唐書巻七
本紀第七
徳宗 順宗 憲宗
徳宗神武聖文皇帝は、諱を适といい、代宗の長子である。母は睿真皇太后沈氏といった。かつて、沈氏は開元末年に選ばれて代宗の宮に入った。安禄山の乱が起こって、玄宗が蜀に避難すると、諸王妃妾不及従者、皆為賊所得、拘之東都之掖廷。代宗が東都を落とすと、得沈氏、留之宮中。史思明が再び東都を陥落させると、遂失所在。
宝応元年(762)十月、陝州に駐屯して、諸将進撃史朝義、これを破り、史朝義が河北に逃れると、そのまま東都を落とした。十一月、史朝義が幽州で死に、守将の李懐仙がその首を斬って来献すると、河北は平定された。功によって尚書令を兼ね、功臣の郭子儀・李光弼らとともにみな鉄券を賜り、図形凌閣。広徳二年(764)二月、立って皇太子となった。
大暦十四年(779)五月辛酉、代宗が崩じた。癸亥、太極殿で皇帝の位についた。
閏月甲戌、常を左遷して河南少尹とし、河南少尹の崔祐甫を門下侍郎・同中書門下平章事とした。丙子、罷諸州府及新羅・渤海貢鷹鷂。戊寅、罷山南貢枇杷・江南甘橘非供宗廟者。辛巳、罷邕府歳貢奴婢。癸未、罷梨園楽工三百人・剣南貢生春酒。甲申、郭子儀が尚父となり、太尉・中書令を兼ねた。丙戌、罷献祥瑞、貢器以金銀飾者還之。丁亥、出宮人、放舞象三十有二于荊山之陽。
六月己亥、大赦した。文武の官に階・爵を、民のうちで戸となって古いものに爵一級を賜った。減乘輿服御。士庶田宅・車服踰制者、有司為立法度。禁百官置邸販鬻。武徳・至徳年間の将相として功績があった者の子孫が官にあずかった。庚子、子の宣城郡王李誦を進封して宣王とし、子の李謨を封じて舒王とし、李諶を通王とし、李諒を虔王とし、李詳を肅王とし、李謙を資王とした。乙巳、弟の李迺を封じて益王とし、李迅を隋王とし、李遂を蜀王とした。丙午、詔六品以上清望官、日二人待制。癸丑、命皇族五等以上居四方者、家一人赴山陵。己未、罷揚州貢鏡・幽州貢麝。癸亥、舉可刺史・京令者。
七月戊辰朔、日食があった。庚午、弛邕州金坑禁。辛卯、罷榷酤。
八月甲辰、道州司馬の楊炎が門下侍郎となり、懐州刺史の喬琳が御史大夫・同中書門下平章事となった。乙巳、吐蕃の俘虜を返還した。
十月丁酉、吐蕃と雲南蛮が黎・茂・文・扶四州を寇し、鳳翔節度使の朱泚と金吾衛大将軍の曲環が七盤城でこれを破った。己酉、睿文孝武皇帝を元陵に葬った。戊午、罷九成宮貢立獸炭・襄州蔗蒻工。辛酉、以沙苑豢豕三千給貧民。
十一月壬午、喬琳が罷めた。
十二月乙卯、宣王李誦を立てて皇太子とした。丙寅晦、日食があった。
閏月甲戌、常を左遷して河南少尹とし、河南少尹の崔祐甫を門下侍郎・同中書門下平章事とした。丙子、罷諸州府及新羅・渤海貢鷹鷂。戊寅、罷山南貢枇杷・江南甘橘非供宗廟者。辛巳、罷邕府歳貢奴婢。癸未、罷梨園楽工三百人・剣南貢生春酒。甲申、郭子儀が尚父となり、太尉・中書令を兼ねた。丙戌、罷献祥瑞、貢器以金銀飾者還之。丁亥、出宮人、放舞象三十有二于荊山之陽。
六月己亥、大赦した。文武の官に階・爵を、民のうちで戸となって古いものに爵一級を賜った。減乘輿服御。士庶田宅・車服踰制者、有司為立法度。禁百官置邸販鬻。武徳・至徳年間の将相として功績があった者の子孫が官にあずかった。庚子、子の宣城郡王李誦を進封して宣王とし、子の李謨を封じて舒王とし、李諶を通王とし、李諒を虔王とし、李詳を肅王とし、李謙を資王とした。乙巳、弟の李迺を封じて益王とし、李迅を隋王とし、李遂を蜀王とした。丙午、詔六品以上清望官、日二人待制。癸丑、命皇族五等以上居四方者、家一人赴山陵。己未、罷揚州貢鏡・幽州貢麝。癸亥、舉可刺史・京令者。
七月戊辰朔、日食があった。庚午、弛邕州金坑禁。辛卯、罷榷酤。
八月甲辰、道州司馬の楊炎が門下侍郎となり、懐州刺史の喬琳が御史大夫・同中書門下平章事となった。乙巳、吐蕃の俘虜を返還した。
十月丁酉、吐蕃と雲南蛮が黎・茂・文・扶四州を寇し、鳳翔節度使の朱泚と金吾衛大将軍の曲環が七盤城でこれを破った。己酉、睿文孝武皇帝を元陵に葬った。戊午、罷九成宮貢立獸炭・襄州蔗蒻工。辛酉、以沙苑豢豕三千給貧民。
十一月壬午、喬琳が罷めた。
十二月乙卯、宣王李誦を立てて皇太子とした。丙寅晦、日食があった。
建中元年(780)正月丁卯、改元した。群臣が尊号をたてまつって聖神文武皇帝といった。己巳、太清宮に朝献した。庚午、太廟に朝享した。辛未、有事于南郊、大赦した。文武の官に階・勲・爵を賜り、遣黜陟使于天下、賜子為父後者勲両轉。
二月丙申、初めて両税を定めた。
四月乙未、四鎮・北庭行軍別駕の劉文喜が涇州でそむき、処刑された。己亥、地震があった。
六月甲午、崔祐甫が薨去した。
七月丙寅、王国良が降った。己丑、忠州刺史の劉晏を殺した。
八月丁巳、遙尊母沈氏為皇太后。
九月己卯、雷があった。庚寅、睦王李述が奉迎皇太后使となった。
この冬、雪がなかった。黄河・滹沱・易水が氾濫した。
二月丙申、初めて両税を定めた。
四月乙未、四鎮・北庭行軍別駕の劉文喜が涇州でそむき、処刑された。己亥、地震があった。
六月甲午、崔祐甫が薨去した。
七月丙寅、王国良が降った。己丑、忠州刺史の劉晏を殺した。
八月丁巳、遙尊母沈氏為皇太后。
九月己卯、雷があった。庚寅、睦王李述が奉迎皇太后使となった。
この冬、雪がなかった。黄河・滹沱・易水が氾濫した。
二年(781)正月戊辰、成徳軍節度使の李宝臣が亡くなり、その子の李惟岳が留後を自称すると、幽州盧龍軍節度使の朱滔がこれを討った。魏博節度使の田悅がそむくと、神策都虞候の李晟・河東節度使の馬燧・昭義軍節度使の李抱真・河陽節度副使の李芃がこれを討った。永平軍節度使の李勉が汴・滑・陳・懐・鄭・汝・陝・河陽三城・宋・亳・潁節度都統となった。
