ソ連/ロシア推理小説略史

2012年2月4日

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  • このページは「ソ連/ロシア推理小説略史」と「ソ連/ロシア推理小説翻訳略史」の両方を兼ねています。

Index

19世紀後半:ガボリオの受容、アレクサンドル・シクリャレフスキーの登場

 世界初の長編探偵小説とされる『ルルージュ事件』(1866年)などで知られるフランスの探偵作家エミール・ガボリオの作品が1860年代末からロシアで多数翻訳され、ロシアにおける探偵小説誕生の下地を作る。1870年代にはアレクサンドル・シクリャレフスキーのような犯罪小説専門のロシアの作家も登場した。

 ロシアの文豪アントン・チェーホフも探偵小説を発表している。代表的なものに、江戸川乱歩編『世界短編傑作集1』(創元推理文庫)に収録されている「安全マッチ」と、長編の『狩場の悲劇』(1884年~1885年?、新聞連載)がある。両作品ともちくま文庫の『チェーホフ全集』第2巻(1994年)で読むことができる。『狩場の悲劇』にはガボリオやシクリャレフスキーの流行を揶揄するような記述がある。
 江戸川乱歩はこれ以外に、チェーホフの探偵小説として「音楽家と手品」(『新青年』1938年5月増刊号)、「つとめの身」、「殺人」を挙げている(後者2つは袋一平の記述をそのまま引用したもので、乱歩自身も確認はしていないようだが)。「殺人」というタイトルの作品はちくま文庫の『チェーホフ全集』第7巻に収録されているが、乱歩が挙げている「殺人」と同じものなのかは分からない。また、「音楽家と手品」と「つとめの身」が現在はどのようなタイトルで知られている作品のことなのかも分からない(少なくともちくま文庫『チェーホフ全集』には「音楽家と手品」、「つとめの身」というタイトルの作品は収録されていないようである)。


20世紀初頭:探偵小説小冊子の流行

 1905年の第一次ロシア革命ののちに検閲が廃止されると、1907年、シャーロック・ホームズやニック・カーター、ナット・ピンカートンらが活躍する翻案もの、あるいはそれらの探偵を主人公に据えたオリジナル作品が定期刊行の小冊子の形で出版されるようになる。日本人探偵オカ・シマ(Ока Шима)が活躍する作品もあったという。どれもアクション重視になっており、作者名は明記されていなかった。この小冊子は人気を博し、1908年5月だけでも、ペテルブルグで探偵小説が62万部以上売れたという。またこの時期には犯罪映画も多く制作された。


1920年代前半:《赤い探偵もの》の流行

 1917年の第二次ロシア革命のあと、1920年代初めになると《赤い探偵もの》(または《赤いピンカートンもの》)の流行が始まる。大衆小説は革命的なものでなければならないという当時の理念に呼応して、腕利きの探偵(=勇敢で賢い労働者)が波乱万丈の大活躍をする(=悪辣な資本家などと戦う)たぐいの小説であるが、それらはありがちな説教調、政治的プロパガンダにはなっておらず、娯楽作品として一級のものになっているという。代表作に、マリエッタ・シャギニャンがジム・ドルという筆名で発表した『メス・メンド』(1923-25?)や、アレクセイ・トルストイの『技師ガーリン』(1925)がある(※『戦争と平和』などで知られるトルストイとは別人)。『メス・メンド』は、世界の混乱を修復(mend the mess)するための労働者組織の活躍を描く作品である。

《赤い探偵もの》の邦訳
  • 1928年:長編 ジム・ドル『革命探偵小説 メス・メンド』 (広尾猛訳、世界社、1928年、5分冊)
  • 1930年:長編 アレクセイ・トルストイ『ソヴエト・ロシア探偵小説集1 技師ガーリン』 (広尾猛訳、内外社、1930年)

 《赤い探偵もの》時代のソ連探偵小説の代表作である『メス・メンド』と『技師ガーリン』は、原著刊行から数年後に日本でも翻訳刊行されている。『メス・メンド』は日本語版刊行時にすでに英訳・独訳があり、中国・上海でも同じころに、日本語の『メス・メンド――職工長ミックの巻』に基づく抄訳『洋鬼』が刊行されていたという。『メス・メンド』は1930年前後にさまざまな形で邦訳が出ており、『続メス・メンド』も刊行されているが、その辺りについては省略する。『メス・メンド』 の邦訳の刊行(1928年)は江戸川乱歩デビューの5年後であり、ソ連の探偵小説が日本に入ってきたのは予想よりもはるかに早かったようだ。おそらくこの『メス・メンド』が、日本で翻訳紹介された最初のソ連探偵小説だろう。(なおSF小説では、1926年に出たボグダーノフ『赤い星』(大宅壮一訳)が本邦初訳のソ連SFだとされている)
 アレクセイ・トルストイの『技師ガーリン』は内外社の《ソヴエト・ロシヤ探偵小説集》の第一弾として翻訳刊行された。海野十三は『新青年』1937年新春増刊号掲載のアンケートで、海外探偵小説十傑のうちの1作に『技師ガーリン』を挙げている(参照:本棚の中の骸骨 藤原編集室通信>資料室>〈新青年〉海外探偵小説十傑)。叢書《ソヴエト・ロシヤ探偵小説集》について、深見弾氏は以下のように書いている。

