ハルヒと親父 @ wiki

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haruhioyaji

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 「はい、これ」
後ろの席から回って来たのは、MDディスクだった。
「あんたんち、再生も録音もできたわよね」
「ああ、ラジカセがある。で、これは、なんだ?」
「聞けば分かるわ」
「そりゃわかるだろう。で、何なんだ?」
「んもう。人に聞くばっかりじゃなくて、自分で手足と頭を使って、ちょっとは考えなさい。……まあ、あんたがここで言ってもいいっていうんなら、いいわ。言って上げましょう」
「ちょっと待て!」
 そういうものなのか、これは?
「は? あんた、なんだと思ったの?」
 くっ、はめやがったな。ちょっとここでは言えないようなことを、ほんの少しは想像したとも。笑うなら笑え。……だがすぐ打ち消したぞ! これは罠だ、とおれの背中がぴりぴりとした……
「あんたの勘も当てになんないわね。このMDの中身は、え・い・ご。あんたの発音は、まあほかのどの教科も決して良いとは言えない、いいえ悪いとしか言いようがない実力だけど、ことさらあんたの英語の発音は、まったくもってけしからんくらいに、なってないわ。これはあんたと旅行して、現地でもしっかり検証したことだけど……」
 ば、ばか、あの話はよせ。
「いいわ。つまり、あんたの英語力は、その根底となる発音からしてガタガタなのよ。そのくせ、言葉で言い逃れる能力だけは人一倍あるから、原文の単語も意味も、半分も分かってないくせに英文解釈なんか、なんとか上塗りのごまかしでしてしのいでいるけど、そういうことじゃ駄目。今はセンター試験にもリスニングがある時代なのよ!読み書きだけで受けられる大学なんて、どこにもないんだからね!」
 それとこれと何の関係があるんだ?
「ふう、やれやれ。あんた、これは説明するのも恥ずかしいことなのよ。いい? 発音できない音は、絶対に聴き取れないの。実際、日本人でかなり英語ができる人でも6割程度の音しか聴き取れてないの。単語力や文法力で推測の力をフルに発揮して、なんとか意味が通るように解釈するんだけどね。そういう余分なところにアタマを使うから、余裕はないし、定型文そのままの、通り一遍のことしか話せないのよ。これからの時代はね!」
「ストップ」
「何よ?」
「おまえの情熱の大きさと方向は概ね分かったが、時間切れだ。先生が授業を始めたいと仰ってる。ついでに言えば、この時間は英語なんだ」
「わかってるわよ、それくらい。だから英語のMDなんじゃないの! あんたが説明に手間とらせるからこんなことに」
「すまん、わるかった、この通りだ。じゃあ、このMDは家にもって帰って、聞いてくればいいんだな?」
「甘い。それじゃ話は半分よ。あんたの分もちゃんと録音して返しなさい」
「はあ?」
「英語のリーダー全ページ、あたしが朗読して録音しといたから。プロでもネイティブでもないけど、あんたの発音よりはマシよ。母さんにもチェックさせたしね。だから、あんたも、英語のリーダー全部音読して録音して返しなさい。それを今度はチェックするからね」

 こうしてハルヒとおれの会話は終わり、英語の授業が粛々と行われた。
 ハルヒ及びおれに対して、一言の注意もなく授業が始まったのは、英語劣等生をなんとか救い上げようとするハルヒの教育的情熱に、英語担当教諭が感涙したからでも、ただでさえ定期テストまで日のない貴重な授業時間をこれ以上削りたくないという理由だけでもなさそうであった。おそらく、おれの後ろの席の女生徒は、日本語では元より、英語を使ってさえも、この某大学英文科を大変よい成績で卒業された担当教諭と、ガチに渡り合ってディベートをやらかしても、ひょっとすると勝ってしまうんじゃないかというぐらいの英語力及び胆力及び強い心臓等々を持っているのだ。
 が、今そいつは、おれの後ろで、英語の教科書をすらすらと読んでいやがる。後ろを振り向かなけりゃ、どこの留学生か帰国子女か、と思うくらいだ(おれにはそのあたりの細かい違いを識別する能力がない)。確か留学経験もあったはずの、英語の教師も、他の生徒にはする細かい注意をハルヒにはしたことがない。「やりたくない」気持ちも確かにあるだろうが、「やる必要がない」レベルにひょっとするとこいつは達しているのかもしれん。またおれの耳を基準にして申し訳ないが、正直、この先生とハルヒのどちらが「それっぽく」聞こえるかといえば、法の女神テミスの天秤ばかりのように公平に判断して、ハルヒの方に軍配が上げるだろう。
 ハルヒが読み終わると、教師は“グッド”ではなく“エクセレント”と小声でその発音を評した。
 さて、順番によれば、エクセレント・ハルヒの後の箇所を朗読するのは、何を隠す余地もなく、その前の席のおれである。
 ハルヒの後に英語を読むなんて憂鬱だろうって? いや、不思議とそういう感情はわいて来ない。実力の差が段違い、ということはもちろんある。比べても仕方がないとは、おれを含む教室全員の一致する意見だろう。ああ、そうだな、おれの後ろで多分腕組みして聞いているだろう、ひとりを除いては。
 ヘタクソの自覚はあるが、おれの朗読は、萎縮して縮こまったものとは正反対な、「バカでも元気」路線である。腹の底から声を出すのはもちろん、限界まで口をバクバク開けてやる。ときどき舌を噛むのはご愛嬌だ。何よりもぼそぼそイングリッシュを嫌う御人が、後ろから今か今かと蹴りを入れるようと待ち構えているから、というのももちろんある。いつぞや、ハルヒはおれにこう語った。

