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ハルヒと親父3−家族旅行プラス1 その3

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haruhioyaji

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 そんなこんなで、出発当日。
 ハルヒから電話をもらった俺は、パッケージング・バイ・ハルヒのトランクを、俺の部屋から玄関へと運び、その到着を待っていた。
 ほぼ予定時刻に、すでに涼宮家を満載したライト・バン型タクシー(?)が、うちの家の前に到着した。
「いわゆる空港行きの乗り合いタクシーだ。予約している飛行機の便を連絡しとくと、タクシー会社が調整して、ドア・トゥ・ドアで送迎してくれる。今日は、おれたちだけみたいだが」
 とハルヒの親父さんが、運転手に代わってそのシステムを説明してくれる。
「それじゃあ、行ってくるから」
 と家族に、特に妹に、言い聞かせるように旅立ちの挨拶をする。
「ご迷惑かけないようにね。涼宮さん、お世話になります」
「こちらこそ。無理を言ってすみません」
「いえいえ、うちの馬鹿息子は、本当にハルヒちゃんにはお世話になりっぱなしですから」
 といった親たちのエール交換は、当人たちには「どうでもいい」というレベルを遥かに超えて「今日のところは、どうかひとつ、そこまでにしておいてくれ」というべき方向へどんどん発展していってしまう。
 俺がハルヒの方を見ると、ハルヒも俺の方を見ていて、目の中で首を縦に振っている。よし、それじゃあ、
「そろそろ行かないと」
 と俺が口火を切り、ハルヒはそれに合わせて、親父さんの脇をかるく肘でつく。
「ごほん。そうだな。じゃあ行ってきます」
 大きな音で咳払いし、大きな声で親父さんが宣言。皆がうなずいて、車がゆっくりと前で出た。
「あれ、妹ちゃん」
 車は走り出したが、妹が走って追いかけてくる。
 うう、兄ちゃん、そこまでのドラマはいらないぞ。いつもどおりの妹でさえいてくれれば、カバンにこっそり入ってさえなければ。
「あれ、妹ちゃんが手に持って振ってるの、パスポートじゃないの?」
「わはは。お約束だな。大方、トイレに行っている間、持っててくれ、と預けたままってところか?」
 親父さん、図星です。
 車は止まり、俺とハルヒが飛び降りる。
 俺はパスポートを受け取り、ハルヒは妹の頭をなでる。
「キョン君、気をつけていってくるんだよ。ハルにゃん、キョン君をお願いね」
「うん、わかったわ。絶対、元気にして帰すからね」
 いや、それはやり過ぎと言うか、胸を張り過ぎというか。それから妹よ、あまり殊勝なことを言うな。そういう時は「お土産、忘れないでね」くらいにしておいてくれ。でないと、最近ただでさえゆるい兄の涙腺が……。
「ほら、キョン。ちゃっちゃと行くわよ。飛行機は、遅刻したナショナル・チームだって待ってくれないんだから」
 確かに、ここでこれ以上ドラマを掘り下げたら、また搭乗まで話が進まなくなるだろう。
 別れを惜しみつつ、いざ行かん、天国にだって近いという、なんとかいう南の島。
「それと、あんたのパスポート貸しなさい」
 素直にハルヒに渡すと、ハルヒかバックから出した布製のケースみたいなのに俺のパスポートを入れて、返してきた。
「ほら、パスポート・ケース。これで首から下げられるから、なくさなくて済むわ」
「ちなみにお手製だそうだ」
「親父、うっさい」

 午前の道は、俺たちの前途を祝福するかのようにガラすきで、空港へは登場予定時効の3時間前に着いてしまった。
