ハルヒと親父 @ wiki

ハルヒと親父2 ー おとまり

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haruhioyaji

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「あのね、母さん。明日、映画見に行ってくるから」
「そうなの。じゃあ、シャンペン抜きましょう」
「な、なに言ってんの!?」
「あら、和風がよかった?お赤飯にする?」
「そんなんじゃないわよ!」
「そんなのじゃないって何が?」
「あう」
「ただ映画行くだけなら、わざわざ前日に言って行かないでしょ」
「それはその、5本立てオールナイトだから、帰るの次の日の朝になるし……」
「ゆっくりでいいわよ。朝帰りはかえって『お泊りしてきました』って言ってるようなものだし」
「……////」
「合宿のときは、平気で泊まってきたじゃない」
「あの時とは、ちょっと、事情が違うというか……」
「それだけ聞けば十分。あまり聞いても話したくなるだけだから聞かないわ」
「……うん。そ、それとね」
「お父さんでしょ? 明日、明後日と珍しく家にいるから」
「う、うん」
「心配いらないわ。母さんに一任してちょうだい」
「あの、母さん」
「ん?」
「あ、やっぱりなんでもない」
「……じゃあひとつだけ」
「は、はい」
「ハル、欲しいものは欲しいって言わないと手に入らないわ。言ったからって、手に入るとはかぎらないけど」
「……」
「なぞかけになっちゃったかしら? ごめんね。母さん、引出しが少なくて」
「ううん、そうじゃない」
「ありがと。やさしい娘でよかったわ」


「おや、ハルヒさん、おでかけで?」
「たまの休みにモンハンやってるような中年に話すことはないわ」
「ほら見ろ。パーティ全員女の子だぞ」
「どうせネカマでしょ」
「それは父さんだ。ちなみに中学生ということになってる」
「ほかに時間の使い方はないわけ?」
「じゃあ、駅前で中学生でもナンパしてくるか」
「イタ過ぎ。そんなこと、やってるの?」
「ケーキセットおごって、お話するだけだぞ。おまえもやるか?」
「誰がやるか!」
「今ので信じるとは、ハルヒ君もおちゃめだな」
「あんたとは二度と話しない」
「せめて披露宴で『花嫁の手紙』だけはやってくれ」
「ぴーぴー泣かせてやるから覚悟しなさい!」
「『花束贈呈』で返り打ちにしてくれる」
「ハル、お父さんと遊んでて時間はいいの?」
「あ、やばい。行ってくるね!」

「母さん、うちのドラ娘だが、今日はいまひとつ切れがなかった。どこへ行ったんだ?」
「帰りは明日になるみたい」
「えーと、聞いてする後悔と、聞かないでする後悔は、どっちがまし?」
「もう、後悔してるって顔ですよ」
「そのとおり」
「すぐ顔に出るところもそっくりね」
「隠そうとして、全然隠せてないのが、ツンデレの真髄なんだ」
「そのアヒル口も。ほんと親子ね」
「また合宿か何かか?」
「それとは事情が違うらしいわ」
「う。母さん、深刻なダメージだ」
「察しがいい親も考えものね」
「ハルヒに話すなって言われてないのか?」
「ええ。お父さんの動きを止めればそれでいいみたい」
「ふう。じゃあ投了だ。勝てる気がしない。勝てた試しもない」
「私たちも出掛けましょうか?」
「育つもんだな、子供ってのは」
「娘時代には、母親なんて何がおもしろいんだろうと思ってましたけど、どうしてどうして」
「楽しそうだな、母さん」
「悲しそうね、お父さん」
「ま、あんな凶暴な娘になるとは思ってもいなかったが」
「あんなやさしい娘になると思ってましたよ」
「俺たちも出掛けるか?」
「わたしたちも、お泊りにしませんか?」