「あんた母音と子音の違いは分かる? 喉つまり声帯を振るわせて出すのが母音、舌とか歯とか唇とかで空気が通過するのを邪魔して出すのが子音よ。たとえば『か』って音は、あたしたち日本人にとってはひとつの音よね? 英語の話す人達には、口の奥の上に舌をくっつけてそこで息が出るのを邪魔して出す「k」とのどの奥から唇まで口をでっかく開けた「a」って2つの音の連続技に聞こえるわけ。なぜなら彼らはそうやって2つの音を作る、つまり発音するから。日本語にはすべての音に母音がついてるから、子音+母音はセットのもの、一体化した音だと思ってるけど、そのノリでカタカナ英語をしゃべってみなさい、相手は『あなたの英語は速すぎて聞き取りにくい』って言われるわ」
「まさか」
「そのまさかよ。だって、向こうの2音を1音にしてるんだから、極端な話2倍の速度で話してるようなものよ。そのかわり、子音で終わる単語にも、余分な母音を付けるからね。英語のcatは文字の数と同じ3つの音よ。『キャット』はどう?」
「『キャ』と小さい『ッ』と『ト』で3つか?」
「あたしが言うのを良く聞いて。あと口元を良く見とくのよ。『cat』」
「しいていえば、『キャッ…』って感じだな」
「そうね。分解すると、さっきの喉の上奥で息を詰めて作る「k」って音、これは子音ね。次が、そうね、最初は『エ』の口からスタートして声を出す間に目一杯口を開く音、これが母音ね」
「『エ』ではじまって『ア』に変わっていく感じか?」
「それに近い感じね。ただこれでひとつの音だってこと。出すときのコツは、『エ』の形からさらに口を開こうするときは、上に口を開けるだけじゃなくて、むしろ下あごを下に降ろして口を開ける感じかしら」
「最後は『ト』じゃなかったな」
「『ト』だと『t』と『o』が必要ね、でも『o』なんて着いてない。英語は子音で終わる単語が多いわ。『t』の音は下を上の前歯の裏にくっつけて、息で舌が吹き飛んで漏れる音、って感じかしら。……一番大事なのはね、キョン、子音は口の中で舌とか歯とか唇の隙間を吹き飛ばすくらいの息の量が必要ってこと。真面目に練習したら、最初は息が切れるわよ。あと母音は喉で出す音だけど、口の開き方が大違いよ。catの母音みたいに、音を出してる途中に口の開き具合を変える場合もあるから、肺も口も大騒ぎよ。ここで気の小さい奴は失敗するのよ」
「気の小さい奴って?」
「たとえば英会話教室できれいな発音ができるお嬢さんとかね。まあ、いっぺんぶち当たって痛い目に遭うと、英語を喋るときは、もとのウツウツした性格から、どこの西海岸の人?ってくらい変わっちゃう人もいるけど。自信を失うとね、誰だって、口の中でもごもご言うようになるけど、そうすると発音がめちゃくちゃになるの。だって口のどこかを息の力で突き破って子音は出すのよ。口の中でモゴモゴとは正反対よ。最初は誰だって自信がないわ。はじめて話した英語に「はあ?」と冷たい目線を返されただけで萎縮しちゃって、せっかくきれいだった発音もむちゃくちゃという訳よ。これ、じつは男の方に多いんだけどね。女はいざとなったら腹が決まるせいかしら。だからキョン、間違ったっていいから、声量と息の量と口の開き具合は誰にも負けちゃ駄目よ。そうすりゃ、少々ヘンテコな発音だって、相手が聞き取ろうとするわ!」

