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#contents(fromhere) ----------------------------------------------------------------------- &bold(){1980s} **「TVEV LIVE: TV WAR」 (1985. 上映: 1985.9.15., 筑波科学博にて)  一部がyoutubeにアップロードされている http://www.youtube.com/watch?v=etlzBM3fOtU  TVEV BROADCASTは収録されていないものの、1985年9月のつくば万博で上映された「TV WAR」は1985年にVHSとLDが発売、2005年10月には(2004年12月に出た限定Box「坂本龍一 80年代の映像作品集」から選出されて)DVD化された。  浅田彰「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」ではこう回想されている。 「私自身がその線〔メディア・アートとの関わり〕でささやかな試みを始めるきっかけとなったのは、1985年に今野裕一が中心になって行われた立花ハジメとラディカルTV(原田大三郎+庄野晴彦)によるAVパフォーマンスである。ポップ・ミュージック・シーンの延長上に生まれたこの形式は、急速に洗練されていった。だが、このままでは、企業のAVスペースやTV番組のAVコーナーを飾る気のきいた意匠として消費されてしまうのではないかと危惧されたし、また実際、かれらの後から現れた多くのAVグループは、その危惧を現実のものとしていったのだ。  そこで私が試みたのは、そのパフォーマンスを、いちど途方もない規模に拡大してみることだった。筑波科学博のためにSONYが作った巨大なジャンボトロンを使って、開会式を前にした85年9月15日の夜に、坂本龍一とラディカルTVによって一度かぎり行われた〈TVEV LIVE: TV WAR〉がそれである。史上最大のTVを駆使して行われた、残酷にして花華やかな戦争のシミュレーション」(『ur』no.1、1990、p.27)。 **「Radical Station」 (1986.4.1-13. 放送: パルコ100chTVを中心に渋谷パルコのCATVシステムで放送)  Radical TVによる企画番組で、ライヴ・パフォーマンスを含め13日間で34番組を放送した。そのうち22番組の採録記事が『文化の近未来形 Radical Station』(ペヨトル工房、1986.12)に収められており、浅田彰は1986.4.12.放送の30番目と31番目の番組、「カソード・レイ=グラフィティー」(武邑光裕との対談)と「サンプリング・エイジのゲリラ達」(武邑光裕・原田大三郎との座談会)で登場((他の出演者・番組名を列記すると、ライブ演奏では:田口トモロウ、カラテ・バカボン、ナウ・バイル、遠藤賢司、タイム・スリップ、CATDOG(出渕亮一郎・勝屋友季子・山本智史)、唐戸淑雄、Radical TV。対談およびレクチャー番組では:三輪龍作・木佐貫邦子(「肉体のエロスと陶芸のエロス」)、石井和鉱・奥村靫正(「ものいう意匠」)、立花ハジメ・Radical TV(「モダン・シングス」)、伊藤高志・IKIF(木船徳光・石田園子)(「実験映画のアニマ」)、生田萬・如月小春(「時を駆ける演劇」)、外薗昌也・しりあがり寿(「メタ・イメージ」)、芳賀修光(「肉体の科学:身体をつくる」)、野々村文宏・みうらじゅん(「ロボットは友達」)、ヒサクニヒコ(「蘇る恐竜」)、矢崎政次(「電気発声機」)、大村皓一・河口洋一郎(「僕らはCGをヌーヴェル・イマージュと呼びたい」)、養老孟司・島田雅彦(「脳の解剖学」)、ココロ(「メカ・ティラノサウルス」)、生田萬・飴屋法水(「ディテールの快楽を求めて」)、小高忠男(「崩壊をつくる:バベル・ショック」)、外薗昌也・桝山寛・三木理(「SFXの快楽」)、石井聰亙(「バトルフィールド・トゥモロー」)、細川周平(「未来派講義」)、中沢新一・楳図かずお(「愛と魔術の宇宙的ちから」)、林海象・佳村萌・あがた森魚・佐野史郎(「夢みるように眠りたい」)、枝川公一・福島章(「病めるアメリカ」)、武邑光裕(「ミッドナイト・シアターの怪物たち」)、彦坂裕・藤森照信・大塚洋明(「東京改造計画」)。))。 【浅田の発言のいくつかの要旨】  フェアライトのCMI(Computer Music Instrument)とCVI(Computer Video Instrument)の類比、CVIもCMIぐらいの操作能力が望ましい。ミュージック・コンクレートやチャンス・オペレーション、ブーレーズらの音楽史的展開を横目で見ながらヴィデオ映像について考えていたと思われる。  日本の場合TVやヴィデオは、一億向けの全国的ネットワークと100人向けのギャラリーのようなネットワークに両極端に分かれてしまっているが、その中間ぐらいで、普通のオープンサーキットでもなく完全に閉じたギャラリーでもない試みが必要(p.11)、小回りのきくネットワークやメディア・シアターみたいなものがほしい(p.15)と発言。  