二月乙巳、御史大夫の盧が門下侍郎・同中書門下平章事となった。乙卯、振武軍で乱がおこり、その使の彭令芳および監軍の劉恵光を殺した。丁巳、發兵屯関東、誓師于望春樓。山南東道節度使の梁崇義がそむいた。
五月、京師雨と雹があった。庚申、置待詔官三十人。
六月、熒惑(火星)と太白(金星)が東井でかち合った。癸巳、淮寧軍節度使の李希烈が漢南・漢北兵馬招討使となり、梁崇義を討った。辛丑、郭子儀が薨去した。
七月庚申、楊炎が罷めた。検校尚書右僕射の侯希逸が司空となり、前永平軍節度使の張鎰が中書侍郎・同中書門下平章事となった。侯希逸が薨去した。癸未、馬燧・李抱真が田悅と臨洺で戦い、これを破った。
八月、剣南西川節度使の張延賞・東川節度使の王叔邕・山南東道節度使の賈耽・荊南節度使の李昌・陳少游が梁崇義を討ち、李希烈を諸軍都統とした。辛卯、平盧軍節度使の李正己が亡くなり、その子の李納が留後を自称した。壬子、梁崇義が処刑された。
九月、李納が宋州を陷した。李惟岳の将の張孝忠が易・定二州をもって降った。壬戌、賜立功士卒帛、稟死事家三歳。
十月戊申、李納の将の李洧が徐州をもって降った。
十一月辛酉、李納が徐州を寇し、宣武軍節度使の劉洽が七里溝でこれを破った。丁丑、馬燧が田悅と雙岡で戦い、これを破った。甲申、李納の将の王渉が海州をもって降った。
十二月丁酉、馬万通が密州をもって降った。馬燧が魏博招討使となった。
この年、崖州司馬の楊炎が殺された。
二月乙巳、御史大夫の盧が門下侍郎・同中書門下平章事となった。乙卯、振武軍で乱がおこり、その使の彭令芳および監軍の劉恵光を殺した。丁巳、發兵屯関東、誓師于望春樓。山南東道節度使の梁崇義がそむいた。
五月、京師雨と雹があった。庚申、置待詔官三十人。
六月、熒惑(火星)と太白(金星)が東井でかち合った。癸巳、淮寧軍節度使の李希烈が漢南・漢北兵馬招討使となり、梁崇義を討った。辛丑、郭子儀が薨去した。
七月庚申、楊炎が罷めた。検校尚書右僕射の侯希逸が司空となり、前永平軍節度使の張鎰が中書侍郎・同中書門下平章事となった。侯希逸が薨去した。癸未、馬燧・李抱真が田悅と臨洺で戦い、これを破った。
八月、剣南西川節度使の張延賞・東川節度使の王叔邕・山南東道節度使の賈耽・荊南節度使の李昌・陳少游が梁崇義を討ち、李希烈を諸軍都統とした。辛卯、平盧軍節度使の李正己が亡くなり、その子の李納が留後を自称した。壬子、梁崇義が処刑された。
九月、李納が宋州を陷した。李惟岳の将の張孝忠が易・定二州をもって降った。壬戌、賜立功士卒帛、稟死事家三歳。
十月戊申、李納の将の李洧が徐州をもって降った。
十一月辛酉、李納が徐州を寇し、宣武軍節度使の劉洽が七里溝でこれを破った。丁丑、馬燧が田悅と雙岡で戦い、これを破った。甲申、李納の将の王渉が海州をもって降った。
十二月丁酉、馬万通が密州をもって降った。馬燧が魏博招討使となった。
この年、崖州司馬の楊炎が殺された。
三年(782)正月丙寅、朱滔と成徳軍節度使の張孝忠が李惟岳と束鹿で戦い、これを破った。辛未、減常膳及太子諸王食物。復榷酤。癸未、李納が海・密二州を陥落させた。
閏月乙未、李惟岳の将の康日知が趙州をもって降った。甲辰、李惟岳が処刑されると、その将の楊栄国が深州をもって降った。庚戌、馬燧が田悅]]と洹水で戦い、これを破った。この月、悅の将の李再春が博州をもって降り、田昂が洺州をもって降った。
二月戊午、李惟岳の将の楊政義が定州をもって降った。甲戌、給復易・定・深・趙・恆・冀六州三年、赦吏民為李惟岳迫脅者。己卯、震通化門。
四月戊午、李納の将の李士真が徳・棣の二州をもって降った。甲子、借商錢。甲戌、昭義軍節度副使の盧玄卿が魏博・澶相招討使となった。戊寅、張鎰が罷めた。壬午、殿中侍御史の鄭詹を殺した。この月、朱滔がそむき、徳・棣の二州を陥落させた。
五月辛卯、朔方軍節度使の李懐光が田悅を討った。
六月甲子、京師で地震があった。恆冀観察使の王武俊がそむいた。辛巳、李懐光・馬燧・李芃・李抱真が朱滔・王武俊・田悅と連篋山で戦い、敗れた。
七月壬辰、殿中丞の李雲端が反乱を計画し、処刑された。癸巳、借商銭令を停止した。
八月癸丑、演州司馬の李孟秋と州刺史の皮岸がそむき、処刑された。
九月丁亥、初めて商銭・茶・漆・竹・木に税をかけた。
十月丙辰、吏部侍郎の関播が中書侍郎・同中書門下平章事となった。李希烈がそむいた。丙子、肅王李詳が薨去した。
閏月乙未、李惟岳の将の康日知が趙州をもって降った。甲辰、李惟岳が処刑されると、その将の楊栄国が深州をもって降った。庚戌、馬燧が田悅]]と洹水で戦い、これを破った。この月、悅の将の李再春が博州をもって降り、田昂が洺州をもって降った。
二月戊午、李惟岳の将の楊政義が定州をもって降った。甲戌、給復易・定・深・趙・恆・冀六州三年、赦吏民為李惟岳迫脅者。己卯、震通化門。
四月戊午、李納の将の李士真が徳・棣の二州をもって降った。甲子、借商錢。甲戌、昭義軍節度副使の盧玄卿が魏博・澶相招討使となった。戊寅、張鎰が罷めた。壬午、殿中侍御史の鄭詹を殺した。この月、朱滔がそむき、徳・棣の二州を陥落させた。
五月辛卯、朔方軍節度使の李懐光が田悅を討った。
六月甲子、京師で地震があった。恆冀観察使の王武俊がそむいた。辛巳、李懐光・馬燧・李芃・李抱真が朱滔・王武俊・田悅と連篋山で戦い、敗れた。
七月壬辰、殿中丞の李雲端が反乱を計画し、処刑された。癸巳、借商銭令を停止した。
八月癸丑、演州司馬の李孟秋と州刺史の皮岸がそむき、処刑された。
九月丁亥、初めて商銭・茶・漆・竹・木に税をかけた。
十月丙辰、吏部侍郎の関播が中書侍郎・同中書門下平章事となった。李希烈がそむいた。丙子、肅王李詳が薨去した。
四年(783)正月丁亥、鳳翔節度使の張鎰が吐蕃の尚結賛と清水で会盟した。庚寅、李希烈が汝州を陷し、刺史の李元平を捕らえた。戊戌、東都・汝行営節度使の哥舒曜が李希烈を討った。二月丁卯、汝州で勝利した。
