ハルヒと親父 @ wiki

通り魔

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haruhioyaji

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 血のにおいがした。
 そのとき、あたしたちは、人ごみの中にいた。
 雑踏のざわめきの中で聞こえたのは、あいつの鼓動だった。

 はじめて抱きしめられた。はじめて耳元で、あいつがあたしの名前を呼んだ。
 次の瞬間、あいつは砂山のように崩れ落ちた。背中に刃物が刺さっていた。

 血を浴びた男は、自分が何をしたのか分からないという顔をしていた。
 それでも、あいつの背中に刺さった刃物に手を伸ばし、たった今、自分がやったことを、他の誰か相手に繰り返そうとしていた。

 「さわるな!」
 あたしの中で血が沸騰した。何かが目覚めたみたいに体が動いた。
 あたしはその男に向かって跳び、その勢いすべてを右の掌底で相手のあごに叩きこんだ。そのまま、あごをつぶすくらいににぎりしめ、崩れる男の体を、アスファルトにぶちまけてやろうと思って、叩きつけようとした。
 「ハルヒ!」
 その声で我に返った。手から力が抜け、男は崩れるように倒れた。意識をとっくに失っていたらしい。
「キョン?」
「……そ、それ以上やったら……そいつ死んじまうぞ」
「バカ、あんたこそ、喋ったりしたら!」
「だ、いじょうぶ、だ、多分」
「多分って、そんなに血が出てて、大丈夫なわけないでしょ!」
「俺もそう思うんだが……何故だか……やばい気がしない……」
「あんた、本物のアホでしょ! あ、あんたにもしものことがあったら!」
「アホはおまえだ」
こつんと誰かが後ろから、あたまを軽く叩いた。
「おやじ!?」
「どうしてこんなところにいるかとか、無粋なことは聞くなよ。無粋な答えをしなきゃならなくなる。救急車がそこまで来てる。今、警官が人ごみを整理して、ここまで通してくれてる。来たみたいだな。本来、おまえがそこの倒れてるバカを殴ったかどで、警官に質問を受けるべきなんだが、知らぬ仲じゃないから替わってやる。キョンと乗っていけ」
「あ、うん!」

「すみません、お話を伺えますか?」
「ああ。……近頃、こんな事件が多いな。刺されたのは、娘のボーイフレンドだ。いくらでも聞いてくれていいぞ。どうせ今夜は娘の泣き顔がこびりついて、眠れそうにない」


「ハル」
「母さん!」
「キョン君はどう?」
「手術中。……ごめん、連絡もしないで」
「そんなのはみんな、お父さんがしてくれたわ。キョン君のご家族は?」
「みんな病室の前」
「いっしょにいない方が正解ね。すごい顔」
「……」
「現場にいたのだから、無理ないわ。……ハル、今は自分を責めないでね」
「……ど、どうして?」
「他にできることがあると思うから。キョン君のご両親に挨拶してくるわ」
「あ、あと、妹ちゃんも」
「ええ。彼女もちゃんと立ち向かおうとしているのね。……ハル、聞こえた?」
「聞こえた。……ありがと、母さん。……それと一緒にいくわ。あたしだけ逃げていられない」


「涼宮さん、ありがとうございました。長い時間、お引き止めして」
「どうせ病院に行っても役に立たん。……あいつ、素人なんだろ? 人刺すのに刃を上にして握ってやがった。深手を負わせるにはそれで合ってるんだが……いやな世の中だな」
「ええ。……それにしても、お嬢さんはすごいですね。うちのものも何人か現場で目撃したらしいんですが、あまりの動きに見惚れて、思わず立ち止まっていた、と」
「やれやれ。キョンが……ああ、刺されたやつだ、何故かこう呼ばれててな、……あいつが止めてなきゃ、こっちが弁護士を呼ばなきゃならなかったところだ」