放送権や著作権、パブリック・ドメインなどについても言及され(pp.14-15, pp.22-23)、アメリカの公共CATVで放送されている政治的なヴィデオアートを、それらを欠いた日本のCFと対比して論じる(pp.23-24)。こうしたPDや日常流されている映像を変形加工しまた投げ返すという手際において未来派との差異があると指摘。 **「AKIRA ASADA TVEV BROADCAST」 (1986. 放送: 1986.9.12., フジテレビ) part 6 http://jp.youtube.com/watch?v=fTHlofKcMJc part 7 http://jp.youtube.com/watch?v=HT2WvQMP-fA part 1 http://jp.youtube.com/watch?v=CScihJCTY08 part 2 http://jp.youtube.com/watch?v=JQpYJc-C9UY part 3 http://jp.youtube.com/watch?v=yi1EjOz7lrs part 4 http://jp.youtube.com/watch?v=0SBYaQ_HWlw part 5 http://jp.youtube.com/watch?v=aSWjJCjQcLQ part 8 http://jp.youtube.com/watch?v=hjCl8fotdpQ part 9 http://jp.youtube.com/watch?v=WPmskNsDQDg :上記「メディア・アートへの導入」でこう回想されている。 「だが、そういうライブ・パフォーマンスと同時に、メディアのネットワークへの浸透が試みられなければならない。およそ一年後の86年9月12日の深夜から翌日の早朝にかけてフジテレビで放送された〈TVEV BROADCAST〉は、その一つの試みだった。田口賢司のプロデュースのもとに、ラディカルTVによるプロローグを始め、石原恒和のディレクションによる浅田彰のレクチャー、ベルギー・ラジオ・テレビ局のステファン・デコステレがポール・ヴィリリオ、クラウス・フォン・ブルッフ、ジャック・ゴールドステインをフィーチャーして制作した実験番組「われわれ男たちはなぜかくもテクノロジーを愛するか」、そして柄谷行人、磯崎新、フェリックス・ガタリらのトークを加えて構成された番組が、4時間余りににわたって放映されたのである」(同上)。上に挙げられた動画は浅田レクチャーの箇所だろう。文字化された記録は[[『GS 楽しい知識』vol.5、1987.4、「特集=電視進化論」>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/68.html#id_226f61d0]]に収められている。  上記記録と比較したかぎり、youutubeでアップロードされている動画はその一部であるのみならず、順序も間違っているようだ。part 6, part 7は、part 1の前にあるはずの冒頭箇所である。したがって、紙面記録に基づいた正確な順序はpart 6, part 7, part 1, part 2, part 3, part 4, part 5, ◎, part 8, part 9である。上のURLリストは記録にしたがって並べなおしておいた。  「TVEV BROADCAST」は3章構成となっている。part 6-7, 1-5は第1章「COMPUTER EVOLUTION」。◎にはベルギー・ラジオ・テレビ局(BRT)製作の「われわれ男たちはなぜかくもテクノロジーを愛するか」("Warum wir Männer die Technik so lieben?", cast: Paul Virilio, Jack Goldstein, Stefaan Decostere, Chris Dercon, Klaus von Bruch, production: Claude Blondeel, Dienst Kunstzaken, BRT, 1985. 冒頭部分を[[こちら>http://www.youtube.com/watch?v=RCCba8umnR8]]で見ることができる。cf. [[Decostereの映像作品一覧>http://videos.cvsd.becoming.be/page.php?label=videos]])が第2章「TECHNO EVOLUTION」として挿入される。  part 8の4:45の箇所は本来の放送版では編集点であり、注意してよく見るとシーンが切れている。この箇所にビデオ映像『柄谷行人「鏡・ヴィデオ」』が挿入され、part 8の最後に「ニューヨークにそういう巨大なディスコを設計した磯崎新が語ります」と導入句を続け、ビデオ映像『磯崎新「電子の迷宮」』が挿入される。