三月辛卯、李希烈が鄂州を寇し、刺史の李兼がこれを破った。丁酉、荊南節度使の張伯儀が李希烈と安州で戦い、敗れた。
四月庚申、李勉が淮西招討処置使となり、哥舒曜がこれの副使となった。張伯儀が淮西応援招討使となり、賈耽と江南西道節度使の嗣曹王李がこれの副使となった。甲子、京師で地震があり、生毛。丙子、哥舒曜が李希烈と潁橋で戦い、これを破った。
五月辛巳、京師で地震があった。乙酉、潁王李が薨去した。乙未、劉洽が淄青・兗鄆招討制置使となった。
六月庚戌、税屋間架、算除陌錢。丁卯、李逾を徙封して丹王とし、[[李遘を簡王とした。
七月、馬燧が魏博・澶相節度招討使となった。壬辰、盧・関播・李忠臣が吐蕃の区頰賛と京師で会盟した。
八月丁未、李希烈が襄城を寇した。乙卯、李希烈の将の曹季昌が隋州をもって降った。庚申、京師に星が落ちた。
九月丙戌、神策軍行営兵馬使の劉徳信が李希烈と扈澗で戦い、敗れた。庚子、舒王李謨が荊襄・江西・沔鄂節度諸軍行営兵馬都元帥となり、普王に徙封された。
十月、涇原節度使の姚令言がそむき、京師を犯した。戊申、奉天にいった。朱泚がそむいた。庚戌、朱泚が司農卿の段秀実および左驍衛将軍の劉海賓を殺した。鳳翔後営の将の李楚琳がその節度使の張鎰を殺し、留後を自称した。癸丑、李希烈が襄城を陷し、宣武軍兵馬使の高翼がここに死んだ。甲寅、朱泚が涇原節度都虞候の何明礼を殺した。乙卯、尚書右僕射の崔寧を殺した。丁巳、戸部尚書の蕭復が吏部尚書となり、吏部郎中の劉従一が刑部侍郎となり、京兆府戸曹参軍・翰林学士の姜公輔が諫議大夫となり、ともに同中書門下平章事となった。朱泚が奉天を犯し、禁軍が城東で敗れた。辛酉、霊塩節度留後の杜希全・鄜坊節度使の李建徽が朱泚と漠谷で戦い、敗れた。癸亥、劉徳信が朱泚と思子陵で戦い、これを破った。甲子、行在都虞候の渾瑊が朱泚と城下で戦い、これを破り、左龍武軍大将軍の呂希倩がここに死んだ。乙丑、将軍の高重傑がここに死んだ。この月、商州軍で乱があり、その刺史の謝良輔を殺した。
十一月、剣南西山兵馬使の張朏がその節度使の張延賞を追放し、張朏が処刑された。癸巳、李懐光が朱泚と魯店で戦い、これを破った。李懐光が中書令・朔方邠寧同華陝虢河中晋絳慈隰行営兵馬副元帥となった。
十二月、朱泚が華州を陷した。壬戌、盧を左遷して新州司馬とした。庚午、李希烈が汴・鄭二州を陷した。
三月辛卯、李希烈が鄂州を寇し、刺史の李兼がこれを破った。丁酉、荊南節度使の張伯儀が李希烈と安州で戦い、敗れた。
四月庚申、李勉が淮西招討処置使となり、哥舒曜がこれの副使となった。張伯儀が淮西応援招討使となり、賈耽と江南西道節度使の嗣曹王李がこれの副使となった。甲子、京師で地震があり、生毛。丙子、哥舒曜が李希烈と潁橋で戦い、これを破った。
五月辛巳、京師で地震があった。乙酉、潁王李が薨去した。乙未、劉洽が淄青・兗鄆招討制置使となった。
六月庚戌、税屋間架、算除陌錢。丁卯、李逾を徙封して丹王とし、[[李遘を簡王とした。
七月、馬燧が魏博・澶相節度招討使となった。壬辰、盧・関播・李忠臣が吐蕃の区頰賛と京師で会盟した。
八月丁未、李希烈が襄城を寇した。乙卯、李希烈の将の曹季昌が隋州をもって降った。庚申、京師に星が落ちた。
九月丙戌、神策軍行営兵馬使の劉徳信が李希烈と扈澗で戦い、敗れた。庚子、舒王李謨が荊襄・江西・沔鄂節度諸軍行営兵馬都元帥となり、普王に徙封された。
十月、涇原節度使の姚令言がそむき、京師を犯した。戊申、奉天にいった。朱泚がそむいた。庚戌、朱泚が司農卿の段秀実および左驍衛将軍の劉海賓を殺した。鳳翔後営の将の李楚琳がその節度使の張鎰を殺し、留後を自称した。癸丑、李希烈が襄城を陷し、宣武軍兵馬使の高翼がここに死んだ。甲寅、朱泚が涇原節度都虞候の何明礼を殺した。乙卯、尚書右僕射の崔寧を殺した。丁巳、戸部尚書の蕭復が吏部尚書となり、吏部郎中の劉従一が刑部侍郎となり、京兆府戸曹参軍・翰林学士の姜公輔が諫議大夫となり、ともに同中書門下平章事となった。朱泚が奉天を犯し、禁軍が城東で敗れた。辛酉、霊塩節度留後の杜希全・鄜坊節度使の李建徽が朱泚と漠谷で戦い、敗れた。癸亥、劉徳信が朱泚と思子陵で戦い、これを破った。甲子、行在都虞候の渾瑊が朱泚と城下で戦い、これを破り、左龍武軍大将軍の呂希倩がここに死んだ。乙丑、将軍の高重傑がここに死んだ。この月、商州軍で乱があり、その刺史の謝良輔を殺した。
十一月、剣南西山兵馬使の張朏がその節度使の張延賞を追放し、張朏が処刑された。癸巳、李懐光が朱泚と魯店で戦い、これを破った。李懐光が中書令・朔方邠寧同華陝虢河中晋絳慈隰行営兵馬副元帥となった。
十二月、朱泚が華州を陷した。壬戌、盧を左遷して新州司馬とした。庚午、李希烈が汴・鄭二州を陷した。
興元元年(784)正月癸酉、大赦をおこない、改元した。「聖神文武」の号を去った。李希烈・田悅・王武俊・李納の官爵を復した。赴奉天收京城将士有罪減三等、子孫減二等、在行営者賜勲五轉。文武の官に階・勲・爵を賜った。罷間架・竹木茶漆税及除陌錢。給復奉天五年、城中十年。関播が宰相を退いた。丙戌、吏部侍郎の盧翰が兵部侍郎・同中書門下平章事となった。戊子、蕭復が山南東西・荊湖・淮南・江西・鄂岳・浙江東西・福建・嶺南宣慰安撫使となった。戊戌、劉洽が汴滑宋亳都統副使となった。
二月甲子、李懐光が太尉となり、李懐光はそむいた。丁卯、梁州にいった。李懐光の将の孟庭保が兵をもって追ってきたので、左衛大将軍の侯仲荘が駅店でこれを破った。