 その日の待ち合わせは午後だった。
 おそい朝食を食べた後、いつもの2倍の時間をかけてお風呂に入り、昨日から悩みぬいて選びぬいたコーディネートのうちから、天気予報と温度予報を考慮に入れつつ、ひとつを選んで着替えた。このあたしが、あらゆる意味において、勝負に手を抜くなんてことは有り得ない。あいつの趣味はいまいちわからないから、子供っぽくない程度に大人っぽい、普通におしゃれでかわいいという程度だけどね。それと髪型は言うまでもないわね。
 着替えるとそれだけでアドレナリンが出て、臨戦モードになる。へんな言い方だけど、
「さあ、どっからでもかかってらっしゃい!」という状態。「矢でも鉄砲でも持ってこい」という感じね。

 そう、今回は事情が違う。

 あいつが、はじめてちゃんと誘ってきた。

「今週の土日空いてるか?」
「空いてるかって、このところ毎週あんたの顔見てるように思うんだけど、気のせいかしら。まあ、一回ぐらい土曜の市内探索はお休みにしても構わないわ。で、何?」
「たまには、デートってものをやるのも悪くないと思ってな」
「それはかまわないけど。デートって?誰と誰が?」
「おれとおまえが」
「あんたとあたしが?」
「駄目ならいい」
「あんたね、それはむしろ礼儀を欠くってもんだわ」
「おまえに言われると新鮮だな」
「ほんとに失礼なやつね。で、どこへ行くの?」
「安心しろ、プランはある。あと予約を入れなきゃならんところがあるんで、あらかじめ聞いたんだ。OKってことでいいか?」
「いいけど。……あんた、土日って言った?つまり土曜と日曜ってこと?」
「ああ」
「……」
「……黙るなよ」
「……あたしだってたまには黙るわよ」
「……そうか」
「……オールナイトの映画でも見ることにしとくわ」
「え?」
「アリバイよ、アリバイ。必要でしょ? そりゃ、あんたは要らないかもしれないけど……」
「ああ……すまん」
「あやまるな」
「すまん」
「んっとにもう」

 言い方は、あいかわらず遠まわしでヘタレだったけど、それはどうだっていい。

 いままでも「そういうこと」がなかった訳じゃない。どさくさというか、雰囲気に流されてというか、相手の過剰な反応にこれまた過剰に反応してしまってというか、「キス以上、○○未満」みたいなことは何度かあった。そりゃ同じクラスに同じ部活、登校時は家まで迎えに来る、部活後は街で一緒にすごして家まで送らせる、時々はお互いの家へ行って部屋にあがりこみ、帰ったらいつもの長電話。月火水木金土日、おはようからおやすみまで、起きてる時間の大部分をいっしょにいるのだから、そうならない方が不思議なくらいだ。
 その度にあたしたちは踏みとどまった、正確にはどちらかが「ぶちこわし」にした。
(あたしが)相手をつきとばしたり、ぶんなぐったり、(主にあいつが)冗談にしたり謝ったりで、なかったことにした。

「ハル、あなた見た目はいいんだから、もっと自信持ちなさい」
自信は、あるにはあるけど。それと「見た目は」って親に言われると少しへこむわよ、母さん。
「ちょっと私の言いたいこととは違うけど。そうね、すごく具体的に言うと、たとえば、こう腕で自分を抱いて上目づかいで言ってごらんなさい。一発だから」
母さん、母娘でこの破壊力。やばいって。
 それにね、なんて言うか、それじゃ意味がないの。それをしていい相手なら、あたしはきっと悩んでない。
 私がしたいのは、あいつと取引したり、あいつを籠絡させたりすることじゃないの。あいつは、あたしが、そんなことしないと思ってる。それは、あたしの勘違いかもしれないけれど、勝手な願望かもしれないけど、あいつは確かにバカキョンのエロキョンだけど、それにあたし自身が報いたいと思ってる。……まるっきり空回りかもしれないけど。
「ふふ。誰に似たのか、頑固者ね。ハルのそういうところ、好きよ。母さんも本気でさっきのをお勧めしたい訳じゃないわ。ただ、自分のやり方に素直なことと、自分の気持ちに素直なことは、時々反比例するのよね」

