ハルヒと親父 @ wiki

できちゃった その5

最終更新:

haruhioyaji

- view
管理者のみ編集可



「両親教室? 何だ、それは?」
「実質は父親教室みたいなものらしいんですが。いままで妊婦さん向けの母親教室は、どこの産婦人科でもやってたんですが、それだと父親になる側が、母親になる側と、知識にしろモチベーションにしろギャップが広がってしまうんで、両方が参加する教室を導入しているところが増えているみたいなんです。両親教室への参加が、立ち合い出産の条件になっているところも多くて」
「まあ、何も知らんバカを出産に立ち合わせても、騒ぐだけで役には立たんしな」
「あんたの場合、役に立たないどころか、追いだされたんでしょ?」
「バカ娘、それは正確とは言えん。母さんから『もう大丈夫』サインが出たんで、おとなしく退散したんだ。な、母さん」
「ええ。さすがにわたしもハルヒを生むのに集中したくって」
「ほら、見なさい。キョン、あたしたちは二の轍は踏まないで行くわよ」
「というわけで、親父さん、週に一回、仕事の方を抜けたいんですが」
「それはかまわんが。俺に着き合ってバイトに受験勉強、それに両親教室か? 学校の方もあんまり行けてないだろ。そっちは大丈夫なのか?」
「出席日数は計算してもらって、ぎりぎりのところで調整してます。結果が出てきたんで、まあ大目に見てもらえる余地が出てきたというか」
 それについては、古泉の暗躍や長門の得意技もあるらしいのだが、詳しいことは気を使ってか、話してくれない。
 一方、成績の方はと言えば、親父メソッドが脳に浸透してきたのか、まず学内テストが、ついで模擬テストの成績が、VTOL機(垂直離着陸機)の離陸のように、逆L字型に上昇し始めた。
 自分で変化を自覚したのは、勉強のできる奴にとっては当たり前のことなのかもしれないが、メモも何もなくても、受けてきた試験問題を完全に再生できるようになったことだ。
 問題文ごと暗唱する訓練が効いてきたのかも知れない。この能力が、受験勉強の後半以降、格段に記憶ものの効率を高めたのは言うまでもない。それまでは「これはさっき/昨日/前の模擬試験でやったやつよ!」と、よくハルヒに言われていたが、汚名返上の日も近い。いや、もう来ているかもしれん。
「でも、キョン、無理だったらいいんだからね。あんたがいるのは心強いけど、あたし、ふっきれたというか、ちょっと強くなったから」
「そうなのか?」
「うん。母さんにね、いろいろヒントもらったの」
「そうか」
「うん」
「でも、立ち合い出産は、俺のわがままでもあるから、なんとかやれるだけはやるつもりだ。それでいいか?」
「うん!」



ハルヒ母
ラマーズ法ってね、弛緩と呼吸がポイントなんだけど、わたしが習った古武術の呼吸法とか弛緩の考え方と結構似てるの。多分、これ以上、体に負担がかかると死んじゃうだろうし、お父さんが死ぬのはダメだってわざわざ頼みに来たものだから、無意識にそれをやってたみたいね。私、ハルヒを生んだとき、途中からほとんど無痛だったの。

ハルヒ母
護身術ってことで習ったんだけど、私ったら力は弱いし持久力もないし、逃げようたって走るとすぐ息が切れるから、そういう子にできるものと散々探したみたい。みつかった先生は、肺を半分切り取ったおじいさんでね、いつもゼイゼイいってるし、これなら大丈夫だろうということになってね。
 そんな先生の武道だから、とにかく鍛えないの。むしろ体の力を抜くこと緊張をとることばっかり。それはそれは丁寧にやったわ。自分は抜いてるつもりでも、こことここの筋肉が緊張してますよ、という感じでね。すぐに全身の筋肉の名前、覚えちゃった。呼吸の仕方がその次。技みたいなものは、いくらも習わなかったわ。
 でもおかげで、一通りバレエもできるようになったし、ピアノの運指はものすごく楽だったの、へんな癖がはじめから消えてるようなものだから。だから、先生の教えてくれたことは、少ない体力を上手に使う練習、体を楽に思いどおりに動かす練習なんだと、子供心に納得したの。だから今もすごく感謝してるわ。まさかお産のときまで役立つとは思わなかったけれど。

