ハルヒと親父 @ wiki

同じ夢の中

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haruhioyaji

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 親父とケンカした。
 ケンカ自体はいつものことだったけど、テーマが最悪だった。
 親父は、大抵のことは適当にやってしまうくせに、ケンカだけは手を抜かない。
 相手が子供だろうが、自分の娘だろうが、とことんやる。
 今日のケンカは、あたしが今一番触れて欲しくないと思っていることを巡って行われた。もちろん手加減なしで。
 あたしは自分としては最悪の選択を、敵前逃亡を選び、自分の部屋に駆け上がった。
 そして、あたしは最悪な気分でとにかく眠ろうとした。

 いつもとどこか違う目覚め。
 夜中に目が覚めてしまうのは、よくあることだ。
 時には、夜中の街を誰にも邪魔されずに、闊歩する。今のあたしに、心安らぐ時があるとしたら、このときだった。
 でも、『今夜』は違っていた。
 今夜? 確かに窓から光は入ってこない。外は暗い。
 あたしはただならぬ予感がして、カーテンを一気に開けた。
 違う。夜じゃない。
 空は一面の灰色。月も星も、それに雲もない。キャンバスを一色で塗りつぶし、そのタッチさえ隠すほど塗り込めた、厚ぼったい平面。
 窓から見下ろす街は、空を形作る色と同じ種族のものと思える薄闇色。真っ暗闇じゃない。見える。目に届く光があるということだろう。でも、その光はあたしが知っているものじゃない。そう感じた。

 光が光でなく、影が影でない。
 音一つしないのに、この静寂もまた、あたしの知らないものだった。
 音がないのではない。音はみな、この静寂ならぬ静寂に、塗り込められてしまったらしい。
 あたしはしばし呆然としていたらしい。
 はっとして、生き物の気配、呼吸する音、正確にはイビキを感じた。
 親父? なによ、それ? この虎みたいなイビキは!
 あたしは部屋を出て、両親の寝室に飛び込んだ。
「いい加減、起きなさい!!」
イビキの元は、ごろんと寝返りをうって言った。
「なんだ、夢か」
「起きろ、このバカ親父!!」
「騒ぐな。まともな人間なら寝静まってる時間だ」
「ここがまともなところなら、あんたの寝言を聞いてあげるわ」
あたしはそういって窓を開けた。
「この光景を見ても、何とも思わないの?」
「思うさ。だから夢だ」
「話にならない」
 親父はのっそりと起き上がって、ベッドの上であぐらをかいた。
「俺は独り寝が嫌いなんだ。一緒に寝たはずの母さんがいない。これが夢じゃなくてなんだ?」
「愛想つかされたのかも知れないじゃないの!」
「その時は、母さんは、はっきりそう告げて行く。それに、もともと母さんがいた気配すらない。したがって、ここは俺が寝ていた現実の寝室じゃない」
「別世界にいることは理解できるようね」
「夢が世界と呼ぶに値するならな。どうだ、外の様子は。まるで幼児画だ。描きたいものだけ描いて、あとの空白部分を指摘すると、同じ色で塗り込めて『できました』とくる。あの手法だな」
親父は少しだけ、あたしを非難するような目で見た。
「あたしが作ったんじゃないわよ!」
「驕るなよ、バカ娘。世界なんてものはな、エゴの一塊さえあれば、自ずとできちまうんだ。だが、そんな世界には何もない。いいか、自分さえもだ。自分が自分になるには、自分以外に感じて思う誰かが、必要だ」
 親父はそういって窓をがらりと開けた。そして窓の外に腕を突き出す。ゼリーみたいな、透明なやわらかいものにぶつかるらしく、親父の拳は窓の際で止まってしまう。親父は、ふん、と鼻をならして窓をしめた。
「孤独は別に悪いもんじゃない。飯を抜いた方が、かえって何が本当にうまいか分かることがある、その程度のもんだ。だが人は一人では生きられん。一人では、人として生きることができない、と言うべきだな。モノばかりに囲まれてかしづかれて生きても、生きる心地がしないだろ。生きる価値もない」
「な、なによ。ケンカの続き?」
「あれがケンカだって? 途中で泣くのはかまわん。だが、何も反論できないなら、せめて胸だけでも張ってろ」
吐き捨てるように言った後、親父は、あたしの大嫌いな、にやりという笑みを見せた。
「……という訳で、俺は先に帰るぞ。おまえは、もうしばらく身にしみるまで、ここで膝でも抱えて座ってろ」
「帰る!? どうやって?」
「知ったことか。これが俺の夢なら、こっちの俺が眠れば、向こうの俺が目覚めるだろう。これが、ハルヒ、おまえの夢なら、布団をはいで蹴飛ばすだけだ」
「それが年頃の娘を起こす起こし方?」
「キスでもして欲しいか、眠り姫。色気づくな。ガキには100年早い」
親父は、指でホコリをはらうような身振りで、この部屋からの退場を要求した。
「ああ、それから。……夢に引っ張り込むなら、親父はやめて、せめて別の男にしろ。ファザコンを疑うぞ」
「だ、だれがファザコンよ!」
「わかったら、とっとと出て行け」
 後ろ手にドアをしめたなり、もうさっきの騒音が、うるさいイビキの音がなり始めた。ここはこの世と異なる場所なのかもしれないけれど、確かにあたし以外の誰かが生きていることを感じさせる音だ。死ぬほど、うるさいけど。
 あたしは親父にならって、かけぶとんをひっかぶり、無理矢理寝ることにした。眠れる訳がないと思っていたのに、あの騒音がまもなくフェード・アウトしていき、あたしの意識も眠りの中に滑り降りて行った。

 翌朝。親父は先に洗面台を占拠していた。普段はあたしの方が早いのだけど。それ以外は、ほとんどの点で、いつもの朝だった。太陽は東からのぼり、廊下を伝ってコーヒーの香りがやって来る。
「無駄に早く起きないでよ。あたしの動線をじゃましないで」
「言った通りだろ。どうせ夢オチだ」
「え、今なんて?」
 親父はにやりと笑って、それ以上は何も言わず、ダイニングに消えて行った。
 かわってダイニングからは母さんの声。
「ごめん、ハル。母さん、寝坊しちゃった」
「え、そんなに遅くないよ」
「そうね。でも決して早くないわ。少し急いだ方がいいわよ」
「うん、ありがと」
ダイニングに行くと、親父はいつもの調子で母さんに無駄話を仕掛けていた。
「夜中に目覚めたら、母さんがいなかったんだ」
「あら、ずっといっしょでしたよ」
「ああ、だからすぐに夢だと分かったけどな。いやな夢だった。おれそっくりの、小汚いガキまで出てくるし」
「誰が、小汚いガキよ!」
「あら、ハルヒもいっしょだったの、その夢?」
「う」 
母さん、少しくらい不思議に思ってくれない?
「不思議な体験ができてよかったわね、ハル」
いや、あたしが欲しいのは、そういうのでもなくて。














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