「余裕があるに越したことはない」
 と親父さん。
「俺なんか離陸の30分前に、食パンをくわえて出国審査を受けたことがある」
「あんたは転校一日目から遅刻するヒロインか!?」
 ハルヒのつっこみも、今日は長打こそないが、確実に芯で捉えている。ボール(?)が見えている証拠だ。
「ちょっとチェックインしてくる。キョン君、わるいがそこのカートに積んでトランクを運んで付いて来てくれ」
「はい」
 ハルヒの母さんとハルヒと俺のトランクをカートについて、自分のトランクを転がしながら先を行く親父さんの後を追う。
 カウンターでは、これも親父さん的にはきっと恒例なんだろう。ナイストゥミーチュー、スパシーボなどなど、怪しい多国籍人を装う話術でカウンターのお姉さんの目を白黒させながら、それでも当初の目的を果たしてしまう。なるほど、ハルヒ母+ハルヒが、遠くで他人の振りをしているのは、このせいか。と、親父さんに気付いたのか、カウンターの奥の責任者っぽい人がカウンターにやって来た。
「ベルさん、今日は出張じゃなくて家族サービスかい?」
「何度も言うが、俺は鈴宮じゃなくて涼宮だ」
「こっちの彼は、お初だね?」
「ここはどこの飲み屋だ? こいつは保安官補でキョン。ついでにいうと、俺の娘と恋仲だ。まあ、いずれは決闘だな」
「おいおい、ハルヒちゃんも、そんな歳か。少年、しっかりやれ。この親父は悪いやつじゃないが質は悪いぞ」
「ははは」笑うしかないよな、ここは。
「おい、有能な彼女が手続きができたって、言ってるぞ」
 親父さんは、ややオーバーアクション気味に、責任者さんに不平をいう。
「オーライ。じゃ、トランクに貼ったこのシールの切れ端を持ってってくれ。あとでトランクを探すのに役に立つ。ボンボヤージュ(よき旅を)!」
「発音がなってないよな。ま、とりあえず、ハルヒたちと合流するか」
 その必要はなかった。カウンターでの一部始終を、涼宮家の女性軍は遠目ながらもしっかり見ていて、絶妙のタイミングで自分たちの位置を知らせるように歩いてきた。というより、彼女たち自体が、遠目からでも見落としようがない存在感やら何かを周囲に発散しているのだ。
 そんな訳で、俺の隣にいた親父さんは言った。
「おい、いいだろ。あそこにいるのは、おれの女房なんだ」
「ぐっ」 さ、さすがにその手は……使うのは、何だかいろいろ怖い。
「すまんな。たまには年長者に勝ちを譲るのもいいもんだろ?」
 その気になったら全戦圧勝じゃないですか、と心の中で言う。へたれ、俺。
「旅はまだ始まったばかりだ。陽気にいこうぜ、キョン君」
「ちょっと親父! またキョンをいじめたでしょ!?」
 ハルヒが、つかつかつか、と早足でやってくる。ロボットのように肩をすくめる親父さん。
「オー、マイ、ドウター。ワタシガ、イツ、ゴシュジンサマ ヲ ソンナ メ ニ」
「読みにくいだけから、出典が明示できない物真似はやめなさい」
「でも、ふざけてるのはわかるだろ?」
 と、ひらりとかわす親父さん。
「いつ真面目なのかが、わかんないの!」
 それをも狙い打つ娘ハルヒ。
「いつもこんな感じよ」
 と日だまりのようなニコニコ笑顔を絶やさないハルヒ母。
「はあ」
 とすでに慣れてきているが、それがよいことなのかどうか、未だに判断がつかない俺。
 次は手荷物検査場はずだったが、
「ああ、キョン君、俺たちはこっちから行こう」
「向こうの列、すごく混んでましたね」
「手荷物検査場はどうしてもなあ。関西の空港も優先ゲートができて助かってる」
「親父、わがままなくせに、待ったり並ぶのが嫌いだからね」
「わがままだから、嫌いなんだ」