内外社のソヴエト・ロシヤ探偵小説の企画は第二弾としてレオニード・ボリソフの『記憶を喪った男』を準備していた。どうやらこれは不発に終ったらしい。調べた限りでは、出版された形跡がない。しかし、未刊だったとも判定できないでいる。ご存知のかたがあればお教えいただきたい。

  • 主要参考文献
    • 深見弾(1978)「ロシヤ・ソビエトSFはこんなに訳されている(戦前)」(ナウカ株式会社『窓』1978年3月号(24号)、pp.40-47)
    • 鴻英良(2001)「現代のロシア・ミステリー事情」(『ジャーロ』2001年冬号、pp.325-327)
    • 長谷部史親(2002)「マリエッタ・シャギニャンの『メス・メンド』」(長谷部史親『ミステリの辺境を歩く』アーツアンドクラフツ、2002年)pp.260-267(初出は『ミステリマガジン』(未見))

1920年代後半~1950年代前半:スターリンによる探偵小説圧殺時代/スパイ小説の時代

 スターリンは、1922年から死去する1953年までソビエト連邦共産党中央委員会書記長を務めた。

鴻英良「現代のロシア・ミステリー事情」(『ジャーロ』2001年冬号)
スターリンは、欧米のミステリー小説をブルジョア的な堕落した娯楽の形態と考え、ミステリー小説の出版を許さなかったし、スターリン時代には、欧米のそうした類の作品の翻訳出版は禁止されていたのである。

 その結果、かつての探偵小説の要素は敵のスパイとの攻防などを描くスパイ小説に受け継がれて辛うじてその命脈を保つことになる。ロマン・キムは1930年代の探偵小説(スパイ小説?)の傑作としてニコライ・ニキーチン(1895-1963、ロシア語版Wikipedia)の「コカンドの出来事」、ブルーノ・ヤセンスキー(ポーランド人)の「皮膚を取換える男」を挙げている。「皮膚を取換える男」は、おそらく「人間は皮膚を変える」というタイトルで邦訳が出ている作品のことだろう。ヤセンスキーの作品の邦訳については、SFファングループ「THATTA」のオンライン・ファンジン『THATTA ONLINE』241号(2008年5月号)に掲載されたフヂモト・ナオキ氏の「ウィアード・インヴェンション~戦前期海外SF流入小史~008」に詳しい。残念ながら『人間は皮膚を変える』は完訳はないようだ。スパイ小説は特に第二次世界大戦のときに活気を見せ、その活気は戦後まで続くことになる。

この時期に邦訳された作品
  • 1952年:長編 ロマン・キム『切腹した参謀達は生きている』 (高木秀人訳、五月書房、1952年1月)※一部がカットされている

 1951年にソ連作家同盟の機関誌『ノーヴイ・ミール(Новый мир/新世界)』に発表された作品。この作品は第二次世界大戦と朝鮮戦争を背景としており、日本やアメリカの人物が()()()登場するスパイ小説であったため、GHQの管理下にあった当時の日本ではそのまま刊行することができず、4分の1ほどが自主的にカットされている。それから24年経った1976年に、完訳版『切腹した参謀たちは生きている』(長谷川蟻訳、晩聲社、1976年)(「達」が平仮名表記になった)が刊行された。

 ソ連の推理小説の邦訳は、1920年代末から30年代初めにかけて刊行されたマリエッタ・シャギニャン(ジム・ドル名義)『革命探偵小説 メス・メンド』、アレクセイ・トルストイ『ソヴエト・ロシア探偵小説集1 技師ガーリン』以来、少なくとも単行本の刊行は皆無だったと思うが、戦後にはわりと早い段階でソ連の推理小説が単行本で登場していたことになる。もっとも、この『切腹した参謀達は生きている』が()()()()()()()刊行されたとは言えない。1952年の版を刊行した五月書房はレーニンなどの著作を出していた共産党系の出版社で、ソ連の大使館筋が日本での出版を急がせたという話がある(津村喬1976)。ロマン・キム自身は政治的な思惑とは関係なくさまざまな地域を舞台にスパイ小説を書いていたようだが、『切腹した参謀達は生きている』の日本での刊行は政治的な意図を強く感じさせるものだった。その24年後の完訳版も、推理小説とはゆかりのない出版社から刊行されている。