その後再びタクシーシートの場面の浅田に戻って数分語った後、アンデル・リスターの映像作品『HELL』が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、次いでビデオ映像『フェリックス・ガタリ「ポスト・メディア」』(撮影はガタリのパートナーであるジョゼフィーヌ・ガタリ)が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、ビデオ映像『柄谷行人「デカルトと精神」』が挿入され、最後にpart 9の浅田の語りで締めくくられる(ここまでが第3章「BAROQUE EVOLUTION」)。  1986年前後の柄谷の軌跡は[[ここ>http://www23.atwiki.jp/karatanibiblio/pages/44.html]]などを参照。  なお、Radical TVをはじめとする戦後日本のビデオ作品史にはChristophe Charles[[「Media arts in Japan: cinema, video, intermedia, 1951-1995」>http://home.att.ne.jp/grape/charles/texts/phd-chapters.html]](1996年博士課程提出論文。日本語版公開)がある。第1章「History of Media Arts in Japan」の第二部「Intermedia - Video」では「TV WAR」と「TVEV BROADCAST」(後者は本論文では「TV EVOLUTION」と記されている)についても軽く触れられており、参考になる。 **「事故の博物館」 (1989. 放送: 1989.3.21., NHK総合TV) part 1 https://www.youtube.com/watch?v=A_A4z7Li8-0 part 2 https://www.youtube.com/watch?v=8tD2DpqqSww part 3 https://www.youtube.com/watch?v=LuyYv8LHHYg part 4 https://www.youtube.com/watch?v=goi62jbnKMQ part 5 https://www.youtube.com/watch?v=1VVtMcGlbj0 :製作スタッフはNHKの柴田岳志、ラディカルTVの原田大三郎と庄野晴彦、浅田彰  製作の経緯をめぐっては『ur』no.1(1990)所収の浅田彰「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」「〈事故の博物館〉の舞台裏」、原田大三郎「事故の博物館」(聞き手:今野裕一)、庄野晴彦「デスクトップ・ヴィデオの可能性」(聞き手:今野裕一)参照。 &bold(){1990s} **「浅田彰が語るグレン・グールドの世界」 (1992,NHK) http://video.google.com/videoplay?docid=318854992669373005 **「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」(Jacques Derrida・磯崎新との座談会) (1992.6.7.京都の大徳寺高桐院にて。一部が1992.6.29.NHKk教育テレビで放送)  [[抜粋1>http://www.youtube.com/watch?v=8sSkjJ51IYI]](pp.336中段-338中段相当箇所)  [[抜粋2>http://www.youtube.com/watch?v=rmHGUh_0gr8]](pp.338下段-339下段相当箇所) 三浦信孝訳、『批評空間』no.8、1993.1.→『Anywhere:空間の諸問題』NTT出版、1994.3、pp.335-349. &bold(){2000s} **「farewell njp」 (2006)  2006年11月2日、ワタリウム美術館で開催されたナムジュン・パイク追悼ライブ「farewell njp」に参加したときのトーク音声がアップロードされている。以下は浅田発言箇所。 part 2 http://www.youtube.com/watch?v=bN_uhzj__V8&feature=related part 3 http://www.youtube.com/watch?v=w0sY96SZy8k  発言において触れられている『バイバイ、キップリング』(邦訳書籍版あり)の1986年10月の日本放映をめぐるエピソードは、浅田彰「『バイバイ、キップリング』見聞記」(『GS 楽しい知識』vol.5、「特集=電視進化論」所収)などで当時語られている。  ウィトゲンシュタインの兄弟たちが皆自殺したというエピソードを語り、「あ、そうそう、明日ウィトゲンシュタインの建築についてしゃべらなきゃいけないので君に聞きたかったところだったんだ」云々とパイクに尋ねられるというのは、1986年6月22日にウィーンでパイクと(ごく近いところにいるにもかかわらず)電話で語り合ったというくだりで、触れられている(浅田彰「クリス・デルコン」、同書、p.52)。そのときのパイクのインタヴュアーがデルコンだった。  