 俺たちが向かっているのは、専用ゲート(専用保安検査場)というところのようだった。なんたら会員(ゴールド・メンバー?)になっておけば、ただでさえ混む手荷物検査場も専門の(つまり空いている)検査場で済ますことができるし、さっき預けたトランクも優先取り扱いされて、到着後あまり待たずに受け取れるのだとか。どうすればメンバーになれるかって?親父さんによれば、
「要はたくさん飛行機に乗りゃいい」
 だそうだ。
「といっても、伊丹じゃ、もう何が優先やら、って感じで混んじまってるがな」
 優先検査場というだけあって、手荷物検査はあっけなく済んでしまった。ありがちな時計やらキーケースなんかの出し忘れを、事前にハルヒのやつに注意されていたからではないこともない。
「出国検査場じゃ、こうはいかんぞ」
 とニヤニヤして脅す親父さん。
「おどかすんじゃない。パスポートにハンコ押してもらうだけでしょ」
 とつっこむハルヒ。ほんと、いつもこんな感じなんだろうな。
「ハンコ押すだけだが、国の外に出しちゃいかんやつもいるからな」
「このメンバーだと、親父よね」
「笑い事じゃないぞ。俺のツレなんか、家族旅行なのに、昔やった悪事がバレて大変だったんだぞ」
「だったら3人でバカンスを満喫するまでよ」
「だから、ツレの話だよ」
 出国検査場もまた、なんということもなく、一人づつパスポートを見せ、ハンコを押してもらう。
 ハルヒの親父さんのパスポートは、さすがにすごいハンコの数だ
「全部、仕事でだ」
 と、やれやれ顔をつくって親父さんは言う。
「早く引退して、ひきこもりになりたいよ」
「親父がひきこもって何する気よ」
「庭でライオン飼って、夕方になったらドビュッシーを弾く」
「なにそれ?」
「映画だ、『007カジノ・ロワイヤル』の古い方。見たことないのか? あの希代のバカ映画を」
 とりあえず、これで「出国OK」ということだな。形的には、一応これで外国に出た、ってことになるのか。
「向こうに専用ラウンジなんてものもあるが、おまえら、どうする? 搭乗までは、まだ結構時間はあるが」
「免税店とかあるんでしょ? ちょっと見て回るわ」
 とハルヒはすでに、俺の手首を引っ掴んで、スタンバイの体勢。
「さっそく二人になりたい、とハルヒは思った」
 オヤジさんは肩をすくめてみせる。
「へんな心理描写いれるな」
「じゃ、これからは茶々を入れてやる」
「よけい悪い! あんまりかわらないけど」
「検査が全部済んだと言っても浮かれるなよ。確率的には、今から搭乗するまでが、一番馬鹿みたいな失敗が多い」
「大丈夫よ」
 ハルヒもおれも、パスポートとチケットは、ハルヒ謹製のパスポート・ケースに入れてある。
「時間厳守だぞ。時間が来たら、ナショナル・チームでも飛行機は待たんからな。で、おまえら時計持ってるのか?」
「あ」
「普段ケータイで時間を見てるような連中は、こういうはめに陥る。免税店で安いやつを見繕ってこい」
 親父さんに一本とられたのが悔しいのか、ハルヒはアヒル口になって、無言で俺を引っ張っていく。
 ハルヒの母さんはニコニコと俺たちを見送り、自分の鞄から布のブックカバーをつけた文庫本を出して読み始める。親父さんもそれに合わせてか、上着のポケットからペーパーバックを取り出す。
 ハルヒは振り返らず、前だけを見てぐんぐん進む。俺は引かれていく。 

「時計なんて、空港中いたるところにあるじゃない!」
「まあな」
「向こう着いたら、時間を忘れて遊ぶんだからね!」
「ああ、そうだな」
 ハルヒはどこからかカードを取り出した。正確には取り出して構えた。
「腹立ちまぎれに無駄遣いしてやるわ」
「こらこら」
 なんなんだ、その高級そうなクレジット・カードは?
