文化庁「現代日本文学の翻訳・普及事業」が廃止される根拠になった「日本文学は海外で年平均470冊翻訳出版されている」という数字がただの集計ミスだったことについて

2012年6月23日

 文化庁が2002年から行っていた「現代日本文学の翻訳・普及事業」公式サイト)が、2012年6月20日の行政事業レビューで「廃止」の判定を受けました。

時事ドットコム「日本文学翻訳事業を廃止=府省版仕分けで-文科省」、2012/06/20-19:51(元記事リンク
 文部科学省は20日、有識者を交えて事業の効果を検証する「行政事業レビュー」(府省版事業仕分け)の2日間の日程を終えた。この日は対象となった3事業のうち、日本の現代文学を翻訳して外国で出版する事業など2事業を「廃止」と判定した。
 日本の現代文学の翻訳事業については、有識者から「かなりの代表的な作品は民間事業で多様な言語に翻訳されており、国費で実施する必要はない」など、廃止を求める意見が相次いだ。

 この事業は日本の現代文学を主に英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語に翻訳し、現地の出版社と契約を結んで出版してもらい、かつその一部を買い上げて図書館に配布するというものです。公式サイトによれば、今までに40冊の英訳出版、17冊の仏訳出版、14冊の独訳出版、21冊のロシア語訳出版を実現してきました(JLPPで出版された書籍の一覧)。欧米では一部の作家しか知られていない日本の現代文学を自ら翻訳し普及させていくことは非常に意義があることだと思っていたので、この事業が「仕分け」られてしまったのを知ってかなりのショックでした。この「仕分け」のようすをニコニコ動画で見ることができるとTwitterで教えてもらったので、早速見てみました。


 「仕分け」のようすを見てみると、6人の「有識者」のうち最初に発言した人物が、「日本文学は海外で年平均470冊翻訳出版されている」というデータを持ち出し、だから国でわざわざ翻訳・普及事業をする必要がないと主張していました。ところが、この「有識者」が使ったのと同じデータベースを用いて調べてみたところ、事業の「廃止」判定の根拠になったこの数字が「有識者」の注意不足によるただの集計ミスだったことが分かりました。同じデータベースを見る限りでは、実際の数はこの10分の1ほどでしょう。ところが「仕分け」では間違ったデータが提出され、それによって有識者たちが「日本文学はわざわざ国がやらなくても、海外の出版社が翻訳出版してくれる」と思いこみ、それによって「廃止」が決まってしまったのですから憤懣やる方ありません。

 この「有識者」が使ったデータベースは、国際交流基金がネット上で公開している「日本文学翻訳書誌検索」です(2012年8月8日追記:「国際交流基金と日本ペンクラブが共同で回しておられるデータベース」を使ったと「有識者」本人が仕分けの場で述べています)。以下で、「有識者」がこのデータベースをどう見誤ったのかを検討してみます。

「有識者」の3つの誤り

 さて、「有識者」はこのデータベースを見て、「2002年から2008年までのデータ見ると、日本文学は海外で年平均470冊出版されている。だからわざわざ国で翻訳・普及事業をやる必要がない」と主張しました。たしかに検索すると、2002年から2008年までで3292件、年平均470件となります。

(1)

 この有識者の最初の根本的な誤りは、3292件を単純に3292「冊」だと理解したことです。このデータベースでは、短編集はそれぞれの収録作品ごとに「1件」として登録されるので、たとえば15編収録の短編集は「15件」と表示されます。

 このデータベースで調べると、2002年に出版された日本文学の英訳アンソロジーは3冊あります。それぞれ35編、18編、13編収録で、データベースには66件のデータとして登録されています。これは「3冊」にすぎないわけですが、有識者にとってはこの3冊(66件)が「日本文学が66冊英訳出版されている」となってしまうわけです。

(2)

 そしてこの3冊のアンソロジーを「3冊」と数えることも正しくありません。このデータベースは、実は同じ本が再版されるたびにそれぞれの年度に再度データを入れています。たとえばこのデータベースで2002年に英訳出版された作品を検索すると、安部公房『密会』、村上春樹『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』『スプートニクの恋人』、村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』、夏目漱石『吾輩は猫である』などが出てきますが、これらはすべて、過去に英訳出版されたものが同じ出版社、または別の出版社から再版されたにすぎません。これらを「2002年に英訳出版された日本文学」としてカウントするのはおかしいことになります。さきほど挙げた2002年出版の英訳アンソロジー3冊も、うち2冊は90年代に英訳出版されたものの再版なので、「2002年に英訳出版された日本文学」ではありません。有識者の2つ目の根本的な誤りは、この再版分をデータから除かなかったことです。