三月、李懐光が鄜坊京畿金商節度使の李建徽・神策軍兵馬使の陽恵元の兵を奪い、陽恵元はここに死んだ。癸酉、魏博兵馬使の田緒がその節度使の田悅を殺し、留後を自称した。甲戌、李懐光が左廂兵馬使の張名振・右武鋒兵馬使の石演芬を殺した。丁亥、李晟が京畿・渭北・鄜坊丹延節度招討使となり、神策行営兵馬使の尚可孤が神策・京畿・渭南・商州節度招討使となった。壬辰、次梁州。丁酉、劉洽権知汴滑宋亳都統兵馬事。己亥、渾瑊が朔方・邠寧・振武・永平・奉天行営兵馬副元帥となった。
四月、李懐光が坊州を陥落させた。甲辰、李晟が京畿・渭北・商華兵馬副元帥となった。甲寅、姜公輔が宰相を退いた。涇原兵馬使の田希鑑がその節度使の馮河清を殺し、留後を自称した。乙丑、渾瑊が朱泚と武亭川で戦い、これを破った。丁卯、義王李玼が薨去した。この月、坊州刺史の竇覦が坊州を落とした。
五月癸酉、涇王李侹が薨去した。丙子、李抱真・王武俊が朱滔と経城で戦い、これを破った。壬辰、尚可孤が朱泚と藍田の西で戦い、これを破った。乙未、李晟がまた苑北でこれを破った。戊戌、また白華でこれを破り、京師を回復した。
六月癸卯、姚令言が処刑された。甲辰、朱泚が処刑された。己酉、李晟が司徒・中書令となった。癸丑、梁州を興元府とし、給復一年、耆老加版授。甲寅、渾瑊が侍中となった。己巳、給復洋州一年、加給興元一年、鳳州のこの年の税を免除し、父老加版授。
七月丙子、次鳳翔、この年の秋税を免除し、八十以上版授刺史、余授上佐。丁丑、葬宗室遇害者。壬午、興元から到着した。丁亥、李懐光が宣慰使の孔巣父を殺した。辛卯、大赦をおこなった。百官と将士に階・勲・爵を、京城を奪回した者に升八資を賜った。給復京兆府一年。この月、嗣曹王李が李希烈と応山で戦い、これを破った。
八月癸卯、李晟が鳳翔隴右諸軍・涇原四鎮北庭行営兵馬副元帥となり、馬燧が晋・慈・隰諸軍行営兵馬副元帥となり、渾瑊が河中・同絳・陝虢諸軍行営兵馬副元帥となった。丙午、渾瑊が朔方行営兵馬副元帥を兼ねた。己酉、延王李玢・隋王李迅が薨去した。
十月辛丑、李勉が司徒・同中書門下平章事を検校した。
閏月戊子、李希烈の将の李澄が滑州をもって降った。
十一月癸卯、劉洽・邠隴行営節度使の曲環が李希烈と陳州で戦い、これを破った。戊午、汴州で勝利した。乙丑、蕭復が宰相を退いた。
十二月乙酉、渾瑊が李懐光と乾坑で戦い、敗れた。
この年、陳王李珪が薨去した。
二月甲子、李懐光が太尉となり、李懐光はそむいた。丁卯、梁州にいった。李懐光の将の孟庭保が兵をもって追ってきたので、左衛大将軍の侯仲荘が駅店でこれを破った。
三月、李懐光が鄜坊京畿金商節度使の李建徽・神策軍兵馬使の陽恵元の兵を奪い、陽恵元はここに死んだ。癸酉、魏博兵馬使の田緒がその節度使の田悅を殺し、留後を自称した。甲戌、李懐光が左廂兵馬使の張名振・右武鋒兵馬使の石演芬を殺した。丁亥、李晟が京畿・渭北・鄜坊丹延節度招討使となり、神策行営兵馬使の尚可孤が神策・京畿・渭南・商州節度招討使となった。壬辰、次梁州。丁酉、劉洽権知汴滑宋亳都統兵馬事。己亥、渾瑊が朔方・邠寧・振武・永平・奉天行営兵馬副元帥となった。
四月、李懐光が坊州を陥落させた。甲辰、李晟が京畿・渭北・商華兵馬副元帥となった。甲寅、姜公輔が宰相を退いた。涇原兵馬使の田希鑑がその節度使の馮河清を殺し、留後を自称した。乙丑、渾瑊が朱泚と武亭川で戦い、これを破った。丁卯、義王李玼が薨去した。この月、坊州刺史の竇覦が坊州を落とした。
五月癸酉、涇王李侹が薨去した。丙子、李抱真・王武俊が朱滔と経城で戦い、これを破った。壬辰、尚可孤が朱泚と藍田の西で戦い、これを破った。乙未、李晟がまた苑北でこれを破った。戊戌、また白華でこれを破り、京師を回復した。
六月癸卯、姚令言が処刑された。甲辰、朱泚が処刑された。己酉、李晟が司徒・中書令となった。癸丑、梁州を興元府とし、給復一年、耆老加版授。甲寅、渾瑊が侍中となった。己巳、給復洋州一年、加給興元一年、鳳州のこの年の税を免除し、父老加版授。
七月丙子、次鳳翔、この年の秋税を免除し、八十以上版授刺史、余授上佐。丁丑、葬宗室遇害者。壬午、興元から到着した。丁亥、李懐光が宣慰使の孔巣父を殺した。辛卯、大赦をおこなった。百官と将士に階・勲・爵を、京城を奪回した者に升八資を賜った。給復京兆府一年。この月、嗣曹王李が李希烈と応山で戦い、これを破った。
八月癸卯、李晟が鳳翔隴右諸軍・涇原四鎮北庭行営兵馬副元帥となり、馬燧が晋・慈・隰諸軍行営兵馬副元帥となり、渾瑊が河中・同絳・陝虢諸軍行営兵馬副元帥となった。丙午、渾瑊が朔方行営兵馬副元帥を兼ねた。己酉、延王李玢・隋王李迅が薨去した。
十月辛丑、李勉が司徒・同中書門下平章事を検校した。
閏月戊子、李希烈の将の李澄が滑州をもって降った。
十一月癸卯、劉洽・邠隴行営節度使の曲環が李希烈と陳州で戦い、これを破った。戊午、汴州で勝利した。乙丑、蕭復が宰相を退いた。
十二月乙酉、渾瑊が李懐光と乾坑で戦い、敗れた。
この年、陳王李珪が薨去した。
貞元元年(785)正月丁酉、大赦をおこない、改元した。榷税を罷めた。
三月、李懐光が歩軍兵馬使の田仙浩と都虞候の呂鳴岳を殺した。丁未、李希烈が鄧州を陷し、唐鄧隋招討使の黄金岳を殺した。
この春、旱害があった。
四月乙丑、李誼を徙封して舒王とした。壬午、渾瑊が李懐光と長春宮で戦い、これを破った。丙戌、馬燧・渾瑊が河中招撫使となった。
六月己丑、幽州盧龍軍節度使の朱滔が亡くなり、涿州刺史の劉怦が留後を自称した。辛卯、剣南西川節度使の張延賞が中書侍郎・同中書門下平章事となった。戊子、馬燧が李懐光と陶城で戦い、これを破った。
七月、灞・滻竭。庚子、大風で木が抜けた。
八月、襲封配饗功臣子孫。甲子、旱害のため正殿を避け、膳を減らした。甲戌、李懐光が処刑された。己卯、給復河中・同絳二州一年。馬燧が侍中となり、張延賞が罷めた。丙戌、李希烈が宣慰使の顔真卿を殺した。