「ブランド品なんかに興味はないけどね」
 何故だか、恨みはないけどね、と聞こえるぞ。
「店ごと買うとか言うなよ。機内持ち込みできんぞ」
「わかってるわよ、そんなこと」
 そりゃ、わかってるだろうけどな。
「ねえ、キョン。あんた、すごーく高い時計欲しくない?」
 ほら、そうやって必ず不穏なことを思いつくんだ、おまえは。
「おまえはどうすんだ?」
「そんなの2つも買えないわよ。すごく高いんだから」
「全然高くないやつ、2つにしろよ」
「だーめ。もう決めたの」
「ヤクザかナンバーワン・ホストでなきゃ持てないような時計はいらんぞ」
「あほ。そんな時計、あんたに似合わないわよ」
 じゃあ、「俺に似合う、すごーく高い時計」を探しているのか? それはすごーく嫌な予感がするぞ。
「はい、これ。安心しなさい。何十万も、何百万もするものじゃないから」
「あ、ああ」
「総称でパイロット・ウォッチって言ってね、文字通りパイロットがつける腕時計ね。元祖のブライトリング社のなら、満十万するけど。この文字盤の周囲についてるリングがあるでしょ。これが回るの。目盛りの刻み方が変なのに気付いた? これ回転計算尺になってるの」
「計算尺ってなんだ?」
「計算が、とくにかけ算と割り算だけれど、一瞬でできるものね。尺という位で、物差しタイプが一般的だけど、それを円形にまとめたものがこれ。パイロットは計器やコンピュータがみんな狂っても、残燃料と空港までの距離だとか、落下速度と地上までの距離とか、計算したいものが沢山あるでしょ、それも時間がらみで。だから時計に計算尺をつけたのは大正解ってわけ」
「ほう」
「わかってないわね。親父の腕時計、見た?」
「え?いや」
「まあ、あっちは元祖の本物だけどね。何万年に数秒しか狂わない電波ソーラー式時計の時代に、毎日10秒以上も狂う自動巻時計って何考えてんのかしらね。計算尺の使い方は、どうせ搭乗まで暇だからゆっくり教えてあげるけど、親父に聞けば、語りに語り続けるわ。旅行が終わっちゃうわね、多分」
 わー、すげえ聞きたいが、今は聞きたくない感じ。
「だが、ひとつきりで、どうすんだよ」
「まだ、わかんないの?」
 いや、わかってはいるが、今わかるわけにはいかない、というか。
「あんたがあたしの『時計係』になるに決まってるでしょ」

 ラウンジの、ハルヒの親父さん&母さんのところに戻った。ハルヒが鼻息も荒く、俺の左手首を、とくに親父さんに、見せびらかすように高らかにあげる。俺は自由になる右手でこめかみを押さえる。オー、ジーザス。ああ、ほんとにすいません。
 親父さんは「やれやれ」という意味のジェスチャー、ハルヒ母は読んでいた文庫本を口に当てて笑いがこらえられない様子だ。
「娘よ、やってくれたな」
「どう? ぐうの音も出ないでしょ?」
「負け惜しみで言うんじゃないが、キョンを日本に置いていったらな、どこかのバカの国際長電話代で、そんなもの5、6個は買えたぞ」
「と言ってる時点で、完全に負け惜しみね」
「ぐう」
 しかたない、といった感じで本をしまったハルヒの母さんは、
「お父さん、いつ搭乗口に向かいます?」
「もう15分もすればアナウンスがあるだろうが、少し遅めに行こう」
「そんな、とろとろとしたことでいいの?」
 腰に手をあてて胸を張り、暫定勝者ハルヒが親父さんを見下ろす。
「日本人は時間とアナウンスには従順だからな。合わせて動くと混雑を応援に行くようなもんだ。俺たちの席は前の方だから、少し遅れて乗り込む方が邪魔にならなくていい」
「あー、たいくつ、たいくつ!」
 電車の長椅子に上って窓を見たいから靴を脱がせろと騒ぐ幼児のように、暴れ出すハルヒ。涼宮家ではこれにどういう風に対処するのか、後学のためにしばらく見ていよう。
「なんのために、キョンを連れてきたんだ」
って、親父さん、いきなり俺頼みですか? ハルヒの母さん、もう笑いスイッチ入ってますね?