また、1986年の「12月14日、ポンピドー・センターで〈日本の批評におけるモダンとポスト・モダン〉と題するシンポジウムの演壇に立っていた」ときにアラン・ジュフロワに告げられてパイクが来ていることを知り再会した際(([[1986>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/19.html]]「日本の近代批評とポストモダン批判」(柄谷行人・蓮實重彦・Félix Guattariとの座談会、1986.12.12.ポンピドゥー・センターでの日本文化をめぐるシンポジウムの記録)や中上健次・Jacques Derrida・(司会)Alain Jouffroy「穢れということ」(1986.12.13.同上)[宮林寛訳、『文學界』1987年5月号→柄谷行人・絓秀実編『中上健次発言集成3』第三文明社、1996] の翌日))、浅田がヴィリリオはパイクを賞賛していたことだし、二人を対談させてみようと考え打診していたところ、パイクも大いに興味を示したが、日程上無理であり、取りやめになったというエピソードも紹介されている(同書、「TV進化論」巻頭文章)。  なお、「電視進化論」特集、メディアアートへの浅田の関心は80年代中期から鮮明で、ジャン=ポール・ファルジエやヴィリリオ、エドモン・クーショなど、『カイエ・デュ・シネマ』ビデオ特集号や『Traverses(トラヴェルス)』(([[Traverses>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/?page=Traverses]]はポンピドゥーセンターが発行していた雑誌で、80年代末の時点ですでにリオタールやジジェク、ボードリヤールなどが寄稿していた。70年代末~80年代初頭にはヴィリリオが編集参加している。日本語版独自編訳がかつて今村仁司監修で『化粧 TRAVERSES 1』(1986)、『デザイン TRAVERSES 2』(1988.1)、『声 TRAVERSES 3』(1988.8)、『恐怖 TRAVERSES 4』(1989)、『ニッポン TRAVERSES 5』(1990)、『世紀末の政治 TRAVERSES 6』(1992)の6冊がリブロポートから刊行された。))、『ZONE』(([[ZONE>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/?page=ZONE]]は、当時ジョナサン・クレーリーやサンフォード・クウィンターが編集顧問を勤めた雑誌に近い論文集で(1986年創設)、1/2号合併号を含めて全5冊が出た。ZONE 5(1992)の後は主に単行本刊行が目立っている。ZONEは『Change International』とも一定の連携があったと推測され、GSやそれに続く時期の媒体である『季刊都市』ではいくつかこのへんの論文が訳されている。))、『Change International』に掲載された論文や対談を積極的に翻訳紹介しており、これはのちの『インターコミュニケーション』やICCへの積極的な関与にいたる。NHK教育番組についての持続的な関心は、いわばこの頃からの意識の残影のようなものだと言えるだろう。 **「《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》をめぐって」 (坂本龍一・高谷史郎・浅田彰・中沢新一との公開トークイベント。2007.9.15.ICCにて). ※[[こちら>http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20070915/]]からDL可能。 ●「ダムタイプ《S/N》トーク・イヴェント」(高谷史郎・BuBu de la Madeleine・高嶺格との公開トークイベント、2008.9.15.ICCにて). ※[[こちら>http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20080915/]]からDL可能。 ●「アーキテクチャと思考の場所」(2009.1.28.世界文明センターでの浅田彰・磯崎新・宇野常寛・濱野智史・宮台真司・東浩紀(司会)とのシンポジウム)※動画は音声のみ。 part 1 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980473 part 2 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980501 part 3 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980551 part 4 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980568 part 5 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980615 part 6 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980629 part 7 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980728