九月辛亥、劉従一が罷めた。庚申、幽州盧龍軍節度使の劉怦が亡くなり、その子の劉済が留後を自称した。
この秋、雨木冰。
十一月癸卯、有事于南郊、大赦をおこない、奉天・興元に扈従した百官と京師を奪回した将士に階・勲・爵を賜った。
三月、李懐光が歩軍兵馬使の田仙浩と都虞候の呂鳴岳を殺した。丁未、李希烈が鄧州を陷し、唐鄧隋招討使の黄金岳を殺した。
この春、旱害があった。
四月乙丑、李誼を徙封して舒王とした。壬午、渾瑊が李懐光と長春宮で戦い、これを破った。丙戌、馬燧・渾瑊が河中招撫使となった。
六月己丑、幽州盧龍軍節度使の朱滔が亡くなり、涿州刺史の劉怦が留後を自称した。辛卯、剣南西川節度使の張延賞が中書侍郎・同中書門下平章事となった。戊子、馬燧が李懐光と陶城で戦い、これを破った。
七月、灞・滻竭。庚子、大風で木が抜けた。
八月、襲封配饗功臣子孫。甲子、旱害のため正殿を避け、膳を減らした。甲戌、李懐光が処刑された。己卯、給復河中・同絳二州一年。馬燧が侍中となり、張延賞が罷めた。丙戌、李希烈が宣慰使の顔真卿を殺した。
九月辛亥、劉従一が罷めた。庚申、幽州盧龍軍節度使の劉怦が亡くなり、その子の劉済が留後を自称した。
この秋、雨木冰。
十一月癸卯、有事于南郊、大赦をおこない、奉天・興元に扈従した百官と京師を奪回した将士に階・勲・爵を賜った。
二年(786)正月丙申、詔減御膳之半、賙貧乏者授以官。壬寅、盧翰が罷めた。吏部侍郎の劉滋が左散騎常侍となり、給事中の崔造、中書舎人の斉映、ともに同中書門下平章事となった。
二月癸亥、山南東道節度使樊沢が李希烈と泌河で戦い、これを破った。
四月丙寅、李希烈が処刑された。甲戌、雨土。甲申、給復淮西二年。
五月、李希烈の将の李恵登が隋州をもって降った。己酉、地震があった。
六月癸未、滄州刺史の程日華が亡くなり、その子の程懐直が観察留後を自称した。この月、淮西兵馬使の呉少誠がその節度使の陳仙奇を殺し、留後を自称した。
七月、李希烈の将の薛翼が唐州をもって降り、侯召が光州をもって降った。
八月丙子、大雨と雹があった。丙戌、吐蕃が邠・寧・涇・隴の四州を寇した。
九月乙巳、好畤を寇し、李晟が陽でこれを破った。
十月癸酉、邠寧節度使の韓游がまた平川でこれを破った。
十一月甲午、淑妃の王氏を立てて皇后とした。丁酉、皇后が崩じた。辛丑、吐蕃が塩州を陷した。
十二月丁巳、夏州が陥落した。馬燧が綏・銀・麟・勝招討使となった。庚申、崔造が宰相を退いた。甲戌、吐蕃が辺境を寇したので、正殿を避けた。
二月癸亥、山南東道節度使樊沢が李希烈と泌河で戦い、これを破った。
四月丙寅、李希烈が処刑された。甲戌、雨土。甲申、給復淮西二年。
五月、李希烈の将の李恵登が隋州をもって降った。己酉、地震があった。
六月癸未、滄州刺史の程日華が亡くなり、その子の程懐直が観察留後を自称した。この月、淮西兵馬使の呉少誠がその節度使の陳仙奇を殺し、留後を自称した。
七月、李希烈の将の薛翼が唐州をもって降り、侯召が光州をもって降った。
八月丙子、大雨と雹があった。丙戌、吐蕃が邠・寧・涇・隴の四州を寇した。
九月乙巳、好畤を寇し、李晟が陽でこれを破った。
十月癸酉、邠寧節度使の韓游がまた平川でこれを破った。
十一月甲午、淑妃の王氏を立てて皇后とした。丁酉、皇后が崩じた。辛丑、吐蕃が塩州を陷した。
十二月丁巳、夏州が陥落した。馬燧が綏・銀・麟・勝招討使となった。庚申、崔造が宰相を退いた。甲戌、吐蕃が辺境を寇したので、正殿を避けた。
三年(787)正月壬寅、尚書左僕射の張延賞が同中書門下平章事となった。壬子、劉滋が宰相を退いた。斉映を左遷して夔州刺史とした。兵部侍郎の柳渾が同中書門下平章事となった。
二月己卯、華州潼関節度使の駱元光が塩・夏の二州を落とした。甲申、昭徳皇后を靖陵に葬った。
三月丁未、李晟が太尉となった。辛亥、馬燧が副元帥を辞任した。
五月、揚州で長江が氾濫した。呉少誠が申州刺史の張伯元と殿中侍御史の鄭常を殺した。
閏月辛未、渾瑊が吐蕃と平涼で会盟し、吐蕃が会盟副使・兵部尚書の崔漢衡を捕らえ、判官・殿中侍御史の韓弇を殺した。戊寅、太白(金星)が昼に見えた。
六月、吐蕃が塩・夏の二州を寇した。丙戌、馬燧が司徙となり、前陝虢観察使の李泌が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
七月甲子、朔方節度使の杜希全が朔方・霊塩・豊夏綏銀節度都統となった。壬申、張延賞が薨去した。
八月辛巳朔、日食があった。己丑、柳渾が宰相を退いた。戊申、吐蕃が青石嶺を寇し、隴州刺史の蘇清沔がこれを破った。庚戌、大馬が蒲関・潼関・武関を出るのを禁じた。
九月丁巳、吐蕃が陽を寇した。丙寅、華亭および連雲堡が陥落した。
十月甲申、豊義を寇し、韓游がこれを破った。乙酉、長武城を寇し、城使の韓全義がこれを破った。壬辰、射生の将の韓欽緒が反乱を計画し、処刑された。
十一月己卯、京師・東都・河中で地震があった。
十二月庚辰、新店で狩猟した。
二月己卯、華州潼関節度使の駱元光が塩・夏の二州を落とした。甲申、昭徳皇后を靖陵に葬った。
三月丁未、李晟が太尉となった。辛亥、馬燧が副元帥を辞任した。
五月、揚州で長江が氾濫した。呉少誠が申州刺史の張伯元と殿中侍御史の鄭常を殺した。
閏月辛未、渾瑊が吐蕃と平涼で会盟し、吐蕃が会盟副使・兵部尚書の崔漢衡を捕らえ、判官・殿中侍御史の韓弇を殺した。戊寅、太白(金星)が昼に見えた。
六月、吐蕃が塩・夏の二州を寇した。丙戌、馬燧が司徙となり、前陝虢観察使の李泌が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
七月甲子、朔方節度使の杜希全が朔方・霊塩・豊夏綏銀節度都統となった。壬申、張延賞が薨去した。