  • 主要参考文献
    • 江戸川乱歩(1956)「探偵小説の世界的交歓 チェーホフの長篇探偵(?)小説」(『宝石』1956年10月号、pp.68-77)
      • ロマン・キムからの第一信の全文が翻訳掲載されている(原卓也訳)
    • 津村喬(1976)「ロマン・キム『順川で見つけた手帖』を読みかえす ――朝鮮戦争二六周年に」(『新日本文学』1976年7月号、pp.46-55)
    • 鴻英良(2001)「現代のロシア・ミステリー事情」(『ジャーロ』2001年冬号、pp.325-327)

1953年以降(スターリン死去以降):警察小説の登場


1950年代(1953年以降)に邦訳された作品
  • 1954年:短編 アレフィエフ「試射場の秘密」 (日本初のSF商業誌『星雲』創刊号(1954年))
  • 1955年:短編 アレフィエフ「万年筆殺人事件」(袋一平訳、『政界往来』1955年8月号)
  • 1955年:中編 L・サモイロフ=ヴィリン「夜の雷雨」(袋一平訳、『探偵倶楽部』1955年10月号および11月号)
    • 翌年、同じ作品が住田伸二の訳で「雷雨」というタイトルで『小説読本』1956年8月号に掲載されている
  • 1956年:短編 アナトーリ・ベズーグロフ「にせのサイン ――弁護士の日記より――」 (袋一平訳、『宝石』1956年2月号、pp.72-82)
  • 1957年:短編 アレフィエフ「赤い小箱」(袋一平訳、『探偵倶楽部』1957年1月号)
  • 1957年:短編 レフ・シェイニン「婦人探偵の推理眼 =うっとうしい事件=」(袋一平訳、『探偵倶楽部』1957年11月号)

1950年代(1953年以降)に邦訳された東欧の作品
  • チェコ(当時はチェコスロヴァキア) - エゴン・ホストヴスキー『スパイ』(岡田真吉訳、角川書店、1958年)→ 改題文庫化『秘密諜報員 : アルフォンスを捜せ』(角川文庫、1966年)

1960年代:「偏狭な愛国主義」からの解放

飯田規和(1965)「ソ連の探偵小説と『ペトロフカ、38』」(ユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』早川書房 ハヤカワ・ミステリ883、1965年3月)
ソ連の探偵小説はわが国にはまだほとんど紹介されていない。しかし、このことは、一部で言われているように、ソ連には探偵小説がないということを意味するものでは決してない。むしろ、事実はその逆で、ソ連でも、他の国と同じように、探偵小説は読者の間に大きな需要を持ち、今までかなりの量の作品が書かれていると言うことができよう。(p.251)

 ユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』は1963年の作品で、早川書房の《ハヤカワ・ミステリ》(通称 ポケミス)の唯一のロシア(ソ連)作品である(「ポケミス非英語圏作品一覧」参照)。この作品は巻末解説によれば、「とかく、今までのソ連の探偵小説には、時には「偏狭な」と言いうるような、一種独特な愛国主義があって、それが外国人であるわれわれには読むのにかなりの抵抗を感じさせていた。それがこの小説には全然ない」という点が画期的であった。この作品は当時のモスクワをありのままに描いた小説だったが、一方で同時期には、アメリカを舞台にしたアレクセイ・コロビツィン『蝋人形館の秘密』(1965)のような作品もあった。『蝋人形館の秘密』は1970年に『逃亡 : 犯罪なき犯罪』というタイトルで邦訳が出ている。

 1965年にはモスクワで日ソ文学シンポジウムが開催され、日本代表の約20名のうちの1人としてスパイ小説作家の中薗英助が参加している(中薗英助作品は英語圏・西欧では刊行されていないが、旧ソ連やポーランドなどでは刊行されている)。また1966年には、モスクワで内閣出版委員会によって推理小説に関する会合が開催された。

1960年代に邦訳された作品
  • 1963年:短編 レフ・シェイニン「ミスター・グローバーの恋」(ノーボスチ通信社編『りんご漬け 現代ソビエト短編集』[ソビエト社会主義共和国連邦大使館公報課、1963年]に収録)
  • 1965年:長編 ユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』(飯田規和訳、早川書房 ハヤカワ・ミステリ883、1965年3月)
  • 1965年:短編 レフ・シェイニン「狩猟ナイフ」(永井淳訳、『ミステリマガジン』1965年11月号)
    • 同じ作品が『ミステリマガジン』1972年1月号にも稲垣晴美訳で掲載されている。
  • 1967年:短編 イリヤ・ワルシャフスキー「シャーロック・ホームズ秘話」(イリヤ・ワルシャフスキー『夕陽の国ドノマーガ』[草柳種雄訳、大光社、1967年]に収録)
    • パロディ的作品

