掲載記事1993年


1993
● 「共同討議 貨幣・言語・数:貨幣論から日本資本主義批判へ」(岩井克人・柄谷行人との座談会、1993.1.18.)、『批評空間』no.9、1993.4→岩井克人『資本主義を語る』講談社、1994.10→ちくま学芸文庫、1997.2
● 「新春京都特別鼎談 日本経済のターニングポイントを読む」(佐和隆光・?との座談会)、『週刊ダイヤモンド』1993年1月?日号
● 「歴史の終わり?」(フランシス・フクヤマへとの対話)、『SAPIO』1993年1月14日号、28日号、28-2月11日号、25日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「巻末特別対談」(岡崎京子との対談)、岡崎京子『東京ガールズブラボー』JICC出版局、1993.2
● 「フォーサイスの転回 21世紀バレエに向けて」、『フランクフルトバレエ団 日本公演II』プログラム、日本文化財団、1993.2
● 「メディアはマッサージである」、橋本典明『メディアの考古学』工業調査会、1993.3
● 「あなたの地球観に変化を迫る世紀末Q12」(筑紫哲也との対談)、浅田彰・高野孟・筑紫哲也『どうなる世紀末のゆくえ?』第三書館(実学百論)、1993.3
● 「編集後記」、『批評空間』no.9、1993.4
●「ところで、大学って何だ?」巻頭インタビュー『Serio』No.12、1993年4月号、68~73頁.増進会出版社
● 「「世界新秩序」の内部と外部」(スラヴォイ・ジジェクとの対談)、『SAPIO』1993年3月11日号、25日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「共同討議 貨幣・言語・数:貨幣論から日本資本主義批判へ」(岩井克人・柄谷行人との座談会)、『批評空間』no.9、1993.4→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● 「歴史の袋小路をぬけて」(エドワード・サイードとの対談)、『SAPIO』1993年4月8日号、22日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「共同討議 芸術の理念と〈日本〉」(磯崎新・岡崎乾二郎・柄谷行人との座談会、1993.4.6.)、『批評空間』no.10、1993.7.→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● “Capitalismo infantile e postmodernismo giapponese: una fiaba”, traduzione dall'inglese di Anna Grazia Calabrese, Flash art Italia, no.174, April 1993, pp.66 -67.
● 「Panel Discussion 新しい知の体系化に向けて」(西垣通・金子邦彦・清水博・荒俣宏・竹内啓とのシンポジウム。1993.5.15-16.青山学院で開催された第3回科学・技術フォーラム「Brains'93」の記録)、『アテネの学堂:34のブレインズ頭脳が展望する新しい知体系』ジャストシステム、1993
● 「さらに磨きがかかったポゴレリチの純な音」、『GQ JAPAN』no.3、1993年5月号
● 「忘却の淵を超えて:上田高弘氏に答える」、『批評空間』no.10、1993.7.
● 「編集後記」(1993.5.18.記)、『批評空間』no.10、1993.7.
● 「吉本ばなな・任天堂・YMO世界を覆う大衆文化の日本化と子どもの資本主義」(柄谷行人との対談)、『SAPIO』1993年6月10日号→改題『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題「「ホンネ」の共同体を超えて:柄谷行人との対話」、『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「露悪趣味に毒された日本人へ、憲法9条を守る偽善こそ善である」(柄谷行人との対談)、『SAPIO』1993年6月24日号→改題『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題「「ホンネ」の共同体を超えて:柄谷行人との対話」、『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「物質的アレゴリー:キーファーを神話化から奪回する」(岡崎乾二郎・多木浩二との座談会)、『ユリイカ』1993年7月号「特集=アンゼルム・キーファー」→改題「アンゼルム・キーファー:物質的アレゴリー」、『20世紀文化の臨界』青土社、2000
● 「シミュレーションの彼方に:ジャン・ボードリヤールとの対話」、『SAPIO』1993年8月26日-9月9日号、23日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「円熟し雄弁になることで失われたもの フォーレ『レクイエム』を再録音したM.コルボ」、『GQ Japan』1993年9月号:M.コルボが再録音したフォーレ『レクイエム』について(福田和也『喧嘩の火だね』に引用された)
● 解説「手紙の力」、坂本龍一・村上龍『友よ、また逢おう』角川書店(角川文庫)、1993.9
● 「?」、『BRUTUS』no.303、1993年9月15日号「特集=多芸多才の芸術家たち。」
● 「QUEER POLITICS:デレク・ジャーマンの現在」、『銀星倶楽部』vol.17、1993.9、「特集=クィーア・フィルム」
● 「共同討議 中上健次をめぐって 双系性とエクリチュール」(蓮實重彦・渡部直己・柄谷行人との座談会、1993.10.6.)、『批評空間』no12、1994.1.→柄谷行人編『シンポジウムII』太田出版、1997
● 「混沌のなかの政治性:ヴェネツィア・ビエンナーレを見る」、『InterCommunication』no.6、1993年秋号「特集=人工生命進化論」
● 「セッション総括」、蓮實重彦・渡辺守章編『ミシェル・フーコーの世紀』筑摩書房、1993.10
● 「ベルリン-バグダッド-リオ:アラン・リピエッツとの対話」、『SAPIO』1993年10月14日号、28日号、11月11日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「劇的な、あまりに劇的な レナード・バーンスタインの肖像」、『GQ Japan』1993年11月号:ブーレーズと対比しながらバーンスタインについて書いたもの(福田和也『喧嘩の火だね』に引用された)
● 「[検証 模索の時代]現代思想10年(1) 浅田彰さんに聞く」、『読売新聞夕刊』1993年12月6日号
● 「中上健次を再導入する」、『批評空間』no12、1994.1.
● 「編集後記」、『批評空間』no12、1994.1.
● 「共同討議 「〈戦前〉の思考」 1930年代的状況と現在」(小林康夫・絓秀実・西谷修・福田和也・山城むつみ・柄谷行人との座談会、1993.12.14.)、『批評空間』II-1、1994.4.→柄谷行人『シンポジウムII』太田出版、1997.10
● 「孤独の力:ジャン-リュック・ゴダール『新ドイツ零年』のために」、『新ドイツ零年』パンフレット、発行:広瀬プロダクション、1993.12→『批評空間』II-1、1994.4.→改題「孤独の力」、『映画の世紀末』新潮社、2000
● 「ジョン・ケスラー」、『ur』no.7、1993、「特集=ハイパーアート2」、pp.97-111

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最終更新:2022年04月17日 21:24
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