 何故だか、こんな会話をあたしは思い出していた。


 ハルヒは約束の30分前には来ていた。というのは、俺が着いたのが30分前だったからだ。本当のところ、こいつが何時からここにいたのかはわからん。1時間前ではないと思う。1時間前に俺が来たときは、こいつの姿はなかったからだ。ああ、言いたいことはわかる。そろそろふたりとも、待ち合わせには時間通りに着けば良いのだと学んでもいい頃だろう。
「はぁはぁ。 おそい、罰金!」
息切らせて何言ってるんだろうね、こいつは。

 「で、どこ行くの?」
 二人分の切符を買い、俺たちは、いつも街へ出掛ける時とは反対方向のホームへ向かった。
「そういや、おまえ、親のこと、『親父』『母さん』って呼んでたな」
「それが何?」
「いや、何でもないが」 そう、本当に何でもないことなんだが。
「そう。で、あんたは?」
「うちは、『父さん』『母さん』だが」
「まあ、あんたが『パパ』だ『ママ』だって言ってた日には、この手で地球を壊したくなるわね」
「やめてくれ」 頼むから。
「何言ってんの?」
「おまえこそ、パパ、ママって柄じゃないだろ?」
「うっさいわね。……小さい頃はそう言ってたみたいだけど、物心ついたら変わったわ」
「何故だ?」
「まあ母さんは『ママ』でもいいと思うけどね。……あんたも会ったでしょ、うちの親父」
「ああ」
「あんた、あれを『パパ』なんて呼べると思う?」
「……無理だ」 いろんな意味で。
「めずらしく意見が合ったわね。ま、そういうことよ」
そう言ってハルヒは「ふう」とため息をついた。
「どういう訳か、あんたのことは気に入ってるみたいだけど。まったく、どこがいいのかしらね」
全然分からんが、あの人を敵にまわすよりは数百倍ましな事態だってことは俺でもわかる。いろんな意味でな。


 あたしたちが降りたのは坂の多い街の駅だった。というより、街自体が坂にあると言った方が正しい。
 果たして、それは普通のデートだった。
 あたしたちは並んで歩き、時にはかわるがわる手を引いて、バカな言い合いをしながら、お店をひやかし、ハイスコアを塗り替えたり、小さなぬいぐるみをゲットしたり、ご飯を食べたりした。
「おじさん、大盛りちょうだい。ツン抜きで」
「ひょっとして、つゆ抜きか?」
「うっさい。わざとよ、わざと」
「わざとはいいが、いつも通りの『ツン』だぞ。正直、その方が何故だか安心するが」
「あんたを安心させるようじゃ、あたしもおしまいよ」
 こいつは、ほとんどいつも通りに見える。いつも通りにやる気なさげで、それはそれでむかついたけど、ほっとしたのも事実だ。そして、いつもなら、さすがのこいつでもしないような失敗をいくつかしでかして、あと普段なら聞いてなさそうで聞いているあたしの話を、何を考え込んでるんだか、何度か聞き逃して、そういうなんでもない出来事があたしの気分を少しだけましにした。


「この店、まだあったのね」
「覚えてるか?」
「お父さんに会ってから、忘れた思い出はひとつもありませんよ」
「……君、あの月を彼女にプレゼントしたいんだが」
「グラスをお持ちます。ラ・グランド・ダムの1985年でよろしいでしょうか?」
「結構。……母さん、当たり年だ」
「ええ。今の方は?」
「ああ、あのオーナーの娘さんなんだ。オーナー、亡くなってな。この店も人手に渡ったんだが、なんやかんやで、彼女が継ぐことになった」
「『なんやかんや』の解決って、お父さん得意だものね。時々いつ仕事してるんだろうって思うけど。……ほめてるんですよ」
「わかってる」
「それで今日はお祝いなのね。3人で来ようと思ってたの?」
「ガキに飲ませる酒はないが、シャンパンぐらい付き合わせても構わんだろ」
「お月様、ほんとはハルにあげたかったのね?」
「そんな役は彼氏に譲るさ。アホ娘には『頭になんか湧いてんじゃないの?』と言われるのがオチだ」
「次は4人で来れますよ。シャンパン・グラス越しに月、ってルビッチの映画?」
「ああ、『極楽特急 Trouble in Paradise』(1932)だ」
「何に乾杯します?」
「バカ娘のあわれな彼氏に」
「じゃあ、お父さんのアヒル口に」