(3)

 そして有識者の3つ目の根本的な誤りは、このデータベースが「現代日本文学」ではないものも含むということに気付かなかったことです。たとえば2002年に海外で翻訳出版された作品を調べると、データの中に貝原益軒『養生訓』や井原西鶴『好色一代女』、さらには『源氏物語』、『枕草子』などが含まれていることが分かります。これらは現代日本文学ではないので当然集計時には取り除くべきでしょう。ところが、有識者はこれらも一緒くたに集計してしまっているわけです。

具体的な数字の検討

 すべてのデータについて検討するとたいへんな時間がかかってしまうので、ここでは現代日本文学の2002年の英訳出版について検討してみます。

 このデータベースだと、2002年の英訳出版件数は116件となっています。有識者にいわせればこれは「2002年に日本文学が116冊英訳出版されている」ことを示すデータになってしまうわけですが、上で挙げた3つの間違いを修正すると、2002年に新たに英訳出版された日本の現代文学は正しくは13冊になります。大江健三郎が2冊、村上春樹・夏目漱石・多和田葉子・よしもとばなな・柳美里・湯本香樹実が各1冊、短編アンソロジーが1冊、そして詩集が2冊と脚本集が2冊という内訳です。有識者が考える冊数の10分の1ほどしか日本文学は英訳されていないことになります。

 この行政事業レビューに評価者として参加した有識者は6人いましたが、そのなかの最初の発言者が持ち出したのがこの誤ったデータでした。年間で400から500冊が民間で翻訳出版されており、だからわざわざ国が翻訳・普及事業をやる必要がないという主張でした。この「明確な」データが議論の行く末を決してしまったというのが私の印象ですが、そもそもその拠って立つデータがまったくの間違いだったわけです。

第5回選定図書の行く末は

 別の有識者の中には、「名作はほっといたって民間の出版社が翻訳するんじゃないか」と主張する人もいました。本当にそうでしょうか。たとえばこの「現代日本文学の翻訳・普及事業」の最新の計画では、古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』の英訳・仏訳・ロシア語訳や舞城王太郎『阿修羅ガール』の英訳・仏訳が決まっており、『ベルカ、吠えないのか?』の仏訳"Alors Belka, tu n'aboies plus ?"はすでに今年の2月に出版されています。


 古川日出男や舞城王太郎が日本文学における重要な作家であることはいうまでもないでしょう。ところが、ともにデビューして10年以上も活躍している両者は、「現代日本文学の翻訳・普及事業」によって作品が翻訳図書に選定されるまで、英訳書も仏訳書もロシア語訳書も1冊もなかったのです。放っておいたら、欧米の出版社は翻訳してくれやしないのです。(短編にまで目を配れば、舞城王太郎は2008年8月に出版された北米版『ファウスト』に短編「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」の英訳が掲載されていますが、これも日本の出版社が主導して出版されたものです)

 ちなみに、『ベルカ、吠えないのか?』は2008年に韓国で出版されており、『阿修羅ガール』は2005年に中国で、2007年に台湾韓国で出版されています。「ほっといたって翻訳してくれる」というのはなかなか失礼な言い回しですが、これが通じるところがあるとしたら、それは韓国、台湾、中国、そしてタイぐらいでしょう。これらの地域では、主に日本のエンターテインメント小説が次々と翻訳されていっています。タイについてはあまり知られていないと思いますが、2002年に鈴木光司の『リング』がベストセラーになって以降、日本の最新のエンターテインメント小説が次々と翻訳されているといいます。

 なお、「有識者」は「日本文学翻訳書誌検索」を用いて、2009年から2011年の3年間で日本文学の翻訳出版が一番多かったのはタイ語だったといっています。それもそのはず。実はこのデータベースには、中国語訳や韓国語訳のデータは一切入っていません。本当なら、日本文学の翻訳出版点数が一番多いのは中国語、韓国語で、次がタイ語でしょう。ただ、この文化庁の事業が英訳・仏訳・独訳・ロシア語訳を中心にしている以上、この事業を廃止する根拠として「タイ語(などのアジアの言語)にたくさん翻訳されている」というデータを持ち出すのはナンセンスだと思います。