八月辛巳朔、日食があった。己丑、柳渾が宰相を退いた。戊申、吐蕃が青石嶺を寇し、隴州刺史の蘇清沔がこれを破った。庚戌、大馬が蒲関・潼関・武関を出るのを禁じた。
九月丁巳、吐蕃が陽を寇した。丙寅、華亭および連雲堡が陥落した。
十月甲申、豊義を寇し、韓游がこれを破った。乙酉、長武城を寇し、城使の韓全義がこれを破った。壬辰、射生の将の韓欽緒が反乱を計画し、処刑された。
十一月己卯、京師・東都・河中で地震があった。
十二月庚辰、新店で狩猟した。
四年(788)正月庚戌朔、京師で地震があった。大赦し、刺史予一子官、增戸墾田者加階、縣令減選、九品以上官言事。壬申、劉玄佐が四鎮北庭行営・涇原節度副元帥となった。この月、金・房の二州で地震があり、江が氾濫し山が裂けた。雨木冰于陳留。
四月、河南・淮海地生毛。己亥、福建軍で乱があり、その観察使の呉詵を追放し、大将の郝誡溢が留後を自称した。
五月、吐蕃が涇・邠・寧・慶・鄜の五州を寇した。
六月己亥、子の李謜を封じて邕王とした。
七月庚戌、渾瑊が邠・寧・慶副元帥となった。癸丑、寧州軍で乱があり、邠寧都虞候の楊朝晟がこれを破った。己未、奚・室韋が振武を寇した。この月、河水が黒ずんだ。
八月、灞水が氾濫した。
九月庚申、吐蕃が寧州を寇し、邠寧節度使の張献甫がこれを破った。冬、夾城を築いた。
この年、京師で地震が二十回あった。
四月、河南・淮海地生毛。己亥、福建軍で乱があり、その観察使の呉詵を追放し、大将の郝誡溢が留後を自称した。
五月、吐蕃が涇・邠・寧・慶・鄜の五州を寇した。
六月己亥、子の李謜を封じて邕王とした。
七月庚戌、渾瑊が邠・寧・慶副元帥となった。癸丑、寧州軍で乱があり、邠寧都虞候の楊朝晟がこれを破った。己未、奚・室韋が振武を寇した。この月、河水が黒ずんだ。
八月、灞水が氾濫した。
九月庚申、吐蕃が寧州を寇し、邠寧節度使の張献甫がこれを破った。冬、夾城を築いた。
この年、京師で地震が二十回あった。
五年(789)正月甲辰朔、日食があった。
二月庚子、大理卿の董晋が門下侍郎となり、御史大夫の竇参が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となった。
三月甲辰、李泌が薨去した。
夏、吐蕃が長武城を寇し、韓全義が仏堂原でこれを破った。
九月丙午、剣南西川節度使の韋が吐蕃を台登北谷で破り、巂州を落とした。
十月、嶺南節度使の李復が瓊州を落とした。
二月庚子、大理卿の董晋が門下侍郎となり、御史大夫の竇参が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となった。
三月甲辰、李泌が薨去した。
夏、吐蕃が長武城を寇し、韓全義が仏堂原でこれを破った。
九月丙午、剣南西川節度使の韋が吐蕃を台登北谷で破り、巂州を落とした。
十月、嶺南節度使の李復が瓊州を落とした。
六年(790)春、旱害があった。
閏四月乙卯、詔常參官・畿縣令言事。京兆府の夏税を免除した。
八月辛丑、皇太子妃の蕭氏を殺した。
十一月戊辰、太清宮で朝献した。己巳、太廟で朝享した。庚午、有事于南郊。文武の官に階・爵を賜った。降囚罪、徒以下原之。葬戰亡暴骨者。
この年、吐蕃が北庭都護府を陥落させ、節度使の楊襲古が西州に逃れた。
閏四月乙卯、詔常參官・畿縣令言事。京兆府の夏税を免除した。
八月辛丑、皇太子妃の蕭氏を殺した。
十一月戊辰、太清宮で朝献した。己巳、太廟で朝享した。庚午、有事于南郊。文武の官に階・爵を賜った。降囚罪、徒以下原之。葬戰亡暴骨者。
この年、吐蕃が北庭都護府を陥落させ、節度使の楊襲古が西州に逃れた。
七年(791)正月己巳、襄王李が薨去した。
四月、安南の首領の杜英翰がそむき、処刑された。
五月甲申、端王李遇が薨去した。
九月、回鶻が楊襲古を殺した。
十二月戊戌、睦王李述が薨去した。
この冬、雪がなかった。
四月、安南の首領の杜英翰がそむき、処刑された。
五月甲申、端王李遇が薨去した。
九月、回鶻が楊襲古を殺した。
十二月戊戌、睦王李述が薨去した。
この冬、雪がなかった。
八年(792)二月庚子、雨土。
三月甲申、宣武軍節度使の劉玄佐が亡くなり、その子の劉士寧が留後を自称した。
四月、吐蕃が霊州を寇した。丁亥、左諫議大夫・知制誥の呉通玄を殺した。乙未、竇参を左遷して郴州別駕とした。尚書左丞の趙憬・兵部侍郎の陸贄が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
五月己未、大風發太廟屋瓦。癸酉、平盧軍節度使の李納が亡くなり、その子の李師古が留後を自称した。
六月、淮水が氾濫した。吐蕃が連雲堡を寇し、大将の王進用がここに死んだ。
九月丁巳、韋が吐蕃と維州で戦い、これを破った。
十一月壬子朔、日食があった。庚午、山南西道節度使の厳震が吐蕃と黒水堡で戦い、これを破った。この月、幽州盧龍軍節度使の劉済がその弟の瀛州刺史劉澭と瀛州で戦い、劉澭は破れ、京師に逃れた。
十二月甲辰、城東で狩猟した。
三月甲申、宣武軍節度使の劉玄佐が亡くなり、その子の劉士寧が留後を自称した。
四月、吐蕃が霊州を寇した。丁亥、左諫議大夫・知制誥の呉通玄を殺した。乙未、竇参を左遷して郴州別駕とした。尚書左丞の趙憬・兵部侍郎の陸贄が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
五月己未、大風發太廟屋瓦。癸酉、平盧軍節度使の李納が亡くなり、その子の李師古が留後を自称した。
六月、淮水が氾濫した。吐蕃が連雲堡を寇し、大将の王進用がここに死んだ。
九月丁巳、韋が吐蕃と維州で戦い、これを破った。
十一月壬子朔、日食があった。庚午、山南西道節度使の厳震が吐蕃と黒水堡で戦い、これを破った。この月、幽州盧龍軍節度使の劉済がその弟の瀛州刺史劉澭と瀛州で戦い、劉澭は破れ、京師に逃れた。