 というハルヒ師範の指導を、おれは教室でも忠実に守っているのだ。
「げ、元気があって結構です。ただ、もう少し丁寧に、なめらかに」というのが英語教師の評だった。
 椅子に座る際に、少し後ろを見てみると、「これくらい当然よ」と師範は鼻息も荒かった。が、目が合うと急にわたわたし始め、「前を向きなさい」とおれにしか聞こえない声でハルヒは言い、おれの背中をどんと軽く突き飛ばした。もとより予想の行動だったので、軽く机に突っ伏すだけですんだけどな。

 そして問題の物体が、おれの手の中に残った。
 SOS団の活動が終わり、それぞれが帰途についた。ハルヒは別れ際にも「宿題のMD、絶対に忘れないように」と釘を刺していった。
 英語のリーダーを朗読すること。これは問題がない。“エクセレント”にはほど遠かろうが、少なくとも声を出して読むことに、今や抵抗はない。少しくらい家族から苦情が出ようが、でかい声を張り上げて、声量も息の量も負けないように読み上げればいい。それはいい。
「キョンくーん、座ったまま寝てるの?」
「いや。ほら、英語を聞いてたんだ」
「目、つぶって?」
「その方が、そ、そうだ、音に集中できるだろ。視覚を遮断した方が」
「これ、ハルにゃんの声だね。うわあ、すごい! ハルにゃんペラペラだよ」
「ああ、そうだな」
「これ、なに? 英語の声のラブレター」
「な、なんだ、それは?」
「これだと、何言ってるかわからないもんね」
「あほ。おれだって何言ってるか、分からなくなるじゃないか。これは教科書の……って、こら、聞きなさいって!」
「お母さーん、ハルにゃんが……」
 1階へ駆け下りて行った妹の声はよく聞こえなくなったが、何を言っているかは、はっきり想像できた。っていうか、どういう発想だ。そんなこと、どこの優等生カップルがやってるんだ? 出来杉くんとしずかちゃんか。あいつらは小学生だぞ、生意気な。
 こうして、しばしの間、おれはのび太と心情を同じくして憤っていたが、そのおかげで、自分の中に積もるわだかまりの正体に、なんとなくだが見当がついた。
 上着とサイフを持って、1階へ降りた。家族のものにコンビニに行って来ると告げ、玄関を出て、おれは自転車に乗った。深夜とはいえ、風はまだ涼しいと言える範囲に留まってくれていた。

 次の日の朝、おれの真後ろの席のそいつは、上機嫌でも不機嫌でもないという顔を窓に向けたまま、
「おはよ」
と挨拶をよこした。
「おはよう、ハルヒ。例のもんだ」
「感心ね。褒めてつかわすわ」
「ありがたいな。時間をかけたかいがあったってもんだ」
「眠そうね」
「夕べ2時までかかった。なかなかうまくいかないもんだな」
 おまえの方は、眠いどころか、寝てなさそうだ、と口まででかかった言葉は飲み込んだ。
 ハルヒは自分が録音したときのことを思い出すように、こう言った。
「録音するとなるとね。普段とちらないようなところでもとちるし、1冊分となると、どこかで気が緩むしね」
「まあ、それもあるけどな」
「ん? あんた、このMD、昨日のと違ってる」
「ああ。夕べ、新しいのを買いに行ってそれに録音してきた。まずかったか?」
「い、いや、あの、別にいいんだけど」
「一冊分となると、おれみたいにたどたどしく読んでたら1時間以上かかる。おまえのMDにはおまえの声が入ってて、そんなに残量もなかったからな。新しいのに録って来たんだ」
「……で、あたしが渡した……MDは?」
「……保管……してある」
「あんた、最後まで聞いたんだよね?」
「ああ」
「“指示”してあったと思うんだけど?」
「ハルヒ、首が、息が苦しい……」
「あ、つい力が……」
「おれのMDを聞いてみろ。ほら、プレイヤーだ。“指示”はちゃんと守ったつもりだぞ」
 そしてMDプレイヤーは、ヘッドホンに俺の声を再生し始め、ハルヒは早送りか曲飛ばしのボタンを連射して、最後の章の終わりに、どうやらたどり着いたらしい。
「この、バカキョン!」
 目に熱いものを浮かべながら、ハルヒは何度もおれの胸を叩いた。
 さいごにおでこをぶつけて来て、おれはハルヒを体を抱きとめ、抱きしめた。
「そ、それから! このMDも永久に保管するからね!」
「ああ、そうしろ」
とおれは言った。
「そっちの方がいいって思ったんだ」