#contents(fromhere) ----------------------------------------------------------------------- &bold(){1980s} **「TVEV LIVE: TV WAR」 (1985. 上映: 1985.9.15., 筑波科学博にて)  一部がyoutubeにアップロードされている http://www.youtube.com/watch?v=etlzBM3fOtU  TVEV BROADCASTは収録されていないものの、1985年9月のつくば万博で上映された「TV WAR」は1985年にVHSとLDが発売、2005年10月には(2004年12月に出た限定Box「坂本龍一 80年代の映像作品集」から選出されて)DVD化された。  浅田彰「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」ではこう回想されている。 「私自身がその線〔メディア・アートとの関わり〕でささやかな試みを始めるきっかけとなったのは、1985年に今野裕一が中心になって行われた立花ハジメとラディカルTV(原田大三郎+庄野晴彦)によるAVパフォーマンスである。ポップ・ミュージック・シーンの延長上に生まれたこの形式は、急速に洗練されていった。だが、このままでは、企業のAVスペースやTV番組のAVコーナーを飾る気のきいた意匠として消費されてしまうのではないかと危惧されたし、また実際、かれらの後から現れた多くのAVグループは、その危惧を現実のものとしていったのだ。  そこで私が試みたのは、そのパフォーマンスを、いちど途方もない規模に拡大してみることだった。筑波科学博のためにSONYが作った巨大なジャンボトロンを使って、開会式を前にした85年9月15日の夜に、坂本龍一とラディカルTVによって一度かぎり行われた〈TVEV LIVE: TV WAR〉がそれである。史上最大のTVを駆使して行われた、残酷にして花華やかな戦争のシミュレーション」(『ur』no.1、1990、p.27)。 **「Radical Station」 (1986.4.1-13. 放送: パルコ100chTVを中心に渋谷パルコのCATVシステムで放送)  Radical TVによる企画番組で、ライヴ・パフォーマンスを含め13日間で34番組を放送した。そのうち22番組の採録記事が『文化の近未来形 Radical Station』(ペヨトル工房、1986.12)に収められており、浅田彰は1986.4.12.放送の30番目と31番目の番組、「カソード・レイ=グラフィティー」(武邑光裕との対談)と「サンプリング・エイジのゲリラ達」(武邑光裕・原田大三郎との座談会)で登場((他の出演者・番組名を列記すると、ライブ演奏では:田口トモロウ、カラテ・バカボン、ナウ・バイル、遠藤賢司、タイム・スリップ、CATDOG(出渕亮一郎・勝屋友季子・山本智史)、唐戸淑雄、Radical TV。対談およびレクチャー番組では:三輪龍作・木佐貫邦子(「肉体のエロスと陶芸のエロス」)、石井和鉱・奥村靫正(「ものいう意匠」)、立花ハジメ・Radical TV(「モダン・シングス」)、伊藤高志・IKIF(木船徳光・石田園子)(「実験映画のアニマ」)、生田萬・如月小春(「時を駆ける演劇」)、外薗昌也・しりあがり寿(「メタ・イメージ」)、芳賀修光(「肉体の科学:身体をつくる」)、野々村文宏・みうらじゅん(「ロボットは友達」)、ヒサクニヒコ(「蘇る恐竜」)、矢崎政次(「電気発声機」)、大村皓一・河口洋一郎(「僕らはCGをヌーヴェル・イマージュと呼びたい」)、養老孟司・島田雅彦(「脳の解剖学」)、ココロ(「メカ・ティラノサウルス」)、生田萬・飴屋法水(「ディテールの快楽を求めて」)、小高忠男(「崩壊をつくる:バベル・ショック」)、外薗昌也・桝山寛・三木理(「SFXの快楽」)、石井聰亙(「バトルフィールド・トゥモロー」)、細川周平(「未来派講義」)、中沢新一・楳図かずお(「愛と魔術の宇宙的ちから」)、林海象・佳村萌・あがた森魚・佐野史郎(「夢みるように眠りたい」)、枝川公一・福島章(「病めるアメリカ」)、武邑光裕(「ミッドナイト・シアターの怪物たち」)、彦坂裕・藤森照信・大塚洋明(「東京改造計画」)。))。 【浅田の発言のいくつかの要旨】  フェアライトのCMI(Computer Music Instrument)とCVI(Computer Video Instrument)の類比、CVIもCMIぐらいの操作能力が望ましい。ミュージック・コンクレートやチャンス・オペレーション、ブーレーズらの音楽史的展開を横目で見ながらヴィデオ映像について考えていたと思われる。  日本の場合TVやヴィデオは、一億向けの全国的ネットワークと100人向けのギャラリーのようなネットワークに両極端に分かれてしまっているが、その中間ぐらいで、普通のオープンサーキットでもなく完全に閉じたギャラリーでもない試みが必要(p.11)、小回りのきくネットワークやメディア・シアターみたいなものがほしい(p.15)と発言。  