十二月甲辰、城東で狩猟した。
九年(793)正月癸卯、復税茶。
四月辛酉、関輔・河中で地震があった。
五月甲辰、義成軍節度使の賈耽が尚書右僕射となり、尚書右丞の盧邁、ともに同中書門下平章事となった。丙午、董晋が宰相を退いた。
八月庚戌、李晟が薨去した。
十一月癸未、太清宮で朝献した。甲申、太廟で朝享した。乙酉、有事于南郊、大赦した。
十二月丙辰、宣武軍の将の李万栄がその節度使の劉士寧を追放し、留後を自称した。
四月辛酉、関輔・河中で地震があった。
五月甲辰、義成軍節度使の賈耽が尚書右僕射となり、尚書右丞の盧邁、ともに同中書門下平章事となった。丙午、董晋が宰相を退いた。
八月庚戌、李晟が薨去した。
十一月癸未、太清宮で朝献した。甲申、太廟で朝享した。乙酉、有事于南郊、大赦した。
十二月丙辰、宣武軍の将の李万栄がその節度使の劉士寧を追放し、留後を自称した。
十年(794)正月壬辰、南詔蛮が吐蕃を神川で破り、來献捷。
四月癸卯朔、京城で赦した。戊申、地震があった。癸丑、また地震があった。この月、太白(金星)が昼に見えた。
六月丙寅、韋が吐蕃を破り、峨和城を落とした。春からこの月まで雨がなかった。辛未、雨があり、大風で木が抜けた。
七月、西原蛮が叛いた。
八月、欽・横・潯・貴の四州が陥落した。
十月、昭義軍節度留後の王虔休が摂洺州刺史元誼と沢で戦い、これを破った。
十二月丙辰、城南で狩猟した。壬戌、陸贄が左遷されて太子賓客となった。
四月癸卯朔、京城で赦した。戊申、地震があった。癸丑、また地震があった。この月、太白(金星)が昼に見えた。
六月丙寅、韋が吐蕃を破り、峨和城を落とした。春からこの月まで雨がなかった。辛未、雨があり、大風で木が抜けた。
七月、西原蛮が叛いた。
八月、欽・横・潯・貴の四州が陥落した。
十月、昭義軍節度留後の王虔休が摂洺州刺史元誼と沢で戦い、これを破った。
十二月丙辰、城南で狩猟した。壬戌、陸贄が左遷されて太子賓客となった。
十一年(795)四月丙寅、奚が平州を寇し、劉済がこれを青都山で破った。
五月庚午、中書門下慮囚。
八月辛亥、馬燧が薨去した。
九月、横海軍兵馬使の程懐信がその兄の節度使の程懐直を追放し、留後を自称した。
十月、朗・蜀の二州で長江が氾濫した。
十二月戊辰、苑中で狩猟した。
五月庚午、中書門下慮囚。
八月辛亥、馬燧が薨去した。
九月、横海軍兵馬使の程懐信がその兄の節度使の程懐直を追放し、留後を自称した。
十月、朗・蜀の二州で長江が氾濫した。
十二月戊辰、苑中で狩猟した。
十二年(796)二月己卯、吐蕃が巂州を寇し、刺史の曹高仕がこれを破った。
三月丙辰、韶王李暹が薨去した。
四月庚午、魏博節度使の田緒が亡くなり、その子の田季安が留後を自称した。
六月己丑、宣武軍節度使の李万栄が亡くなり、その子の李迺が兵馬使を自称し、処刑された。
七月戊戌、韓王李迥が薨去した。
八月己未朔、日食があった。丙戌、趙憬が薨去した。
九月、吐蕃が慶州を寇した。
十月甲戌、右諫議大夫の崔損と給事中の趙宗儒が、同中書門下平章事となった。
三月丙辰、韶王李暹が薨去した。
四月庚午、魏博節度使の田緒が亡くなり、その子の田季安が留後を自称した。
六月己丑、宣武軍節度使の李万栄が亡くなり、その子の李迺が兵馬使を自称し、処刑された。
七月戊戌、韓王李迥が薨去した。
八月己未朔、日食があった。丙戌、趙憬が薨去した。
九月、吐蕃が慶州を寇した。
十月甲戌、右諫議大夫の崔損と給事中の趙宗儒が、同中書門下平章事となった。
十三年(797)正月壬寅、吐蕃が和を請うた。
四月辛酉、以旱慮囚。壬戌、雩于興慶宮。
五月壬寅、吐蕃が巂州を寇し、曹高仕がこれを破った。庚戌、義寧軍が乱を起こし、その将の常楚客を殺した。
七月乙未、京師で地震があった。
九月己丑、盧邁が罷めた。
四月辛酉、以旱慮囚。壬戌、雩于興慶宮。
五月壬寅、吐蕃が巂州を寇し、曹高仕がこれを破った。庚戌、義寧軍が乱を起こし、その将の常楚客を殺した。
七月乙未、京師で地震があった。
九月己丑、盧邁が罷めた。
十四年(798)三月丙申、鳳翔監軍使の西門去奢がその将の夏侯衍を殺した。
五月己酉、始雷。
閏月辛亥、西北に星が落ちた。辛酉、長武城の軍が乱を起こし、その使の韓全義を追放した。
六月丙申、帰化堡の軍が乱を起こし、その将の張国誠を追放し、涇原節度使の劉昌がこれを破った。
七月壬申、趙宗儒が宰相を退いた。工部侍郎の鄭余慶が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
九月丁卯、王李倕が薨去した。
十二月壬寅、明州の将の栗鍠がその刺史の盧雲を殺してそむいた。
この冬、雪がなく、京師で飢饉があった。
五月己酉、始雷。
閏月辛亥、西北に星が落ちた。辛酉、長武城の軍が乱を起こし、その使の韓全義を追放した。
六月丙申、帰化堡の軍が乱を起こし、その将の張国誠を追放し、涇原節度使の劉昌がこれを破った。
七月壬申、趙宗儒が宰相を退いた。工部侍郎の鄭余慶が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
九月丁卯、王李倕が薨去した。
十二月壬寅、明州の将の栗鍠がその刺史の盧雲を殺してそむいた。
この冬、雪がなく、京師で飢饉があった。
十五年(799)正月甲寅、雅王李逸が薨去した。壬戌、郴州の藍山が崩れた。
二月乙酉、宣武軍で乱が起こり、節度行軍司馬の陸長源を殺し、宋州刺史の劉逸淮が留後を自称した。
三月甲寅、彰義軍節度使の呉少誠がそむき、唐州を陷し、守将の張嘉瑜がここに死んだ。
四月乙未、栗鍠が処刑された。