  ●  ●  ●

 「え、古泉君も知らないんですか?」
「ええ。では、朝比奈さんも? あ、これは個人としてではなく、それぞれの組織を代表して……」
「言えない」
「長門さん、いま『言えない』とおっしゃいましたね?」
「言った」
「では、事の詳細をご存知だと、考えてよろしいのですね」
「彼らの観察は、私に課せられたタスクのうちで最優先に位置付けられている」
「では、彼が涼宮さんに何とおっしゃったのか、いいえ、何と言って告白したのか、教えていただけませんか?」
「言わない。これは私の意思と受け取ってもらってかまわない」
「ちょっとすみません。強引過ぎはしませんか。古泉君らしくない、というのがいいのか、ちょっとわからないですけども……」
「ああ、すみません。少々感情的な言い方になってしまったようで」
「古泉一樹が所属するいわゆる『機関』は、彼らが交換したMDを手に入れている」
「えっ、どういうことなんですか、古泉君?」
「ええ、実は機関で、先に取り交わされた2枚のMDを発見したのですが……」
「盗んだんですね?」
「黙って拝借しただけだと、……聞いてます。内容を確認次第、気付かれぬうちにお返しするはずだった、と」
「しかしどちらのMDにも何も録音されていなかった」
「ええ。機関内部でも少々問題になっていまして。すみません、内部事情を言い訳にするつもりはないのですが」
「それだけ組織として動いて成果がない、よくわからないとなれば……、その、困りますよね。わたしにだって、それくらいはわかります。でも……」
「おっしゃいたいことは僕もわかります。いえ、僭越ながら、同じ気持ちだと言っていいと思います。彼らの友人としては、もちろん喜ばしいことです。そして告白の有様など、まったくプライベートに属する事象です。ただ、我々も含めて、新しい段階に入ったということは、認めざるを得ない。いつかはこうなることは当然、予想はしていました。対策、というより体制は準備されてました。それこそ、ずっと以前から。だからこそ、興味本位ではなく、知りたいのです」
「あの、古泉君、ごめんなさい。こんなことはとっくにやってると思うんですけど、あの、キョン君には?」
「ええ。直接、尋ねました」
「キョン君はなんと?」
「はぐらかされた……といえば、少々、言葉に悪意が込められ過ぎていますね。ええ、彼はきっぱりと涼宮さんと交際をはじめたことを認めてくれました。そして、あとは聞かないで欲しい、これは二人からのお願いだと」
「……これを」
「なんですか、長門さん? 古い本ですね」
「そう。しかし書かれたのは遠い未来」
「えっと、どういうこと……ですか?」
「失礼、ここに栞が挟んでありますが」
「読んで」
「あ、はい。……古泉君、わたしが読んでもいいですか?」
「ええ、そうしてください。……今日は、諌めていただいてばかりですね」
「いいえ、そんなつもりでは」
「それに、朝比奈さんはすぐに本と言われましたが、現代人は読めない書体で書かれています」
「えっ! そうなんですか? ……じゃあ読みます。誰かの伝記……ですか? ここからですね。……
『彼らが実際にどんな言葉を告げ合ったのか、それに関する記録を私もまた先人たちと同じく、方々に手を尽くしたが、発見できなかった。それ故、彼らの伝記作家として、私に記すことが許されるのは、以下のような言葉のみであろう。人がこの地に立って以来、相手に対する己の想いに気付き、相手もまた自分に同じ想いを抱いているのだと気付き合う際に、二人が取り交わしてきた秘密の言葉を、彼らもまた互いに告げ合ったのだと私は信じる。私たちはその言葉を知らないが、知らないうちに知っているとも言える。なぜなら、私たちもまた、互いの気持ちに気付き合い、抱き合える人と出会う時、その言葉を口にするだろうから。
             ナガト・ユキ』って、長門さん、これって!?」






















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