ハルヒと親父 @ wiki

親父の英会話 Lesson 5

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haruhioyaji

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存在の英語から状態の英語へ


オヤジ
前回は、存在の英語「〜がある」をやったな。おわりに「I see / find」ってネタをふっといたが、覚えてるか?
キョン
ええ、さすがに。昨日の今日ですし。
オヤジ
とりあえず復習がてら、「道に100円玉が落ちていた」ってのを考えてみな。
キョン
うーん。とりあえずthere isとhaveを使った2つを作ります。えーと、
There is a 100-yen coin on the street.
??? …… have a 100-yen coin on the street.
キョン
落ちてるってのは、誰のものでもないですよね。ちょっと「誰か」とモノの関係を考えるのが難しい。
オヤジ
そうだな。確かにその100円玉は誰のものでもない。だが、「100円玉が落ちていた」と言ってる奴は誰だ?
キョン
目撃者、ですか?
オヤジ
そうだな。確かにそいつはまだ100円玉を自分のものにしていない。しかし、その存在を発見してはいる。だから、その誰かと100円玉の間には、何らかの「関係」がある。
キョン
そうか。だからsee / findなのか。
I found a 100-yen coin on the street.
オヤジ
ばっちりだ。人とモノの関係は「所有・もつ」だけとは限らんということだ。「目撃・みる/発見・みつける」という関係は、重要だ。「Esse ist percipi(存在するとは知覚されることだ)」というのが大げさすぎるとしても、一面の真理ではある。まだ誰も「見ていない/見つけてないもの」については、語ることができないからだ。語ることが出きるなら、誰かがそれを見つけてる、自分じゃなくてもな。
 もう一度、
There is a 100-yen coin on the street.
I found a 100-yen coin on the street.
を見てくれ。ここで言われているのは、ただ「100円玉の存在」についてだけじゃない。「100円玉が道に落ちている」という「状態」について、この英文は語っている。今日やりたいのは、こいつだ。状態を語る英語だ。

オヤジ
「存在」について語るとき、さしあたって注目される、そのモノがあるのか/ないのか、だった。
 「状態」について語るなら、「ある/なし」以上のことに触れる必要がある。
 おれを例にとろうか。

Oyaji is. 親父がいる(存在している)。 I found Oyaji. 親父を見つけた。(存在の知覚)
Oyaji is angry. 親父は怒っている(状態)。 I found Oyaji angry. 親父が怒ってるのがわかった。(状態の知覚)

キョン
「親父」って固有名詞だったんですか。
オヤジ
そういう扱いだと思ったぞ。違うのか?

オヤジ
例を変えるか。
I found the leaf red.
を訳すのに「葉が赤いのに気付いた」というのが正解なんだろうが、「紅葉していた」とだけ訳してもいい気がしないか。
日本語の場合だと「〜が〜な状態である」という事実の方が重くて、それを誰が見つけたかとか誰が報告しているかとか、どうでもいいところがある。
だから、日本人が、英語を話したり書いたりするとき、主語のところでつまずきやすいんだが。
キョン
親父さん、「What a Wonderful World 」の歌詞を訳してましたね。
I see trees of green, red roses too
 木には葉が繁り、バラも真っ赤に
I see them bloom for me and you
 咲いていやがる 俺たちの方を向いて
オヤジ
ああ、もっとちゃんとした正式な訳があるんだがな。この「I see」も描写だ。だから訳には出てこない。もっとも「咲いていやがる」とやっちゃ、アタマ隠してなんとやら、だな。

オヤジ
ちゃんと覚えてないんだがな、漱石の『こころ』の英訳で、たしかこんなのがあった。
I find him in the garden. 彼は庭へ出て何かしているところだ。
小説だし、一人称で書くか三人称で書くかという話もでかいが、こんな風な描写も英語だと「I find」が使える。これを「He was doing something in the garden.」とやったら、なんだか「台無し」な感じがしないか?

オヤジ
もう一個、例を出そう。これも元ネタは、『こころ』の英訳だ。ちょっとアレンジしてあるが。
I find my daughter loving occasionally. 娘もいつの間にか恋のひとつもするようになる。
She will finally find him. あいつも誰かと運命的に出会うんだろう。
おっと、最後のは余計だ。findの用例というより、finallyを「運命的に」と訳してるのがミソだ。赤い糸伝説が背景にあるのかね。

そろそろ、今日の話も閉めるか。

No Grand Cause is to be found at sea:  航海の行く手に、大義なんかありはしない
(三島由紀夫著ネイサン訳『午後の曳航』 新潮文庫74ページ (The Sailor Who Fell from Grace with the Sea ))。
















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