ハルヒ母
名前は覚えてないの。聞かないこと、調べないことが、教える条件のひとつだったみたい。ひょっとしたらすごい人だったのかもしれないわね。

ハルヒ母
ある日、心配した父がね、「あの、いつから術の方はお教えいただけるのですか?」と余計なことを聞いて、「もうやっておる」と先生が答えて、母さん試合みたいなことしなくちゃならなくなったの。父をうらんだけど、家にいる若い人たちが殴る係りになって、かわいそうだったわ。
 先生が一言だけ、「あなたは耳がいいから、相手の呼吸をする音が聞こえるでしょう」といって、その後、すぐ試合ね。母さん、一応、そのうちのお嬢さんだから、みんな本気で殴れないわよね。でも確かに、息の音を聞いてると、相手がいつ動くか、どんな風に来るかが、よくわかったの。
 あ、これなら、簡単によけられそうと思ってよけてたら、みんなが本気じゃないと父が怒ってね。ステッキか何かで殴りかかってきて、みんなに無茶言って、その上、娘を殴ろうなんて、母さんその時少し腹が立っちゃったから、よけるのは簡単だったけど、よけるときに少しトンと父を押したのね。
 そしたら、ひっくりかえっちゃって、みんな大騒ぎ。母さんも、そこまでこっぴどくやるつもりはなかったから、必死であやまってね。あとで先生に、あの時私がしたのは何ですか、と聞いたら、
「人は攻撃するときには、バランスを失うことと引き換えに力を出すのです。その一番無防備な瞬間があなたには見えたのでしょう。捌きの中には、相手を倒す動きも含まれているのです。あと、すこしだけ技のようなものをお見せして、私がお教えすることはおしまいです。使わない方がいいが、今のあなたなら、ご覧になっておけば、何年か先になっても、ちゃんと役に立つでしょう」って。
 実際に役に立ったのは、お父さんと知り合って、危ない目に会うようになってからだけど。
ハルヒ
あんた、なにしたのよ?
親父
うーん。理由は忘れたが、30人くらいに囲まれてな、とりあえず手近なのから殴ってたんだが、疲れてくるし困ってたら、向こうから小さな女性が、大男たちをぽいぽい投げながら、モーゼが海を分けるみたいにならず者達を分けて、俺のところまで歩いてきた。もちろん母さんだ。そこで俺の顔にビンタ一発だ。パシンといい音がして、みんな動きを止めちまった。その後、俺は母さんに手首つかまれて、引きずられていった。
ハルヒ母
もうあんな立ちまわり、しませんよ。次は悪知恵でしのいでください。
親父
というわけで、10人以上は相手にしないと誓ってある。で、話の続きだ。母さんにおれが引っ張られてるのを見て、まだ俺を殴ろうとしたり、母さんを捕まえようとした奴もいたが、そんなのは、母さんがひとにらみで相手を凍らせてた。だから、おれが10人束になってもかなわんと思うぞ。
ハルヒ
あんたみたいなのが10人もいたら、その方がたまんないわよ。
親父
なら、バース・コントロールはすることだ。どうもお前はまだまだ生みそうな気がする。隔世遺伝ってのもあるんだからな。俺みたいなのがほいほい生まれてきたら、どうするんだ?
ハルヒ
全員、真人間にしてみせるわ。ご心配なく。



「キョン君、親父さんは?」
大量コピーを持って帰ってくると、親父さんの部屋のまえに、若い男女社員。
どういうわけか、親父さんの会社でも「キョン君」扱いだ。ただのバイトに「君」という敬称がつく理由は、親父さんによれば「あんな『人でなし』にこき使われているのに、文句のひとつもいわない人格が、高校生ながら尊敬を集めている」んだそうだ。俺はただ親子揃って荒い人づかい慣れているだけなんだが。
「さっきまでいたんですが、鍵は?」
「いや、ノックしても反応がなくて」
男性社員の方に、コピーの束をどさっと渡して、空いた手でドアのノブをまわす。鍵はかかってない。居留守だ、あるいは居眠りだ。
「キョン、ノックくらいしろよ。社会人の常識だ」
「ノックがあったら返事ぐらいしてあげてください。お二人が待ちぼうけをくらってました」
男性からコピーの山をうけとり、俺は自分の机に座った。
おやじさんは、言われちまった、といって肩をすくめてる。
「そりゃ、わるかった。で、何か用かい、お二人さん?」
「あの、『他の人には無理』なことなら、親父さん、いえ、涼宮さんは断らないと聞いてきたんです」
やれやれ、どうやら用件は、一筋縄では行かないような厄介ごとの解決らしい。現在の俺の雇い主、トラブル・メーカー兼トラブル・シューターを自認する、我らが親父はどんな妙手を(はたまた悪知恵を)見せてくれるのか。

