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「遅いじゃないか」
アクビを噛み殺しながら、加持さんはミサトさんに話しかける。
「ごめん、色々と話こんじゃってさ…」
片手をあげてごめんねポーズを取るミサトさんの後ろから、
僕は加持さんを眺める。
その視線に気づき、加持さんの視線がすっと上がる。
僕と目が合う。
僕が慌てて目を逸らすまでのほんの僅かの間に、
僕は彼の今の態度が、
その場の緊迫感を和らげる為のポーズであったことを知る。
だって、加持さんの目は怖いままで、ちっとも笑ってなんかいないから。

「シンジ君、久しぶりだね。」
「ええ、お元気そうで…」
加持さんの寂しそうな微笑みが、僕から次の言葉を奪う。
「とりあえず、まずは会ってからだ。」
肩を叩かれ、僕は扉の前に立った。

ゆっくりと扉が開いていく。
最後の扉が、開いていく。
聞こえる。アスカの呼吸が。
聞こえる。アスカの鼓動が。
ホテルのスィートルームのような、だだっ広い部屋の真ん中、
そこにぽつんと置かれたようなベッドの上に、僕の最愛の人は居た。
白い肌はますます透き通るようで、そこから延びた何本もの管が、
妙な現実感を持って、僕の目に突き刺さる。
まるで童話の世界。完璧な眠り姫としての役割を演じきっている、僕の妻。
ここが物語の世界ではない、ということを知らしめる
栄養チューブや心電図、脳波計のコード。
世界の歪みが、そこにあるようで、なんとなく違和感がある。

「…シンジ君、」
ふいに僕を現実に引き戻す声。加持さんだ。
「これが、彼女の病状だよ、読むかい?」
クリアファイルの中に、何枚かのレポート、何種類もの検査結果。
読めばアスカの「病状」はわかるかもしれない。
けれども、アスカの「今」は多分理解できないだろう。
扉が開いた直後から僕は気づいていた。
この、匂いに。おそらく、僕しか気づいていないだろう、このLCLの匂いに。

「すいません、」
僕は加持さんが差し出すクリアファイルを横目に言った。
「しばらく、1人にしてくれませんか?」
加持さんは手を伸ばしたまま、僕の目を見つめ、静かに答えてくれた。
「ああ、もちろん、構わないさ。」
加持さんは、クリアファイルをそっとベッド脇の小さな机の上に置くと、
ミサトさんと付き添いの看護士さんを促して、そっと部屋を出て行った。
後に残されたのは、僕と眠り姫。

ようやく、この時が来た。
「アスカ、」
僕は枕元に座って、アスカの頬に触れる。
幾分ひんやりとしているアスカの頬。
結婚して何年経っても頬に触れるたびに顔を赤らめていたアスカ。
いつもなら、その頬にはほんのりと赤みが差し、
暖かい感触が僕を癒してくれていた。
今は、その白い肌は、ベッドのシーツや空気に、
その境界線が混じり合ってしまうくらい透き通っていて、
僕に悲しみだけを与えてくれる。

「アスカ、」
もう一度呟く。
僕は、ただひたすらに、かたくなに、アスカを愛した。
アスカもきっと、ひたむきに、僕を愛してくれた。
いつからすれ違ってしまったのだろう。
再び、そんな思いが胸にこみ上げてくる。
ここで何度呼んでも、アスカは目を覚まさない。
直接アスカの声を聞きたいと思っていても、その願いは叶えられない。
「アスカ、」
僕はそっと、アスカの額にキスをした。
それくらいしか、今の僕には出来なかった。

冷たい額から乾いた唇をそっと離し、閉じた目を開いた僕は、気づく。
眠り姫の閉じた瞼の間に水が溜まっているのを。
その小さな感情の煌めきはどんどんと水かさを増し、
やがて睫毛の防波堤を決壊して
涙となって頬を伝わり、流れ落ちる。
シーツに染みこんですぐに跡形もなくなっていったその涙を見て、
僕は、先ほどまでの匂いが強まっていることに気づく。
「アスカ、そこに、いるの?」

しん、とした部屋から勿論返事は返ってこない。
先ほどまで微妙にあった音の反響すらなくなっている。
僕の声は、そのまま吸い込まれていくだけ。
そう、壁に吸収されていくように。
壁?

僕は、アスカの手を握りしめた。
瞬間、光が見えた。

「ミサトさん、大変です!」
「どうしたの?」
「1202病室からの信号が全て途絶えました!」
「え?それってアスカの部屋じゃない?」
「はい。患者の容体、シンジ君の様子、全て不明です。」
「ちょ、どーなってんの?外部モニターは?」
「周辺の監視カメラ、全て沈黙しています!」
「様子見てくるわ!後お願いね!」

駆け出すミサトの肩を掴み、引き戻す手。
「いや、様子を見てみよう。」
そこに立っていたのは、ミサトの「夫」。
「あんたなんでこんなとこにいるのよ!」
「ん?いいじゃないか別に。一応関係者だし。」
「よかないわよ、出ていきなさいよ!」
「君が落ち着いていられるなら、すぐにでも出て行くさ。」

「悪い癖だぜ、上司が平静を保てなくてどうする?」
加持の一言で、ミサトも冷静さを取り戻す。
「そうね、ありがと。」
「大丈夫、あの2人だ。案外回線が回復したら、
2人でVサイン送ってくるかもしれないぜ。」
「ちょっとあんた、ここは禁煙よ、タバコ消しなさい!」
「やれやれ。」
そう言いながらタバコを揉み消す加持の表情は、なんだか穏やかで、
ミサトはその表情を見て溜め息をつきつつ、日向に伝える。
「とりあえず、様子を見てみるわ。回線復旧したら教えて」
「大丈夫、分かってますって。」
過去の想いを振り切っている日向はウインクを返してみせた。
「部下に恵まれてるよな、羨ましいよ。」
加持はそう言うと笑って出て行った。
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