「悪いわね、休みの日に」
ミサトさんは開口一番、そう言った。
顔には、若干の緊張感が混じっている。
一歩、部屋への道を踏み出した僕は、次の瞬間、唖然とした。
「ミサトさん…、汚しすぎですよ…。」
そんなわけで、ミサトさんとちゃんと向かい合って座ることができたのは、
それから2時間半が経ってからだった。
僕が前回大掃除をしてから10日も経たずにここまで散らかすことができるのは、
ある意味天賦の才があるとしか思えない。
でもミサトさんはそのせいか、幾分リラックスしたような表情で、
今日は珍しくスコッチウィスキーなんて飲んでいる。
「シンジ君も、どう?ラフロイグだから、結構キツイけど…。」
「僕も、好きですよ、ラフロイグ。」
テーブルの上に、オンザロックのグラスが2つ。
もうすぐ日付が変わろうとしている。
「さて、」
ミサトさんが遂に切り出した。
「どこから話したらいいのかな…。」
ミサトさんはゆっくりとアスカとの話し合いの場面から語り出す。
その内容を僕はもう知っているけれど、1つ1つ頷きながら彼女の話を聞いた。
「アスカの願いとは言え、今まで黙っててごめんなさい。」
ミサトさんも歳をとったな、と思う瞬間がいくつかあって、
今はまさにそれだ。
僕たちが大人になるにつれて色々と学び、吸収してきたもの、
ミサトさん経由で得たものが一番多かったし、大きかった。
僕やアスカはミサトさんの背中を見て育ってきたんだ、
という思いがふいに湧きだしてくる。
ミサトさんも僕たちが学び、成長している間に色々学び、成熟したのだと思う。
彼女の悩みにまだ僕は気づいてあげられなかった。
気づいたところでどうしようもなかったかもしれないけれど。
「ミサトさん…、」
僕は、逃げない。
「アスカは、どこにいるんですか?そして…」
ミサトさんの目を真っ直ぐに見つめて、言葉にする。
「彼女は無事なんですか?」
ミサトさんの意を決した表情から、次の言葉が出てくるまでの瞬間が、
とてもとても長く感じた。
「ええ、もちろん、生きているわ。」
その答えと表情から、僕はこの言葉には続きがあることを知る。
「…話してください。覚悟はできています。」
「…ええ。そうね。」
グラスに残ったスコッチを一気に喉の奥に流し込んでから、
ミサトさんは続けた。
僕の手の中で、オンザロックの氷が溶けていく。
「アスカをドイツに出向させたのは、私。」
ミサトさんはまずそう呟いた。
「だから、今回の事故についての責任の一端は私にもあるの。」
事故?僕の背中を冷たい汗が流れていく。
心拍が上がり、呼吸する音が脳内に響きわたる。
「全ては向こうが計画して実行したことで、
私は知らされていなかったんだけど…」
ウィスキーを一口ゴクリ、と飲んでから、僕は訊いた。
「事故って、なんですか?」
その「事故」はアスカの帰国前、最後の仕事になる筈だった。
最後の仕事を終えたらその足で空港に向かおうとしていたアスカは、
「いい?計画は絶対実行すんだからね!」
と念押しのメールをミサトさんとヒカリに送っていた。
「だから、こんな状況になって、ちょっと迷ったんだけど、
結局アスカの希望通りにしようってことになって。」
ミサトさんの言葉は、僕の中になかなか入ってこない。
「じゃあ、あの携帯番号は…」
「あの携帯は本部の私の机の中にあるわ。」
「あのメールアドレスは…」
「あれも私の所に来ていたわ。」
「じゃあ、あの返事は…?」
「返事?私、何も返事していないわよ。」
「え?」
僕は、アスカから(と今の今まで思っていた)メールを見せる。
ミサトさんは、しばらく黙って考え込んだ後、
「そうね、きっとアスカが送ったのよ。それでいいんだと思うわ。」
と言って微笑んだ。
相変わらず目尻の皺以外は何も変わらない、素敵な笑顔。
最終更新:2007年09月20日 21:28