 そうしているうちに、あっという間に日が暮れて、街に夕闇が訪れた。あたしたちは肩を並べて、今日何度もそうしたように、ゆっくりと坂を上った。

 夕食は、とても小さなレストランで、こいつが選んだとは思えないほど趣味がよく、料理もおいしかった。
 あたしたちからすれば、祖父にあたるくらいの歳に見える人が、絵に描きたくなるような所作で給仕をしてくれた。料理が終わって挨拶に来た女性が料理長(シェフ)で、長年別のところで働いていたが、数年前ようやく二人だけでこの店を始めたのだと話してくれた。二人は夫婦だった。

 「よくあんなお店、知ってたわね」
「探したんだ。ハルヒ、おまえの母さんの話をしてくれただろ?」
「え?ああ、母さんが若い頃、小さなレストランをやってたって話ね」
「そういうのがいいな、と思ってな」
「そうなんだ」
「ああ」


「お父さん、キョン君を気に入ってるのね」
「どっちかっていうとニガ手なタイプだけどな。ありゃ普通の奴だろ?」
「ふふ。そうね」
「右も左もわからなくて、いきがってた若い頃な、自分じゃ危ない橋も渡ったし、それなりに甘いも酸いもかみわけたと思ってたバカの鼻っ柱を折ったのは、ああいう奴だ」
「……」
「10回やれば奇策を弄するこっちが8,9回は勝てるだろうがね、ああいう奴に本気になられたら最後の1回は負ける。こっちは、それが致命傷になる。だから歳とって知恵がついてからは、6回勝てたら引き上げて、あとの勝ちは譲ることにしてる。譲られた勝ちでも、ちゃんと受け取ってくれるんだ。あいつらにとって大事なのは勝ち負けじゃないからな。勝ち負けでないものの価値をちゃんと知ってるというか」
「ハルに本気になってくれる人がいて、よかったわ」
「いなけりゃいないで、かまわんがな。母さん、ありゃ、ちょっと美人に育ちすぎたぞ。惜しくってたまらん」
「ふふ、親バカね」
「バカ親父だよ」
「めずらしく酔ってますね。こういうのも楽しいわ」
「これくらいの酒で酔うものか。ちょっと夜景が揺れてはいるが」
「はいはい」
「だが酔ってるのは俺じゃない」
「ん?」
「夜の方だ」


 最後にあたしたちは、坂の上の洋館がある通りに出た。
「ここなんだが……」
「へえ、あんたが選んだにしちゃ、ずいぶんマシなところね。泊まれるの?」
「この洋館だけはホテルになってる。というか元々そのために建てたもんらしいが……」
「そう。なにしてるの? はやく行くわよ」
「おい、ハルヒ」
「入り口に突っ立ってちゃ、いい迷惑よ。話があるなら内で聞くわ」

 部屋は予約してあった。週末の、こんないい場所なら当然だろう。
 予約までして、女を連れてきて、それをまだ何を迷うのだろう。あんたがそんなだから、あたしはこんなに不安なのに。わかってんのかしらね、このバカ。

 「おい、ハルヒ」
なによ。
「つれてきた俺がこんなこと言うのは、おまえのいう『失礼』ってやつだと思うが、……おまえ、わかってるのか?」
あたしは激高した。気づくとこのバカのえりもとを絞め上げ、ぶん投げようか絞め殺そうか、そのどちらでもできるよう、腕に力をこめた。そして、どちらかを決めてる途中で、やっと声が出た。
「あたしはあんたとちがってバカでも暇人でもないの! 女をホテルに連れ込んで『わかってるのか』ですって? ふざけんのもいいかげんにしろ!! あたしはね!!」
だけど、襟をつかんだのは失敗だった。両手がふさがってしまう。顔を、目から流れ落ちるものを、隠せやしない。
「……あ、あたしは、あんたと、そういうことになっても、いいと思ってる」