「キョンはそんなんじゃなーい」
 お、ハルヒ。あまり期待してないが、言ってやれ。
「キョンはね、キョンはね・・・」
 それじゃ、古来の、針が溝をなぞっていた頃の壊れたレコードだ。
「・・・うー……と・に・か・く、キョンなのよ!」
「随分とテツガク的な惚気をありがとう」いや親父さん、今のは惚気では、ないと思います、よ。
「ハル、暇なら何か読む?」
「うん。母さん、何持ってきたの?」
「旅行には、やっぱり旅行記よね」
「って、えーと、クセノポン『アナバシス』? カエサル『ガリア戦記』? クラウゼヴィッツ『ナポレオン戦争従軍記』? って、全部、旅行記じゃなくて戦記でしょ!」
「あら、でもみんな遠征してるわよ」
「遠征は、旅っていえば旅だけども!」
「俺のを読むか?」
「期待しないけど、聞くだけは聞いてあげる。・・・Making a Good Script Greatって、何これ?」
「映画のシナリオをどう書き直すかのマニュアル本だな。ハリウッド映画だと、制作費が馬鹿でかくて映画が当たるか当たらないか不確定だから、映画自体に保険をかける。保険会社がキャスト表とシナリオを分析して、これだと当たりそうだから保険の掛け金は低くてこれくらいでいいや、このシナリオだとヒットしそうにないから掛け金を高くしよう、ってな具合にな。で、保険の掛け金を低く抑えたい映画会社やプロデューサーは、シナリオを『シナリオ・コンサルタント』のところに持っていくんだ。シナリオ・コンサルタントは元のシナリオの長所を生かしながら短所を修正していくんだな。どうやれば冒頭シーンで客を引きつけられるとか、どうやって泣かせるとか、いろいろ手練手管がある訳だ。これはそのシナリオ・コンサルタントの一人が書いたマニュアル本で・・・」
「そんな本読んで、どうしようっての?」
「あ、この映画はあの手をつかってやがる、ちがう、そこで例の手を使えばいいのに、といろいろ突っ込めて楽しいぞ」
「キョンは、あんな悪魔に魂売っちゃ駄目だからね」
 俺はすこーし、その本を読むのもいいかもしれん、と思ったぞ。次作の超監督とかが。俺が読むと、俺が窮地に陥る気がしたので、口にはしないがな。好事魔多しとは、こういうことを言うんだろうか。

 日本語と英語で、搭乗開始を知らせるアナウンスが流れた。
 あちこちで腰を上げ、指定された搭乗ゲートの方へ流れていく人たち。親父さんと母さんは読書を続け、ハルヒと俺は、買ったばかりの腕時計の計算尺リングを回して、1.69×2.7といったかけ算をしているのだが、頭を付き合わせ、手を取り合って、何をしてるように見えるんだかね。
「人ごみが薄くなってきた」
 親父さんがゆっくり腰を上げた。他の3人もそれに合わせて立ち上がる。
「ぼちぼち、ぶらぶら、まったり、行くか」
 とにかく全く急がないで進もうという親父さんの提案に、他3人はそれぞれ違った風にうなずいた。多分、考えていることなんかも、それぞれに違っているんだろう。
 搭乗口は、さっきまでゴッタ替えしていたようだった。自動改札みたいなのの側に係員のお姉さんが立っていて、そこでチケットを入れると、席の位置を示す半券みたいなのが出てくる。
 親父さんはシナリオのリライト・マニュアルを読みながら、チケットをいれ、
「パスポートは?」と問いかけ
「あ、拝見します」という返事を待たずに、ポケットからパスポート入れを出して係員に渡している。あれもハルヒ謹製と見た。
「何をやるにも不真面目ね」
