚書き」 *32 (旦敬介訳)、pp.168-176
  • 「マーナ・ベインが『エボニー』を読む」、pp.172-176
  • 高橋周平「TV風化の時代」、pp.177-179
  • 浅田彰「ヴァズルカ:映像の政治学」、p.180
  • 三上晴子「[写真] 核戦争ノ前ニ精神病ニナッタTV貝塚」 (見開き頁内、頁数記載なし)
  • 武邑光裕「CGアスペクト:SIGGRAPH ‘86」 (見開き頁内、頁数記載なし)
  • 宮島達男・Koen Theys「作品」 (見開き頁内、頁数記載なし)
  • 浅田彰「無題(クリス・デルコンに今もっとも注目するベルギーのヴィデオ作家はと尋ねたら……)」 (見開き頁内、頁数記載なし)
TV進化論 TV EVOLUTION
  vol.5Wとあるように、本号は雑誌『W-Notation』(UPU)と同じく表表紙から始まる縦組文章と、裏表紙から始まる横組文章を合わせた造本になっており、前者が「電視進化論」、後者が「TV EVOLUTION」となっている。
  • 浅田彰「無題(去年の12月11日、パリのポンピドゥー・センターで……)」、p.1
  • 浅田彰「TVEV MANIFEST」、pp.2-3
  • 構成:浅田彰・義江邦夫「TVEV LIVE: TV WAR ADELIC PENGUINS」、pp.4-5
  • 原田大三郎「TVEV BROADCAST」
「COMPUTER EVOLUTION」(ナレーター:浅田彰、製作:SEDIC)、pp.8-33
制作ノート
  • ?(EY)「ディジタル・ポートレート制作の手引き」、p.12 ※目次欄では「制作ノート」の執筆者として他に小高忠男、泉秀樹が上がっているがイニシャルが一致しない。
  • 石原恒和(TI)「レクチャーパートのヴィデオ表現について」、p.12
  • 石原恒和(TI)「マルチウィンドウ形式のヴィデオ表現について」、p.14
  • 倉繁宏輔(KK)「天然知能と周辺機器」、p.16
  • 神谷良一(RK)「ディスプレイ上に青白く輝くあの頭部データはどうも半生命状態にあるらしい」、p.18
  • 石原恒和(TI)「浅田彰氏の声のベクトルスコープ」、p.20
  • 石原恒和(TI)「CTスキャナー撮影裏話」、p.24
  • 桝山寛(HM)「虫歯と副鼻腔」、p.26
  • 三浦明彦(AM)「ライフゲームに愛を込めて」、p.28
  • 桝山寛(HM)「AA アズ マテリアル」、p.30
  • 毛利嘉考(YM)「編集というのは不思議な作業です」、p.32
  • 「浅田彰頭部三次元データ再構成の実際」、pp.34-35
「TECHNO EVOLUTION」
  • 『われわれ人間はなぜかくもテクノロジーを愛するか』(鈴木圭介・浅田彰訳、翻訳協力:三宅晶子・細川周平)、pp.36-57
  • 浅田彰「無題(このタイトルは、正確に言うと……)」、p.38
  • 浅田彰「無題(下の図、ヤン・ファン・アイクの……)」、p.40
  • 浅田彰「無題(こうして収穫された夥しいキス・シーンは……)」、p.40
  • 武邑光裕「Why We Men Love Technology So Much制作の背景」、p.42, p.44
  • Stefaan Decostere・Chris Dercon「Catastrophe: the new Museum制作ノート」(武邑光裕訳)、p.44
注 近年のデルコンについては、cf. Chris Dercon, «The Meseum Concept is not Infinitely Expandable?», 金沢21世紀美術館研究紀要『R』no.1、2002、pp.22-27[鷲田めるろ訳「美術館の概念は無限に拡張可能ではない?」、同書、pp.16-21]
  • 浅田彰「無題(『カイエ・デュ・シネマ』の別冊「ヴィデオはどこへ行くのか?」の編集にあたったジャン=ポール・ファルジエは……)」、p.46
  • Paul Virilio「ヴィリリオはヴィデオがお好き」 *33 (聞き手:Jean-Paul Fargier)(加川順治による抄訳)、p.46, p.48
  • 浅田彰「クラウス・フォン・ブルッフ・ヴィデオグラフィー」、p.48, p.50, p.52
  • 浅田彰「メーヘレンについて」、p.52
  • 浅田彰「クリス・デルコン」、p.52, p.54
  • 浅田彰「無題(壮大な夜の天空の絵で有名なジャック・ゴールドスタインが……)」、p.54
  • Douglas Crimp「ジャック・ゴールドスタイン」 *34 (山田和子による抄訳)、p.54, p.56
「BAROQUE EVOLUTION」
  • ヴィデオ映像「柄谷行人「鏡・ヴィデオ」」、pp.61-62
  • ヴィデオ映像「磯崎新「電子の迷宮」」、pp.63-65
  • ヴィデオ映像「現代の地獄 『HELL』」、pp.66-67
  • ヴィデオ映像「F. ガタリ「ポスト・メディア」」(ホームヴィデオによる撮影:Joséphine Guattari、川竹英克訳)、pp.68-73
  • 田口賢司「Making of TVEV」、p.72, p.74, p.76
  • ヴィデオ映像「柄谷行人「デカルトと精神」」、pp.75-76
  • 「スタッフ一覧」、p.78
注 ジョゼフィーヌ・ガタリ  Joséphineはしばしば文献によりジョセフィーヌあるいはジョゼフィーヌと記され、表記が安定していない。本号ではジョゼフィーヌと表記されている。なお、同時期のガタリに関連した映像として、「La Borde Clinic Residents with Felix GUATTARI & TANAKA Min(ラボルド・クリニックの一日:住人のみなさんとF・ガタリ&田中泯)」(produced by Joséphine Guattari, edited by Francois Pain, 1987)があり、2008.3.29.-30.にはヴィデオ所有者である田中泯の提供によって、日本初公開が実現した(東京藝術大学にて、「ネグリさんとデングリ対話」主催)。ジョゼフィーヌ・ガタリについては、粉川哲夫・杉村昌昭「対談 思想の発生現場」(粉川哲夫編訳『政治から記号まで:思想の発生現場から』インパクト出版会、2000.5、pp.101-150)で多少触れられている。cf. 攝津正による抜粋 また、配布解説文の抜粋だろうか、ネグリによる言及文章がある。イルコモンズ▼「ラボルド・クリニックの一日」 3月29日(土)17:00-、30日(日)17:00-