 どれだけの時間、泣いていたのかわからない。
 気づくと手を放して史上最低のバカの胸に額をつけていた。顔を隠そうとしたのだと思う。
 バカはあたしの背中に手をまわして、ぽんぽんとあやすようにしていた。でも、今欲しいのは、こういうやさしさじゃない。どうして何も言わないの? あたしの一世一代の告白を何だとおもってるんの? 女に、ううん、あたしにここまで言わせておいて、何でこいつは黙っていられるの? こいつはバカだ。救いようがない阿呆だ。

 誰かの声がしたような気がして、あたしは我に返った。次にしたことは、自分の体をこいつから引きはがすことだった。そうして、こいつの顔を覗きこんで、その目を見た。目の中に顔を真っ赤にして泣きはらした女が映っていた。
「ハルヒ?」
 名前を呼ばれて理解できた。目の中に映っているのはあたしだ。それから、今こいつはあたしにやさしくしてるんじゃない、あたしがこいつに甘えてるだけなんだ。
 こいつはあたしの意思を「尊重」しようとした。あたしはそれを「優柔不断」だと思って怒った。こいつがあたしに、この「大切なこと」を決めさせようとしてると感じたから。そのあたしは、こいつに決めさせようとして、そこから逃げたと、なじっているのだ。
 一気に冷えた頭は猛スピードで考え始めた。あたしはこいつをどうしたいのか?こいつとどうなりたいのか?そのためになにをやったのか?やろうとしたのか?こいつはあたしにとって何で、あたしはこいつにとって何なのか?あたしに決められるのはどれで、決められないのはどれか?何故このどうしようもないバカのことを、わたしはこんなにも好きなのか?

 「……まだ、あたしのターンよね?」
 違ってても、あんたの沈黙を1パスとみなすわ。それと、こいつはあのアホキョンのニブキョンよ。へたに「手加減」して「期待」した、あたしが間違ってたのよ。話して通じる相手じゃないと知ってたわ。まさか、ここまでとは思わなかったけどね。だったら手加減抜きで、やるしかない。本気にさせたあんたが悪いんだからね!覚悟しなさい!

「耳かっぽじってよく聞きなさい! 『あんたとそうなってもいい』って? 冗談じゃないわ! あんたじゃなきゃ嫌! あんたじゃないと駄目! 今日のこと、あんたが誘ってくれたとき死ぬほどうれしかった。今日一日、おかしくなりそうなくらいドキドキしたけど、生まれてから一番ってくらいに幸せだった。自分が自分じゃなくなっちゃいそうで、一日中、ううん、あんたに会ってから、あたしはずっと不安だった。でもそんなことは、もうどうだっていいの。あたしはあんたが好き。もう、どうしようもないくらい。言えっていうなら、100万回だって言ってやるわ。あたしはあんたが好き! あたしはあんたが好き!!」

 体中の酸素を使いきって、あたしは息が続く限りまくしたてた。もう駄目だ。酸欠と恥ずかしさとで死にそう。いや、死んでやる。キョン、あたしが死んだら、お墓はいらないわ。鶴屋山の、この町が見下ろせるあの場所に立って、一年に一度でいいからあたしを思いだして泣きなさい。それから・・・。というバカな心の声は、あの「やれやれ」と言ってるみたいなため息に中断した。

「おまえにはかなわん」

って、今何か言ったわ。よくわからない。怖くて顔が見られない。足に力が入らない。
ちょっと、部屋が傾く、床が近づいて来……。

「ハルヒ!」

呼び止められ、抱き止められた。一瞬、気が遠くになって、向こう側が見えた気もするんだけど。どうやら、あたしには、まだこの世ですることがあるらしい。そうだよね、キョン?