放送権や著作権、パブリック・ドメインなどについても言及され(pp.14-15, pp.22-23)、アメリカの公共CATVで放送されている政治的なヴィデオアートを、それらを欠いた日本のCFと対比して論じる(pp.23-24)。こうしたPDや日常流されている映像を変形加工しまた投げ返すという手際において未来派との差異があると指摘。 **「AKIRA ASADA TVEV BROADCAST」 (1986. 製作: テレビマンユニオン, 放送: 1986.9.12., フジテレビ) part 6 http://jp.youtube.com/watch?v=fTHlofKcMJc part 7 http://jp.youtube.com/watch?v=HT2WvQMP-fA part 1 http://jp.youtube.com/watch?v=CScihJCTY08 part 2 http://jp.youtube.com/watch?v=JQpYJc-C9UY part 3 http://jp.youtube.com/watch?v=yi1EjOz7lrs part 4 http://jp.youtube.com/watch?v=0SBYaQ_HWlw part 5 http://jp.youtube.com/watch?v=aSWjJCjQcLQ part 8 http://jp.youtube.com/watch?v=hjCl8fotdpQ part 9 http://jp.youtube.com/watch?v=WPmskNsDQDg :上記「メディア・アートへの導入」でこう回想されている。 「だが、そういうライブ・パフォーマンスと同時に、メディアのネットワークへの浸透が試みられなければならない。およそ一年後の86年9月12日の深夜から翌日の早朝にかけてフジテレビで放送された〈TVEV BROADCAST〉は、その一つの試みだった。田口賢司のプロデュースのもとに、ラディカルTVによるプロローグを始め、石原恒和のディレクションによる浅田彰のレクチャー、ベルギー・ラジオ・テレビ局のステファン・デコステレがポール・ヴィリリオ、クラウス・フォン・ブルッフ、ジャック・ゴールドステインをフィーチャーして制作した実験番組「われわれ男たちはなぜかくもテクノロジーを愛するか」、そして柄谷行人、磯崎新、フェリックス・ガタリらのトークを加えて構成された番組が、4時間余りににわたって放映されたのである」(同上)。上に挙げられた動画は浅田レクチャーの箇所だろう。文字化された記録は[[『GS 楽しい知識』vol.5、1987.4、「特集=電視進化論」>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/68.html#id_226f61d0]]に収められている。  上記記録と比較したかぎり、youutubeでアップロードされている動画はその一部であるのみならず、順序も間違っているようだ。part 6, part 7は、part 1の前にあるはずの冒頭箇所である。したがって、紙面記録に基づいた正確な順序はpart 6, part 7, part 1, part 2, part 3, part 4, part 5, ◎, part 8, part 9である。上のURLリストは記録にしたがって並べなおしておいた。  「TVEV BROADCAST」は3章構成となっている。part 6-7, 1-5は第1章「COMPUTER EVOLUTION」。◎にはベルギー・ラジオ・テレビ局(BRT)製作の「われわれ男たちはなぜかくもテクノロジーを愛するか」("Warum wir Männer die Technik so lieben?", cast: Paul Virilio, Jack Goldstein, Stefaan Decostere, Chris Dercon, Klaus von Bruch, production: Claude Blondeel, Dienst Kunstzaken, BRT, 1985. 冒頭部分を[[こちら>http://www.youtube.com/watch?v=RCCba8umnR8]]で見ることができる。cf. [[Decostereの映像作品一覧>http://videos.cvsd.becoming.be/page.php?label=videos]])が第2章「TECHNO EVOLUTION」として挿入される。  part 8の4:45の箇所は本来の放送版では編集点であり、注意してよく見るとシーンが切れている。この箇所にビデオ映像『柄谷行人「鏡・ヴィデオ」』が挿入され、part 8の最後に「ニューヨークにそういう巨大なディスコを設計した磯崎新が語ります」と導入句を続け、ビデオ映像『磯崎新「電子の迷宮」』が挿入される。その後再びタクシーシートの場面の浅田に戻って数分語った後、アンデル・リスターの映像作品『HELL』が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、次いでビデオ映像『フェリックス・ガタリ「ポスト・メディア」』(撮影はガタリのパートナーであるジョゼフィーヌ・ガタリ)が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、ビデオ映像『柄谷行人「デカルトと精神」』が挿入され、最後にpart 9の浅田の語りで締めくくられる(ここまでが第3章「BAROQUE EVOLUTION」)。  