第II期vol.5 1/2、1987.6「特集=ジュネ・スペシャル」

浅田彰責任編集
 発行所:UPU、本文タイトル・目次写植印字:駒井靖夫、編集スタッフ:荻原冨雄・窪田由美・田村洋子・横田紀子

語るジュネ
  • Jean Genet「レンプラントの秘密」(松浦寿夫訳)
  • Jean Genet「シャルトルの大聖堂〈透視俯瞰〉」(鵜飼哲訳)
  • Jean Genet「インタビュー1964」(諏訪部仁訳)
  • Jean Genet+フーベルト・フィヒテ「インタビュー1975」(増田成子訳)
  • Jean Genet+ライラ・シャヒト+リュディガー・ヴィッシェンバルト「インタビュー1983」(梅木達郎訳)
  • Jean Genet+セルジュ・ソブツィンスキー「インタビュー1985(坂原真理訳)
舞台上のジュネ
  • 浅田彰・渡邊守章「舞台の上の政治学 1986年11月24四日京都大学」
  • 渡邊守章「演劇と祝祭~「バルコン~革命夜話幻想館」公開稽古における解説 1983年3月4日スタジオ200」
  • クロード・モーリヤック「もうひとつのまなざし ジャン・ジュネの映画作品に加えられた24年間の上映禁止」(尾形邦雄訳)
  • ポール・テイラー+エイドリアン・マーティン「愛は何処に」(三尾徹訳)
パレスチナのジュネ
  • Jean Genet「ジュベル・フセインの女たち」(澤田直之訳)
  • Félix Guattari「再び見出されたジュネ」 *35 (浅田彰・市田良彦訳)
  • ルネ・ド・セカッティ「知恵の七剣」(川竹英克訳)
  • Michell Deguy「ジャン・ジュネの”ピエタ” ミクロレクチュールの試み」(森田秀二訳)
  • 四方田犬彦「母性と幻滅 ジュネの遺作『恋の囚人』をめぐって」
  • 鵜飼哲「鏡のなかの神々 『恋の捕囚』の余白に」
  • 市田良彦「象嵌術」 〔→改題、第2部「防御の唯物論とテロルの観念論」第5章「薔薇を象嵌するゲリラたち」、『闘争の思考』人文書院、1993.6〕
  • Gilles Deleuze「ヤセル・アラファトの偉大」(丹生谷貴志訳)
  • アブデルケビル・ハティッヒ「反ユダヤ主義とシオニズムを超えて」(澤田直之訳)
  • マフムード・ダルウィッシュ「パレスチナ人であるという狂気」(生方淳子訳)
  • クロード・モーリヤック「パリ、1972年12月15日金曜」(尾形邦雄訳)
  • タハール・ベン・ジェルーン(Tahar Ben Jelloun)「ジュネとパレスチナ人」(澤田直之訳)
  • Tahar Ben Jelloun「単独者の声」(澤田直之訳)
  • Tahar Ben Jelloun「ジュネ沖へ逃げる」(澤田直之訳)
  • 澤田直之「あらゆる言語の予期せざる客 タハール・ベン・ジェルーン」
ジュネを読み直す
  • 宇野邦一「ジュネと非暴力」→?『ジャン・ジュネ:身振りと内在平面』以文社(以文叢書)、2004.3
  • 梅木達郎「逃げ去るテクスト~サルトル/デリダ 二つのジュネ論をめぐって」
  • Jacques Derrida「造花の埋葬 『弔鐘(グラ)』から」(市田良彦編訳)
  • 「1910~1986 Jean Genet CHRONOLOGIE」
砂の回廊
  • 島田雅彦「愛のメエルシェトレエム」
  • 朝吹亮二「密室論(縫)いあわす羊歯」
  • 北川建次「ジャン・ジュネ頌」
  • 石井辰彦「男の舌」
  • 夏石番矢「薔薇色ノ霊歌」
  • 松浦理英子「POP NAVEL POPPIN’ 優しい去勢のために3」
  • 小沼純一「砂の反覆 ジャベスへの一アプローチ」