「おい大丈夫か?」
「ちょっと酸欠。今、少し天国と天使が見えたわね」
「告白して失神する奴があるか」
「だったら……少しは、普段から、やさしくしなさい。危機一発じゃないと助けに来ないヒーローなんてお呼びじゃないわ」
「呼ばれなくても、ずっとそばにいてやる。こんな危なっかしいやつ、放っておけるか」
「あんた、生意気よ。ちゃんとあたしに惚れてるって言いなさい」
「ああ、惚れてるさ。会った時からずっとだ。何度押し倒そうと思ったかわからん」
「へたれキョン。エロキョン」
「見た目も頭も、性格以外は最高で、道行く男どもは、みんなおまえを見る。俺がどんな気持ちだったか分かるか?」
「バカじゃないの? あたしはあんた以外、目に入らなかったわ。集中力を欠いてるのよ。あたしの気持ちに気づかなかった当然の報いね」
「おまえこそ、俺の気持ちを信じなかったくせに。それから、俺にも言わせろ」
「溜めこんで、それ以上バカになったら困るから、特別に聞いてあげる」
「ハルヒ、おまえが好きだ」
「おそい!! どれだけ待ったと思ってんの?」
「……人の告白に駄目出しするなよ」
「これはあたしの恋路よ。誰の文句も受け付けないわ」
「俺の恋路でもあるだろ。この唯我独尊女!」
「ま、惚れた弱みもあるし、聞くだけ聞いたげる。次!」
「おまえが世界で一番好きだ!」
「比較の問題じゃないでしょ。次!」
「俺にとっておまえみたいなめちゃくちゃな奴は宇宙でたった一人だ!」
「長い!それに今は『ツン』はいらないの!」
「そういうおまえの態度はどうなんだ?」
「うるさい!次!」

「ずっといっしょにいてくれ」「あんたがそばにいてくれるんじゃなかったの?次!」
「おまえがいない人生は考えられない」「いっしょにいるだけじゃ駄目よ!次!」
「おまえの笑顔がずっと見せてくれ」「あたしが泣いたらどうすんの?次!」
「俺を逃がしたら、これ以上の男は現れないぞ」「それはこっちのセリフよ!次!」
「俺にはおまえが必要だ」「あんただけじゃない!次!」
「愛してる」「気持ちだけじゃ駄目だって言ってるの!次!」
「おまえは俺が守る」「無理!」「そうだな」「そうだな、じゃないでしょ!次!」
「付き合ってくれ。断られても、この言葉は二度といわない」「それじゃ脅迫よ!次!」
「俺のファーストレディになってくれ」「オバマか?次!」
「結婚しよう」「ちゃんと手順を踏みなさい」「そんな普通のことでいいのか?」「じゃあ、かけ落ちしてあの親父から逃げきれるの?」「無理だ」「次!」
「駄目だったらクーリングオフしてくれ」「笑いもボケもいらない。次!」

「はぁはぁ。……なんでそんなセリフがポンポン出てくんのよ?ヘタレのくせにスケコマシね」
「はぁはぁ。……おまえが言わせてるんだろうが。日ごろの努力の賜物だ。ずっと考えてりゃこれくらい出てくる」
「へー、あんた、そんな努力してたんだ?ずっと考えてたの?」
「……」
「そこで黙るから、あんたはヘタレなのよ」
「やれやれ。もう言葉は打ち止めだ」
「なにす……うぷ」
こいつの唇があたしの口をふさぐ。ようやく、やっとのことで。ほんと手が掛かる。本気であたしに魅力を感じてるのかしらね。

「ムードないわね、あたしたち」
「そんなものは、どうにでもなる」
「……ちょっとは言うじゃない」
「惚れなおしたか?」
「言っとくけど、恥ずかしいセリフは、あたし以外には禁止だからね」

今度はあたしがこいつの口をふさぐ。


 事が終わって、あたしたちは眠り、目覚めた。
 世界は相変わらず退屈でままならなくて、あたしたちは相変わらず不器用で素直じゃなくて、そして一緒だった。

「……ほんとよく寝るよな」
「……何よ、最初にダウンしたの、あんたの方じゃない。その間抜け面見てると、こっちまで眠くなったのよ」
「ふう、でも悪くないな」
「そうね、悪くないわ。おはよ、キョン」
「おはよう、ハルヒ」