1986年前後の柄谷の軌跡は[[ここ>http://www23.atwiki.jp/karatanibiblio/pages/44.html]]などを参照。  なお、Radical TVをはじめとする戦後日本のビデオ作品史にはChristophe Charles[[「Media arts in Japan: cinema, video, intermedia, 1951-1995」>http://home.att.ne.jp/grape/charles/texts/phd-chapters.html]](1996年博士課程提出論文。日本語版公開)がある。第1章「History of Media Arts in Japan」の第二部「Intermedia - Video」では「TV WAR」と「TVEV BROADCAST」(後者は本論文では「TV EVOLUTION」と記されている)についても軽く触れられており、参考になる。 **「事故の博物館」 (1989. 放送: 1989.3.21., NHK総合TV) part 1 https://www.youtube.com/watch?v=A_A4z7Li8-0 part 2 https://www.youtube.com/watch?v=8tD2DpqqSww part 3 https://www.youtube.com/watch?v=LuyYv8LHHYg part 4 https://www.youtube.com/watch?v=goi62jbnKMQ part 5 https://www.youtube.com/watch?v=1VVtMcGlbj0 :製作スタッフはNHKの柴田岳志、ラディカルTVの原田大三郎と庄野晴彦、浅田彰  製作の経緯をめぐっては『ur』no.1(1990)所収の浅田彰「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」「〈事故の博物館〉の舞台裏」、原田大三郎「事故の博物館」(聞き手:今野裕一)、庄野晴彦「デスクトップ・ヴィデオの可能性」(聞き手:今野裕一)参照。 &bold(){1990s} **「浅田彰が語るグレン・グールドの世界」 (1992,NHK) http://video.google.com/videoplay?docid=318854992669373005 **「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」(Jacques Derrida・磯崎新との座談会) (1992.6.7.京都の大徳寺高桐院にて。一部が1992.6.29.NHKk教育テレビで放送)  [[抜粋1>http://www.youtube.com/watch?v=8sSkjJ51IYI]](pp.336中段-338中段相当箇所)  [[抜粋2>http://www.youtube.com/watch?v=rmHGUh_0gr8]](pp.338下段-339下段相当箇所) 三浦信孝訳、『批評空間』no.8、1993.1.→『Anywhere:空間の諸問題』NTT出版、1994.3、pp.335-349. &bold(){2000s} **「farewell njp」 (2006)  2006年11月2日、ワタリウム美術館で開催されたナムジュン・パイク追悼ライブ「farewell njp」に参加したときのトーク音声がアップロードされている。以下は浅田発言箇所。 part 2 http://www.youtube.com/watch?v=bN_uhzj__V8&feature=related part 3 http://www.youtube.com/watch?v=w0sY96SZy8k  発言において触れられている『バイバイ、キップリング』(邦訳書籍版あり)の1986年10月の日本放映をめぐるエピソードは、浅田彰「『バイバイ、キップリング』見聞記」(『GS 楽しい知識』vol.5、「特集=電視進化論」所収)などで当時語られている。  ウィトゲンシュタインの兄弟たちが皆自殺したというエピソードを語り、「あ、そうそう、明日ウィトゲンシュタインの建築についてしゃべらなきゃいけないので君に聞きたかったところだったんだ」云々とパイクに尋ねられるというのは、1986年6月22日にウィーンでパイクと(ごく近いところにいるにもかかわらず)電話で語り合ったというくだりで、触れられている(浅田彰「クリス・デルコン」、同書、p.52)。そのときのパイクのインタヴュアーがデルコンだった。  また、1986年の「12月14日、ポンピドー・センターで〈日本の批評におけるモダンとポスト・モダン〉と題するシンポジウムの演壇に立っていた」ときにアラン・ジュフロワに告げられてパイクが来ていることを知り再会した際(([[1986>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/19.html]]「日本の近代批評とポストモダン批判」(柄谷行人・蓮實重彦・Félix Guattariとの座談会、1986.12.12.