九月乙巳、陳許節度留後の上官涗が呉少誠と臨潁で戦い、敗れた。丙午、呉少誠が許州を寇した。庚戌、宣武軍節度使の劉全諒が亡くなり、都知兵馬使の韓弘が留後を自称した。丙辰、宣武・河陽・鄭滑・東都汝・成徳・幽州・淄青・魏博・易定・沢潞・河東・淮南・徐泗・山南東西・鄂岳の軍が呉少誠を討った。
十月己丑、邕王李謜が薨去した。
十一月丁未、山南東道節度使の于が呉少誠と呉房で戦い、これを破った。陳許節度使の上官涗がまた柴籬でこれを破った。辛亥、安黄節度使の伊慎がまた鍾山でこれを破った。
十二月庚午、寿州刺史の王宗がまた秋柵でこれを破った。辛未、渾瑊が薨去した。乙未、諸道の兵が小河で潰滅した。
二月乙酉、宣武軍で乱が起こり、節度行軍司馬の陸長源を殺し、宋州刺史の劉逸淮が留後を自称した。
三月甲寅、彰義軍節度使の呉少誠がそむき、唐州を陷し、守将の張嘉瑜がここに死んだ。
四月乙未、栗鍠が処刑された。
九月乙巳、陳許節度留後の上官涗が呉少誠と臨潁で戦い、敗れた。丙午、呉少誠が許州を寇した。庚戌、宣武軍節度使の劉全諒が亡くなり、都知兵馬使の韓弘が留後を自称した。丙辰、宣武・河陽・鄭滑・東都汝・成徳・幽州・淄青・魏博・易定・沢潞・河東・淮南・徐泗・山南東西・鄂岳の軍が呉少誠を討った。
十月己丑、邕王李謜が薨去した。
十一月丁未、山南東道節度使の于が呉少誠と呉房で戦い、これを破った。陳許節度使の上官涗がまた柴籬でこれを破った。辛亥、安黄節度使の伊慎がまた鍾山でこれを破った。
十二月庚午、寿州刺史の王宗がまた秋柵でこれを破った。辛未、渾瑊が薨去した。乙未、諸道の兵が小河で潰滅した。
十六年(800)正月乙巳、易定の兵が呉少誠と戦い、敗れた。
二月乙酉、塩夏綏銀節度使の韓全義が蔡州行営招討処置使となり、上官涗が副使となった。
四月丁亥、黔中宴設将傅近逐其観察使呉士宗。
五月庚戌、韓全義が呉少誠と広利城で戦い、敗れた。壬子、徐泗濠節度使の張建封が亡くなり、その子の張愔が知軍事を自称した。
七月丁巳、伊慎が呉少誠と申州で戦い、これを破った。己未、韋が吐蕃の末恭城を落とした。丙寅、韓全義が呉少誠と五樓で戦い、敗れた。
八月、劉済がその弟の涿州刺史の劉源と涿州で戦い、劉源が敗れ、これを捕らえた。己丑、遂州別駕の崔位を殺した。韋が吐蕃の顒城を落とした。
九月庚戌、鄭余慶を左遷して郴州司馬とした。庚申、太常卿の斉抗が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
十月辛未、通州別駕の崔河図を殺した。
この年、京師で飢饉があった。
二月乙酉、塩夏綏銀節度使の韓全義が蔡州行営招討処置使となり、上官涗が副使となった。
四月丁亥、黔中宴設将傅近逐其観察使呉士宗。
五月庚戌、韓全義が呉少誠と広利城で戦い、敗れた。壬子、徐泗濠節度使の張建封が亡くなり、その子の張愔が知軍事を自称した。
七月丁巳、伊慎が呉少誠と申州で戦い、これを破った。己未、韋が吐蕃の末恭城を落とした。丙寅、韓全義が呉少誠と五樓で戦い、敗れた。
八月、劉済がその弟の涿州刺史の劉源と涿州で戦い、劉源が敗れ、これを捕らえた。己丑、遂州別駕の崔位を殺した。韋が吐蕃の顒城を落とした。
九月庚戌、鄭余慶を左遷して郴州司馬とした。庚申、太常卿の斉抗が中書侍郎・同中書門下平章事となった。
十月辛未、通州別駕の崔河図を殺した。
この年、京師で飢饉があった。
十七年(801)二月丁酉、大雨と雹があった。己亥、霜。乙巳、韋が吐蕃と鹿危山で戦い、これを破った。戊申、大雨雹、震電。庚戌、大雪、雨と雹があった。
五月壬戌朔、日食があった。
六月丙申、寧州軍が乱を起こし、その刺史の劉南金を殺した。己亥、浙西観察使の李錡が上封事人の崔善貞を殺した。丁巳、成徳軍節度使の王武俊が亡くなり、その子の王士真が留後を自称した。
七月、隕霜殺菽。戊寅、吐蕃が塩州を寇した。己丑、麟州を陥落させ、刺史の郭鋒がここに死んだ。
九月乙亥、韋が吐蕃を雅州で破り、木波城を落とした。
この年、嘉王李運が薨去した。
五月壬戌朔、日食があった。
六月丙申、寧州軍が乱を起こし、その刺史の劉南金を殺した。己亥、浙西観察使の李錡が上封事人の崔善貞を殺した。丁巳、成徳軍節度使の王武俊が亡くなり、その子の王士真が留後を自称した。
七月、隕霜殺菽。戊寅、吐蕃が塩州を寇した。己丑、麟州を陥落させ、刺史の郭鋒がここに死んだ。
九月乙亥、韋が吐蕃を雅州で破り、木波城を落とした。
この年、嘉王李運が薨去した。
十八年(802)七月乙亥、罷正衙奏事。
十二月、環王が驩・愛の二州を陷した。
十二月、環王が驩・愛の二州を陷した。
十九年(803)二月己亥、安南の将の王季元がその経略使の裴泰を追放したので、兵馬使の趙均がこれを破った。
三月壬子、淮南節度使の杜佑が司空・同中書門下平章事を検校した。
七月己未、斉抗が宰相を退いた。正月からこの月まで雨が降らなかった。甲戌、雨が降った。
閏十月庚戌、塩州の将の李庭俊がそむき、処刑された。丁巳、崔損が薨去した。
十二月庚申、太常卿の高郢が中書侍郎となり、吏部侍郎の鄭珣瑜が門下侍郎・同中書門下平章事となった。
三月壬子、淮南節度使の杜佑が司空・同中書門下平章事を検校した。
七月己未、斉抗が宰相を退いた。正月からこの月まで雨が降らなかった。甲戌、雨が降った。
閏十月庚戌、塩州の将の李庭俊がそむき、処刑された。丁巳、崔損が薨去した。
十二月庚申、太常卿の高郢が中書侍郎となり、吏部侍郎の鄭珣瑜が門下侍郎・同中書門下平章事となった。
二十年(804)二月庚戌、大雨と雹があった。七月癸酉、大雨と雹があった。
冬、雨木冰。
冬、雨木冰。
二十一年(805)正月癸巳、皇帝が会寧殿で崩じ、年は六十四であった。
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