 続いてハルヒがぷんぷん怒りながら通っていく。続いて俺。最後がハルヒの母さん。さすがに本はしまってある。
「思ったより、飛行機飛んでないわね」
 大きなガラスの向こうの滑走路を見ながら、ハルヒの母さんが言う。
「国内便はみんな伊丹にいっちまった。午前10時から午後4時まで、ここから成田へ行く飛行機は一機もないそうだ」
 という親父さんの答えに、
「そうなの」とハルヒの母さんはつぶやいてチケットをしまった。
 すでに搭乗予定のほとんどの人が乗り込んでおり、飛行機の中に入ると中にはぎっしり人が詰まっていた。
 親父さんが言ってたとおり、俺たちの席は、入り口からたいして離れていないところにあった。
 ハルヒに窓側を譲ろうとしたが、「キョン、あんた始めてなんだから、あんたが窓際行きなさい」と頑として聞かない。
 ようやく俺の頭に、いつぞやの古泉の言葉が浮かんだ。
「わかった。じゃあ窓際に座らせてもらうぞ」
「どうぞ」
 3人がけの席で、ハルヒは俺の隣に座る、その向こうが通路側になりハルヒの母さん。親父さんは通路を挟んで、さらにその向こうに座る。
 機長の自己紹介やら、救命設備の説明アナウンスやらが流れて、スチュワーデスさんが踊っているように装着の実演をやっていた。
「最近はビデオ流して済ますのが多いがな。マイナーな路線ほど、今のダンスが見れる」
 2つ席の向こうから、親父さんが解説してくれる。
 こうしてしっかり席についてから、離陸のために飛行機が滑走路を走り出すまでの時間がけっこう長い。これだけでかい空港でも、滑走路の数は少なくて、待ち時間なんかがあるためだそうだ。
 全然別の経験なんだが、予防注射って奴は、注射のちくりという痛みよりも、注射されるまで並んで待っているのが案外つらいんだよな。
 気がつくと、ハルヒの母さんの、ニコニコという音がほんとにしそうな笑顔からも、親父さんの何故か声はしないが「ゲラゲラ」というのが伝わってきそうな笑いからも、どこか生暖かい視線にも似たものが飛んで来ていた。
 なるほど。そういえば、いつも騒がしいとなりの奴が、席に着いた途端に、借りてきた猫のようじゃないか。
「なあ、ハルヒ。ひょっとしておまえ、飛行機こわいのか?」
「ば、ばかじゃないの? 怖いわけがないじゃない!」
「鉄の塊が飛ぶのは、おかしいとか、信じられないとか、その手の類か?」
「こ、こんなもんはね、目つぶって寝てたら、いつのまにか現地に到着してるものなの!」
「それだと機内食も食えないだろ。ほら、手、貸せ」
「は?なに?」
「手だ。握っといてやる」
「あんた、ばかじゃないの。……親もいるってのに」
「かまわん。俺は気にせんぞ」
「あんたが気にしなくても、あたしが気にするわよ……その、ちょっとは」
「じゃあ、そっちの目はつぶってろ」
「意味わかんない。……わかったわよ、握ればいいんでしょ、握れば」いかにも渋々といった感じで、俺の手を取りに来る。
「……離したら、承知しないからね」


「母さん、ピンチだ。たすけてくれ。自分の娘と婿に萌え死にそうだ」
「まだ婿じゃありませんよ」
「『恋愛が与えることができる最大の幸福は愛する女性の手を握ることである』(スタンダール)」
「何か言いました?」
「いいなあ、って言ったんだ」
「飛行機に乗るなんて、いつものことじゃありませんか」
「忘れられんフライトになりそうだ」



その4へつづく






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