第II期vol.6、1987.11、「特集=トランス・アメリカ/トランス・アトランティック」

責任編集:生井英考・伊藤俊治・武邑光裕・石井康史・今福龍太・管啓次郎・旦敬介
発行所:UPU

第II期vol.7、1988.9、「特集=神国・日本」

責任編集:赤坂憲雄・武邑光裕・四方田犬彦
発行所:UPU

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ヘルプ / FAQ もご覧ください。

*1 Férix Guattari, Paul Virilio, Alain Joxe et Giairo Daghini, «Table ronde: L’Etat nucléaire», Change International, no.2, mai 1984.

*2 Paul Virilio and Sylvere Lotoringer, Pure War, Foreign Agents Series, 1983, Semiotext(e), 1997.

*3 William S. Burroughs, «The Wild Boys», The Wild Boys: A Book of the Dead, Grove Press, 1971.[山形浩生訳「ワイルド・ボーイズ(猛者)」、『ワイルド・ボーイズ(猛者):死者の書』ペヨトル工房、1990]

*4 William S. Burroughs, «?», interview with Daniel Odier, The Job: Interviews with William Burroughs, Grove Press, 1970.

*5 Jonathan Crary, «J. G. Ballard and the Promiscuity of Forms», Zone, no. 1-2, 1986, pp.159-165.

*6

*7 Jonathan Crary, «Eclipse of the Spectacle», Brian Wallis, ed., Art After Modernism: Rethinking Representation, The New Museum of Contemporary Art, 1984, pp.283-294.

*8 Paul Virilio, «L’Image virtuelle», Revue d'Esthétique, no.10, 1986 :Video-Video, pp.33-35

*9 Paul Virilio, «Cinéma-vitesse», Conversation avec Jean-Paul Fargier, Revue d'Esthétique, no.10, 1986 :Video-Video, pp.37-43.

*10 Jean-Paul Fargier et Don Foresta, «Jamais la vidéo n’abolira la hasard», Traverses, no.23, CCI, Centre Georges Pompidou, pp.131-135.

*11 Marc Guillaume, «Délivrez-nous de corps», Traverses, no.29, 1983, CCI, Centre Georges Pompidou, pp.59-65.

*12 Umberto Eco, «TV: la trasparenza perduta», Sette anni di desiderio: cronache 1977-1983, Bompiani, Milano, 1983, pp.163-180.; traduction française par Myriam Tanant et Piero Caracciolo, «TV : la transparence perdue», La guerre du faux, Grasset & Fasquelle, Paris, 1985, pp.141-158.