 「俺の見立てでは、どうやら色恋沙汰だ。キョン、おまえさんに任せる。得意だろ?」
「全然」
「おまえ、娘婿って立場、わかってるか?」
「親父さんは、婿には色恋沙汰の得意な奴がいいんですか?」
「いや、全然。むしろ逆」
「Q. E. D. (Quod Erat Demonstrandum かく示された;証明終了)」
「こらこら。俺たちは口先三寸で飯食ってるんだぞ。師匠を倒してどうする?」
「打ち返さないと、せっかく返しやすいロブをあげたのに、と怒るじゃないですか」
「そうだっけ?」
 親父さんは心底不思議がって見せ、ようやく二人の社員の方に向き直った。
「ま、冗談はさておき、仕事でなんかトラブルか?」
「ええ、あ、はい」
「相手さんとやらかしちまったか?」
二人は何で分かるの?といった顔をしたが、その後大きくうなずいた。
「向こうのお家事情が苦しいのはわかるんですが」
「無理難題を吹っかけられた?」
「ええ」
「相手、どこだっけ?」
「○○市役所です」
「役人か。困ったもんだ」
「そもそも住民参加でやりたいと言ってきたのは、市の方なんですよ。それを今になって!」
どうやら腹に据えかねているのは女性の方で、男性の方は挟まれなくていいところに挟まって身動きが取れないといった様子のようだった。
「あー、ちょっと電話する。貸しのある奴が確か一人いてな」
親父さんは、何は口ずさむようにぶつぶついいながら、携帯のアドレス帳に見つかった「貸しのある奴」の一人を選んだ。
「……出やがった。ああ、俺だ。何度も言うようだが、俺は鈴宮じゃなくて涼宮だ。そう。『君が望む永遠』に出てくる方の。お前の携帯にもそう入力してやったろ?」
親父さん、それは名作ギャルゲーでウツゲーです。何気にやり込んでそうでこわいが、ネーミング問題はいろんな理由から黒歴史と化しているので、これ以上は追求しないぞ。
「うちの若い連中が、手を貸してる、ほら、何だっけ? ドブ川をせせらぎにする、とかいう奴だ、と。あれ、どこの担当だ?」
 基本的に親父さんは一度覚えたことを忘れない。「何だっけ?」と聞くのは、未知の情報、単に知らないことを聞き出す時の常套句だ。
「××課? まだ、そんなもの、あったのか? △△が部長? 困ったぞ、貸しがありすぎて焦げ付くまでいってる奴だ。……じゃあ、あいつにな、5分後くらいに『親父』から電話があるぞ、って告げ口しといてくれ。5秒で済むだろ。てめえ、時給いくらだ? 頼んだぞ」
と、よくは分からないが、これにて一件落着といった顔で、親父さんは俺たち3人を見た。
「△△は、タヌキでムジナだ。机、派手にどついてたろ? 古いんだよ、あいつは。俺の名前、どこかでぶつぶつ言ってなかったか?」
「そういえば!」といったのは男性。
「ええ、それもあって、おやじ……涼宮さんに頼もうと」
といったのが女性社員の方だった。
「親父で構わんぞ。こいつだって、ここでもキョンだ」
「親父さんがそれしか使わないからでしょ」
「いい名前だな。今夜、どうだ?」
「悪いですが、ハルヒと約束がありますんで」
「つれないな、キョン。……おい、ほんとに5分待つと逃げるから、今すぐ電話しろ。どうせ、落としどころはもう考えてあんのさ。部外者怒鳴りつけて、内部まとめようって腹だ。2万年ほど古い手だ。もし、ぐずぐず言うようだったら、俺に替われ。貸したもの、全部今から回収にいくぞ、と言ってやる」
 男性社員が電話し、そのなんとかいう部長を呼び出して、ぺこぺこしたり、笑ったり、まあ、向こうの話が大層長いのはそれだけでもよく分かったが、もめごともわだかまりも、とにかく解決してしまったのは、本当のようだった。
「無駄なことばっかりしやがって。だが、ともかく、一つ片付いたぞ、キョン。お前の英語を見てやろう。……過去問3周したって?」
「いや、今5回目に入ったところです」
「こんなに急に伸びるなら、志望校ふっかけて、ほんとに『ハルキョン桜』にすればよかったな」
「いや、ハルヒはしばらく実家を離れられないし、俺も1年も離れて暮らすのはごめんですから」
「面白みのない奴だ。あ?△△が、替われって? キョン、これでも読んで、ちょっと待ってろ」
 親父さんが放り投げたでかい封筒の中には、英語の絵本が3冊入っていた。