「長門さん?」
「いま手術が終わった」
「では?」
「内臓の損傷は軽くない。しかし一命はとりとめた」
「よかったあ。あ、ありがとうございます!」
「朝比奈さん、あなたが頭を下げることは……」
「いいえ、わたしにもっと権限があったら、キョン君をあんなひどい目に遭わせずに……」
「それよりも、ぼくたちの落ち度です。もっと万全を期して人手を配備すべきでした。それにあなたからのヒントがあったからこそ、救急車や警察をあのタイミングで現場に向かわせることができたのですし……」
「ICU(集中治療室)に搬送完了。また涼宮ハルヒの父親が病院の玄関に到着した」
「そうですか。我々も行きましょう。とくにお母様には、彼がああなった後、彼女の心を支えていただいた恩があります。なにしろ最大級の閉鎖空間でしたからね」


「どうだ、あいつの様子は?」
「お父さん、おつかれさま。手術はぶじに成功。いまICUよ。ハルヒは、親御さんたちと一緒に付き添ってます」
「そのでかい荷物は?」
「いつかの寝袋と、それにハルの着替え一式。中には病院の売店で買えるものもあるけど、今度は3日間という訳にはいかないでしょ?」
「退院するまで、篭城かよ。やれやれ。あの馬鹿、大泣きしてなきゃいいが」
「これ以上ないくらい散々泣いた後だから、もう大丈夫だと思うわ」
「ふん。じゃあ会わずに帰ってやるか。キョンの親御さんとだけ話せるかな?」
「ええ、ちょうどいいところにみんな来てくれたわ。こっちよ、朝比奈さん、古泉君、長門さん」
「あ、涼宮さんのお母さんに、お父さん」
「朝比奈さんまで、目が真っ赤ね」
「親父さん、いえ、お父さんに早々に連絡いただいてたのに、遅くなりました」
「手術が終わるタイミングで来たんだろ? その方がいい。あと、頼みがあるんだけどな。キョンの親とサシで話がしたいんだが、そこでだ……」
「私たちがICUに入ると、入れ違いに彼の家族は譲って外に出ると思われる」
「さすが長門だ。分かりがはやいな。大人の話がある。頼まれてくれるか?」
「ええ、もちろんです」

「みくるちゃん!有希!……それに古泉君まで」
「黙っていろ、と言われましたが、お父様から連絡をいただきまして」
「そう……」
「手術、無事に成功したと伺いました」
「うん……」
「涼宮さん?」
「……ごめん、ごめんね、キョン。あたしが付いていながら……」


「心ここにあらず、といった感じですか」
「あ、あんなことがあった直後なら当たり前です! しかもキョン君が刺されたのを目の当たりにすれば、誰だって!」
「いえ、気になるのは、別のところです。『あたしが付いていながら』と涼宮さんは言いましたね?」
「それが、何か?」
「失礼を承知でいうのですが、例えばの話です。あの時あの場所に彼といっしょにいたのが、例えば長門さんだったら、どうだったでしょう?」
「古泉君、言って良いことと悪いことが……」
「わたしなら……させない」
「な、長門さんまで! ひどいです、彼女が、涼宮さんがそのことでどれだけ傷ついているか、わからないんですか!?」
「もちろん、涼宮さんは長門さんとは違います。彼女は自分の力について自覚していない。自覚していたなら、今日のような事態は起こらなかったでしょう。もっとも、それだと今とまるでちがった世界になっていかもしれませんが。……ですが、無意識には? 意識はしていなくても、無意識の願望を彼女はこれまでに何度もかなえてきました。ぼくたちも何度もそれに立ちあったはずです」
「ええ、でも、それは……」
「可能性の話ですが……ひどい話をしているのは自覚しています……今回の事態を、涼宮さんが無意識に望まなかったか、100%そう言えるのか……」
「涼宮さんが、キョン君を重症を負わせたいと願ったっていうんですか!?」
「いや、重要なのは、むしろその後ですよ。今回の傷は以前とちがって3日間の入院という訳にはいかない。しばらく彼は食事をとることもできないでしょう。そしてきっと、彼女は、涼宮さんは彼が退院するまで、つきそうでしょう。万難を排してでも。こう望むのは、不自然ですか?」
「……」
「人の無意識は、こう言っても良ければ、意識のように道徳や倫理観に縛られないため、ときにぼくたちが予想する以上に独創的で狡猾です」