 それから、お互いに腕をまわして体温を確かめ合った。その心地よさにまどろみながら、あたしたちはもう少しだけ眠ることにした。


 その後の事で、語るべきことはあまりない。
 遅い朝食を食べ、坂を降り、バカな言い合いをしながら駅へ向かって、電車に乗り帰途に着いた。途中、母さんの「朝帰りうんぬん」の発言を思い出したので、こいつに振ったら、予想以上の狼狽ぶりだったとか、それを見て大笑いしてやったとか、どうでもいい話だ。こんなことでは、今回のあたしの貸しはちっとも減らないしね。もう一生かけて回収してやるしかないわね。

 そういう訳で、あたしは大いにしかめっ面をして家のドアを開けた。
「おかえりなさい、ハル。 ん、どうかしたの?」
「どうもこうもないわ。あいつに何か期待する方が間違ってんのよ」
「何かって、何が?」
「何もかもよ! まったく、あたしだったから、よかったようなものの……」
「あら、よかったの。よかったわね」
「よくないわよ! まあ、よくなくなくもなかったけど……って何言わせるのよ!」
「ふふ。お父さん、ドンペリ入りまあす!」
「な、何言って……げ、親父、どうしたの、その顔? 縦線入ってるけど」
「ああ、おかえり……」
「死にそうね。ちょっと大丈夫?」
「ああ、おかえり……」
「駄目だ、こりゃ。ねえ、母さん、何かあったの?」
「私たちは、何もなかったわよ」
「なんか母さん、今日、ちょっと親父入ってるわよ」
「だって、お父さん、あの調子だもの」
「その分、母さんがご機嫌なのが、少しこわい」
「ほら、ハル」
「ドン・ペリニョン! しかもロゼ?」 いくらするのよ?
「ホストクラブじゃあるまいし、何十万もしないわ。子供が生まれた年のお酒を買っておいて、っていうのが昔流行ったのよ。それにハルの生まれた年はシャンパーニュの気候も、1990年ほどじゃないけど、申し分なかったし。こういう年にできたワインは、置いておいて後で飲むのが良いの」
いや、それにしても、お酒じゃないような値段するんじゃないの?
「ほんとはね、夕べお父さんのお友達がやってらしたお店に行ったの。港が見下ろせる、とても景色のいい場所でね。そこは、そのお友達のおじいさまが日本に来られた時に建てられた建物で、お父さん、その家を買い取ってお店にする時にお手伝いしたみたい。ちょっと大変な交渉事って、お父さん、得意中の得意だから。それで、我が家に娘が生まれた時に、お祝いにって、そのお友達が下さったのがこのシャンパン。ね、ちょっといい話でしょ?」
「うん」  それでも、すごい額のお祝いだけど。
「お友達、亡くなられてね。その建物も手放すことになったんだけど、また買い戻して、今度はその娘さんが引き継がれることになったの。お父さん、今回も『お手伝い』したらしいわ。そのお祝いが夕べ、そのお店であって」
「そうだったの? ごめん」
「いいのよ。私にもお店に行くまで、お父さん、何にも言わないんだもの。それにお店はいつでも行けるけど、あなたのは一生に一度のことですもの。そのかわり、今度は4人で行きましょ。母さん、ピアノ弾くって約束しちゃたし」
「え、ほんと?」
「ええ。素人に毛が生えたようなものだけれど、一応練習しなきゃね。天国にいる先生に恥かかせられないわ。そ・れ・と、今日はお酒に合った豪華な夕食にするわよ。母さん、準備にかかるから、お父さんをよろしくね」

よろしく、って言われてもね。おーい、親父、生きてる?
「ああ。……あいつとは最近どうなんだ?」
最近と言っても、さっき別れたばっかりだしねえ。
「ぐふ!! ……娘、ど、どこでそんな荒技を?」
なに言ってんの? アタマ、大丈夫?
「以前なら『アイツって誰よ?』的なツンデレ返しで、いくらでもツッコむ隙があったのに」
かあさん、これ、もう駄目みたい。新しいの出そうよ。
「うう、せめてとどめを刺してくれ」













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