 「仕分け」会議の際に、アジアと欧米を分けて考える人がいなかったのは残念でした。「ほっといても翻訳してくれる」のは現状ではアジアの一部だけであって、欧米の出版社でわざわざ日本の文学に目を向けて翻訳してくれたりするのはごく少数に過ぎないというのが現実です。「現代日本文学の翻訳・普及事業」の結果、新たに日本文学を出版するようになった出版社もある、ということが仕分けの場ではこの事業の成果として述べられていました。「有識者」の方々はこのことを特に気にもとめていなかったようですが、これは大きな成果といっていいでしょう。

 会議の終盤、事業が「廃止」判定を受けた際、翻訳済みの未出版作品については一定の配慮をすべきだとの言葉がありました。『ベルカ、吠えないのか?』の英訳やロシア語訳、『阿修羅ガール』の英訳や仏訳の出版がどうなってしまうのか気がかりです。

まとめ

 この「仕分け」会議では「現代日本文学の翻訳・普及事業」に対し評価者6名のうち3名が「廃止」、3名が「抜本的改善」が必要との評価をくだし、同数だったため、徳久政策評価審議官の判断で「廃止」と決定しました。文部科学省によるまとめのpdfが以下のリンク先で見られます。


 このpdfでも、「代表的な日本文学の翻訳については既に民間部門において十分に行われている。」というコメントが一番上に来ていますが、その考えが誤ったデータによってもたらされたものだというのが、以上で述べてきたことです。残念ながら、日本文学の特に欧米での翻訳数はまったく十分なものではありません。文部科学省には、現代日本文学の英訳・仏訳・独訳・ロシア語訳がどれぐらい出ているのか正確なデータを出した上で、再度この事業のあり方について検討してくださるよう強く要望いたします。

関連記事

この件についてのWeb上の記事


 図書館司書のばななさん( @booksbanana )による、文化庁「現代日本文学の翻訳・普及事業」が「廃止」判定を受けた件についてのまとめ。この事業が現代日本文学の普及にどれほど役に立っていたかをデータで検証し、また「仕分け」の場で出されたデータの間違いも指摘しています。


 ニューヨーク在住の文芸エージェントの大原ケイ氏による記事。「仕分け」の問題点だけではなく、文化庁「現代日本文学の翻訳・普及事業」(JLPP)が抱えていた様々な問題にまで踏み込んだ記事です。

この件についての新聞・雑誌記事

  • マイケル・エメリック(Michael Emmerich)氏の寄稿 (3つとも同一の文章)
    • 記事見出し「さらば、日本文学/見当違いの翻訳事業廃止 世界と分かち合う意味とは」(『神戸新聞』2012年7月21日朝刊、19面[文化面]、「楕円の思考」コーナー)
    • 記事見出し「さらば、日本文学/見当違いの翻訳事業廃止」(『西日本新聞』2012年7月26日朝刊、11面[文化面]、「楕円の思考」コーナー)
    • 記事見出し「翻訳事業仕分け/さらば日本文学」(『沖縄タイムス』2012年8月2日、19面[文化面]、「楕円の思考」コーナー)

 でたらめな審査によって翻訳事業が廃止になってしまったことを批判する記事。「楕円の思考」コーナーは各地の地方紙に月1回掲載。さまざまな識者のエッセイを掲載する(たとえば、『神戸新聞』2012年6月26日掲載分の寄稿者は加藤典洋氏)。現物を確認できたのは以上の3紙。「楕円の思考」はほかに北海道新聞や岩手日報、南日本新聞などにも掲載されるようだが、エメリック氏の寄稿の掲載日は未確認。


  • 『WB』(『早稲田文学』フリーペーパー)
    • 大原ケイ「Looking for the next Murakami ――「熱意」と「売り込み」で世界への扉は開く」(『WB』26号[2012年夏号]、p.15、「日直から。」コーナー)

  • 新聞記事
    • 「日本文学翻訳 国の役割は」(『読売新聞』2012年8月13日朝刊、9面[解説面]、「耕現学」コーナー)
      • 文化庁の「現代日本文学の翻訳・普及事業」が廃止になった件についての記事。事業の概要、翻訳出版の困難さ、韓国での翻訳支援の実例、事業廃止を批判する沼野充義氏、阿刀田高氏のコメントなど。
    • 「日本文学の翻訳、仕分けで凍結 / 文化発信、財政難の波 / 「戦略なく、コスト高」 / 韓国・トルコは力を入れ成果」(『朝日新聞』2012年9月18日朝刊、37面[文化面])
    • 【広角レンズ】翻訳事業、仕分けで廃止 日本文学「輸出」どう支援」(MSN産経ニュース 2012年10月11日)


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最終更新:2012年08月08日 13:01