「なんか、おもしろい話してるな、おまえら」
「お、お父さん!」
「今の話、俺の理解を超えるところが多いんだが、……あいつは、キョンなら、今の話を知ってるか、少なくとも聞けば理解できる、ってとこか?」
「あ、あの、その……」
「……」
「こういうときばかり、男に鉢が回ってくるな、古泉」
「……ええ、彼なら」
「こ、古泉君!」
「……」
「ふーん。……じゃあ、こうしないか。交換条件と言うとあこぎだが、今聞いた話は忘れてやる。おまえらの正体も不問、今まで通りヘンテコな部活仲間だ。そのかわり、バカがバカなりに出す、あいつらの《結論》ってやつを、尊重してやってもらいたい。どうだ? 『バカ親父の一生の願い』と添え書きしてやってもいいぞ」
「……承知した」
「な、長門さん!!」
「書いて」
「どっから出してきた? それに色紙だぞ、いいのか?」
「(こくん)」
「……ほら、長門。……で、おまえらはどうする? ……って、さすがにすぐ返事はできんか。まあ、OKなら色紙を持っておれんとこへ来い。そこに要望通りマヌケな言葉を書いてやるから」

 ● ● ●

「なんなの、この色紙? 3枚も。んー?……どっかで見た字ね。しかも、この文句……」
「き、今日は彼の全快祝いです。大いに盛り上げるために、いろいろ我々も準備しまして」
「そうなんです、準備しまして」
「準備、した」
「んー、なんだか納得行かないけど、まあいいわ。せっかくの主役が飲み食いできないのはしゃくだけど、その分、あたしが食べるからね!」
「太るぞ、また」
「なっ、なにを!」
「点滴で栄養補給してる誰かさんの隣で、食って寝るだけの生活だったからな。普段より活動量が低い上に、見舞いの品を間食だ。これで太らない方がおかしい。そう見えないのは、ハルヒの母さんが鍛えてくれたバレエ筋、インナーマッスルがガードルの役割をしてるからだぞ。感謝しろ」
「あ、あんたこそ、病人と思ってこっちが下手に出ればいい気になって、ちょっと目を離した隙にナースステーションで楽しそうにおしゃべりしちゃって何様よ!」
「あ、あれは、最初、親父さんがだな……」
「言い訳は聞きたくないわ! みくるちゃん、その横断幕、外しちゃいなさい! 何が快気祝いよ、人の気も知らないで!」
「おまえこそ、もっと周りを見て、人の言うことも聞け! だいたい……」
「どっちも、やかましい! どっかの耳の長い男なら“Negative”と言ってるところだ、と豪華ゲストの登場だ」
「親父さん!」
「呼びもしないのに、どうして来てるのよ! どうやって校内に侵入したの?」
「涼宮ハルヒの親父だといったら、モーゼが海を分けるように、教職員が左右に退いたぞ」
「私も目撃した。スペクタクル」
「な、長門さん……」
「キョン、もうバカ娘に言う言葉は尽きたが、おまえには言っておく。ハルキョンもほどほどにせんと長生きできんぞ。ほら、みろ。興奮するから、傷口が開いてき……」
「うそお!」
「うそに決まってるだろ。そこらへんの菓子類は閉まっとけ。もうすぐ涼宮ケータリング・サービスが、御馳走を持って登場だ」
「って、母さんまで来てるの!?」
「当たり前だろ。おれたちは夫婦だ」
「り、理由になってない!」









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