*13 Raymond Bellour, «l'utopie vidéo: être ou ne pas être d'avant-garde», Cahiers du cinéma, 1986, hor série no.14: Où va la vidéo?, sous la direction de Jean-Paul Fargier, pp.90-95. Repris dans L'entre images, La Différence, 1990, pp.52-65. Also reprinted in the catalogue: AFI National Video Festival Los Angeles , 1987.

*14 Edmond Couchot, «La synthèse numérique de l'image : vers un nouvel ordre visuel», Traverses, no.26, octobre 1982, pp.56-63.

*15 Edmond Couchot, «Hybridations», ouvrage collectif, Modernes et après; les Immatériaux, Autrement, avril 1985. (Il s'est déroulée au Centre national d'art et de culture Georges-Pompidou à Paris du 28 mars au 15 juillet 1985.

*16 Edmond Couchot, «A la recherche du Temps réel», Traverses, no.35, septembre 1985

*17 Christine Tamblyn, review, «Lynn Hershman's narrative anti-narratives», Afterimage, Summer 1986, pp.8-10.

*18 Luca Muscarà, «Interactive pathologis», Lola Bonora, ed., Install Video Side, Bologna; Grafis Edizioni, 1986, pp.114-115.

*19 Dorothée Lalanne, «Channel 4 sans chaînes», L'Autre journal, 1986.

*20

*21 Kathleen Hulster, «tube with a view: British Channel Four», Peter D’Agostino, ed., Transmission: Theory and Practice for a New Television Aesthetics, New York; Tanam Press, 1985.

*22 Susan Dowling, «The WGBH New Television Workshop», Peter D’Agostino, ed., Transmission: Theory and Practice for a New Television Aesthetics, New York; Tanam Press, 1985. Modiffyed with the title «History of the WGBH New Television Workshop» and reprint in Ars electronica, Supplement, 1986.

*23 Joanne Kelly, «The National Center for Experiments in Television KQED», National Film Festival (catalogue), October 22-23, 1983. (presented by American Film Institute at the John F. Kennedy Center for the Performing Arts, Washington, D.C.), pp. 58-59. Reprint in Transmission: Theory and Practice for a New Television Aesthetics, New York; Tanam Press, 1985.

*24 Hal Foster, «TV in Two Parts», Barbara Kruger, ed., T.V. Guides: A Collection of Thoughts about Television, Kuklapolitan Press, 1985.

*25 Gretchen Bender, «Political Entertainment», Barbara Kruger, ed., T.V. Guides: A Collection of Thoughts about Television, Kuklapolitan Press, 1985.

*26 James M. Welsh, «Nuclear Consciousness on Television», Peter D’Agostino, ed., Transmission: Theory and Practice for a New Television Aesthetics, New York; Tanam Press, 1985.

*27 Peter C. Rollins, «Television’s Vietnam: The Visual language of Television News», Journal of American Culture, no.4, 1981.

*28 Jean-Paul Fargier, «L’Homme incrusté», Cahiers du cinéma, numéro spécial, “Télévision” (supplément au no.328), automne 1981, pp.60-61.

*29 John Wyver, «Television and Postmodernism», Lisa Appignanesi, eds., Postmodernism. ICA Documents, London; Institute of Contemporary Arts, 1986, pp.52-54.

*30 Jefferson Humphries, «L’hybridité sensuelle», L'Ane, no.19, novembre 1984.

*31 William A. Ewing, «Nancy Burson», ?, 1985?

*32 Martha Gever, «Meet the press:On Paper Tiger Television», Afterimage, vol.11-no.4, November 1983, pp.7-11. Reprint in Peter D’Agostino, ed., Transmission: Theory and Practice for a New Television Aesthetics, New York; Tanam Press, 1985.

*33 Paul Virilio, «Virilio aime la vidéo: juste le temps», propos recueillis par Jean-Paul Fargier, Cahiers du cinéma, 1986, hor série no.14: Où va la vidéo?, sous la direction de Jean-Paul Fargier, pp.25-31.

*34 Douglas Crimp, «Pictures», October, no.8, Spring 1979. Reprint in Brian Wallis, ed., Art After Modernism: Rethinking Representation, The New Museum of Contemporary Art, 1984, pp.175-188.

*35 Félix Guattari, «Genet retrouvé», Revue d'études palestiniennes, n°21, 1986.9. Repris dans Revue d'études palestiniennes, numéro hors-série «Jean Genet et la Palestine», 1997.5