ポンピドゥー・センターでの日本文化をめぐるシンポジウムの記録)や中上健次・Jacques Derrida・(司会)Alain Jouffroy「穢れということ」(1986.12.13.同上)[宮林寛訳、『文學界』1987年5月号→柄谷行人・絓秀実編『中上健次発言集成3』第三文明社、1996] の翌日))、浅田がヴィリリオはパイクを賞賛していたことだし、二人を対談させてみようと考え打診していたところ、パイクも大いに興味を示したが、日程上無理であり、取りやめになったというエピソードも紹介されている(同書、「TV進化論」巻頭文章)。  なお、「電視進化論」特集、メディアアートへの浅田の関心は80年代中期から鮮明で、ジャン=ポール・ファルジエやヴィリリオ、エドモン・クーショなど、『カイエ・デュ・シネマ』ビデオ特集号や『Traverses(トラヴェルス)』(([[Traverses>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/?page=Traverses]]はポンピドゥーセンターが発行していた雑誌で、80年代末の時点ですでにリオタールやジジェク、ボードリヤールなどが寄稿していた。70年代末~80年代初頭にはヴィリリオが編集参加している。日本語版独自編訳がかつて今村仁司監修で『化粧 TRAVERSES 1』(1986)、『デザイン TRAVERSES 2』(1988.1)、『声 TRAVERSES 3』(1988.8)、『恐怖 TRAVERSES 4』(1989)、『ニッポン TRAVERSES 5』(1990)、『世紀末の政治 TRAVERSES 6』(1992)の6冊がリブロポートから刊行された。))、『ZONE』(([[ZONE>http://www36.atwiki.jp/aabiblio/?page=ZONE]]は、当時ジョナサン・クレーリーやサンフォード・クウィンターが編集顧問を勤めた雑誌に近い論文集で(1986年創設)、1/2号合併号を含めて全5冊が出た。ZONE 5(1992)の後は主に単行本刊行が目立っている。ZONEは『Change International』とも一定の連携があったと推測され、GSやそれに続く時期の媒体である『季刊都市』ではいくつかこのへんの論文が訳されている。))、『Change International』に掲載された論文や対談を積極的に翻訳紹介しており、これはのちの『インターコミュニケーション』やICCへの積極的な関与にいたる。NHK教育番組についての持続的な関心は、いわばこの頃からの意識の残影のようなものだと言えるだろう。 **「《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》をめぐって」 (坂本龍一・高谷史郎・浅田彰・中沢新一との公開トークイベント。2007.9.15.ICCにて). ※[[こちら>http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20070915/]]からDL可能。 ●「ダムタイプ《S/N》トーク・イヴェント」(高谷史郎・BuBu de la Madeleine・高嶺格との公開トークイベント、2008.9.15.ICCにて). ※[[こちら>http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20080915/]]からDL可能。 ●「アーキテクチャと思考の場所」(2009.1.28.世界文明センターでの浅田彰・磯崎新・宇野常寛・濱野智史・宮台真司・東浩紀(司会)とのシンポジウム)※動画は音声のみ。 part 1 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980473 part 2 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980501 part 3 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980551 part 4 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980568 part 5 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980615 part 6 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980629 part 7 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5980728

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