 電話を親父さんに替わった男性社員が、俺に話しかけてくる。
「すごいな、君の親父さんは」
いや、まだ、俺のじゃないです。というか、俺の、ってのは勘弁してもらいたいのが、偽らざる魂の叫びだろう。
「なんだか出来レースだったみたいだし、災難でしたね」
と話をそらせたい俺。
「いや、△△部長ってのは、やり手だが、荒っぽい人でね。当時、市長がぶち上げたあるプロジェクトの責任者になったんだが、独断専行が過ぎて役所でも孤立、地元住民とは全面対決、みたいなことになったんだ。それを解決したのが……」
 男性社員と女性社員、それに俺は、それぞれ違った目で、電話にどなってる親父さんを見た。
「やれやれ。何度言えば分かる? おれは鈴宮じゃなくて涼宮だ。うちの若いもの、人前で恥かかせてくれたそうじゃないか。高くつくぞ。どっちがヤクザだ? まだに部下の書類、窓からこれ見よがしに捨ててるのか? 今は、ピンクの蛍光マーカーで修正してる? どっちにしろ、ろくな死に方しねえぞ。 いいや、これっきりだ。どのみち、しばらく日本を離れる。いーや、絶対にだ。衛星電話しか通じないところにいるから、税金じゃなくポケット・マネーでかけてきやがれ。じゃ切るぞ」

 親父さんは携帯をポケットにねじ込み、二人の社員のお礼を聞き終え、どかっと来客用ソファに座り込んだ。
 「だから日本は嫌なんだ。くだらない連中が気安く電話かけてきやがる。アフリカからだと、いまだに船メールが何ヶ月もかけて届くぞ。違うのは内容だ。『こんなことで困ったけれど、自分たちで工夫して、こんな風になんとか解決しました』みたいなことが書いてあるんだ。俺を便利屋か何かと思ってる連中全員に回覧してやりたいぞ。で、キョン、お前に渡したそれなんだが」
「絵本ですね。英語の」
「そうだ。そして商売道具さ。向こうじゃ暴力はやめて話し合いで解決しましょう、なんて絵本がわんさかあって、ガキの頃からそれを読んでくるんだ。だから暴力もオプション(選択肢)のひとつだとおもってやがる。犯罪は、暴力しかオプションをもたない下の連中の仕業だとさ。こっちでいう、しがらみや腹芸が、向こうじゃ方法と学問になってる。どっちもろくなもんじゃないがな。肉をたらふく食わないとやってられんぞ。昼間から、肉食いに行こうぜ、キョン」
「じゃあ外出中の札、出してきます」
「やれやれ、だ。人間関係で、しかも昔のそれで「仕事」するようになったら、お終いだぞ。何のアイデアもワクワクもない。殴りあった果てにできる友情も、キズ舐めあいながら飲む酒の楽しみも、だ。まあ、歳取ると体も無理が効かなくなるし、それしかできんようになるんだけどな。今いた兄ちゃんは、ハーバードのロー・スクールで、交渉学と紛争解決を学んだ修士号ホルダーだ。姉ちゃんの方も、なんか向こうで学位とってて、都市計画の技術士も持ってるらしいな。そして、持ちこんでくる話がガキの使いだ、とくる。このうえ家に帰れば、娘にいじめられるし」
「いや、そっちは自業自得の部分が大きい気が」
「言うようになったな、キョン」
「感謝してます」
「ガキ生まれたら、海外逃亡しようぜ。大学なんか慌てていくことないぞ。そうだ、いっそハルヒを乗っけて、機内で出産すれば、ガキは飛行機代タダになるぞ」
「予定日ちかくだと、医者を同伴しないと、そもそも飛行機に搭乗できないんです」
「なんだ、都市伝説なのに。調べたのか?」
「ええ、ハルヒが」
「嫌になるくらい、父と娘だな」
「嫌になるんですか?」
「突っ込むな。親父は今、浸ってるんだ、親娘(おやこ)の溝にな」
そうまでして埋めなくても、とはさすがに突っ込まない。突っ込めない。
「お前らを組ませたのは失敗だったかな。たいした強敵だ」
 親父さんはニカッと笑った。
「さっきの兄ちゃんも姉ちゃんも、見所がないわけじゃないんだがなあ。俺がせっかちなのか?」
「ハルヒも、十人いれば十人とも、せっかちだと言いますよ」
「一旦、抜けたと思ったら、またハルヒ・トラップか。寄せがきびしいな。年寄りは敬って、少しは手を抜けよ、キョン。あと、もう少し、周囲(まわり)に心を開け」
「おれが、ですか?」
「他に、そんなマヌケなあだ名の奴がいるのか?」
「いや、あんまり言われたことがなくて、その、新鮮で」
「おまえさんの、似あわない忍耐力とか頑張りはな、人に言えない秘密を持っちまった人間が手に入れる類の奴だ。確かに人間は弱いしくだらないし信用ならないが、泣くほどじゃない。期待せずに待て。そのうち、なんか、いいことがある」
「いや、もう腹いっぱいなくらい、たくさんありました」
「じゃあ、これからも食いきれないほどある」
「楽しみにしてます」
「ふん。その時がきたら『泣きべそ』かかんようにな」






















記事メニュー
目安箱バナー