1960年代に邦訳された東欧の作品
  • ブルガリア - アンドレイ・グリャシキ『ザホフ対07』(『ミステリマガジン』1967年2月号)
    • この作品は1966年にブルガリア語で発表され、即座にロシア語に翻訳された。『007は三度死ぬ』(深見弾訳、創元推理文庫、1985年)は同じ作品の改訂版を翻訳したもの。

  • 主要参考文献
    • 飯田規和(1965)「ソ連の探偵小説と『ペトロフカ、38』」

1970年代:制限下での繁栄

 検閲があり書いてはいけないこともあったが、そんな中でもソ連の推理小説は活況を呈していたようだ。残念ながら邦訳はほとんどされなかったが、そのことは日本でも伝えられていた。

飯田規和(1972)「ソ連の推理小説」(『世界ミステリ全集12』早川書房、1972年)月報
ソ連で年々発表される推理小説の数は、大方の予想に反してかなりの数にのぼっている。(中略)ソ連の推理小説の読者は推理小説の古典が好きだし、犯罪者側の巧妙なトリックと探偵の側の機知にとんだ推理によって事件が展開するという、いわゆる本格的な推理小説が好きらしい。ソ連で翻訳されている外国作家は相変らずポー、ドイル、チェスタートン、クリスティ、シムノンなどである。

『世界ミステリ全集12』(早川書房、1972年)巻末座談会での石川喬司の発言
中薗英助氏が、ソ連へたびたび行っていて、そのときにソ連のミステリの状況なんかをいろいろ調べてもらったところによると、やはりわれわれの考えるような本格推理小説はないということです。(中略)逆に向こうで、日本の推理作家の横綱格として評価されているのが、松本清張と中薗英助なのです。それをみれば、向こうの推理小説観というのがわかると思うのです。つまり社会派――権力のからくりをあばくような作品が受けている。

黒田辰男(1974)『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)「特集・ソ連の推理小説」編集後記
推理小説は、今日世界の多くの国々において、圧倒的な多数の読者に愛好される文学ジャンルとなっている。ソ連においてもその例外ではなく、推理小説は現在、多くの読者の興味をひきつけ、その新らしい作家を輩出させ、多くのすぐれた作品を創り出し、全体としてのソヴェート文学のなかで、ゆるがせぬ大きな存在となっている。

 引用した石川喬司氏の発言内容は飯田氏が月報で書いている内容と食い違っているようにも見えるが、ロシアで松本清張や中薗英助、森村誠一らの作品が翻訳されていたのも事実なので(特に中薗英助や森村誠一作品は、現在に至るまで西欧諸国では翻訳されていない)、石川氏の発言もまたソ連の推理小説界の一面をとらえているのだろう。

 飯田規和「ソ連の推理小説」(1972)では「ソ連の推理小説界の新人三羽烏」としてワイネル兄弟、ヴィクトル・スミルノフ、ニコライ・レオーノフが挙げられているが、このうち邦訳があるのはワイネル兄弟だけである(しかも、ワイネル兄弟についても長編の抄訳があるのみ)。また『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号に掲載されたレオニード・スローヴィン「目撃者のない事件」に付された著者の言葉によれば、この当時の警察小説(集団での捜査を描く小説)の代表的作家としてはアルカージー・アダモフ、ユリアン・セミョーノフ、ヴェ・カラハーノフがおり、一方で一人の探偵役の活躍を描くタイプの推理小説の代表的な作家としてはワイネル兄弟、ヴィクトル・スミルノフ、パーヴェル・シェスタコーフがいた。この6人のうち、邦訳があるのは前述のワイネル兄弟とユリアン・セミョーノフだけである。

1970年代に邦訳された作品
  • 1970年:長編 アレクセイ・コロビツィン『逃亡 : 犯罪なき犯罪』(香川二郎(本名・末包丈夫)訳、1970年12月、法律文化社)
  • 1973年:長編抄訳 ユリアン・セミョーノフ『会長用の爆弾』 (ソ連大使館広報部刊行『今日のソ連邦』1973年第1号(1月1日)~第7号(4月1日)、全7回連載)
  • 1974年:『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)【特集:ソ連の推理小説】
    • 長編抄訳 ワイネル兄弟『ミノトール訪問』 (泉清訳、pp.22-160)
    • 短編 レオニード・スローヴィン「目撃者のない事件」(酒枝英志訳、pp.162-208)
    • 短編 イリヤ・ワルシャフスキー「ドブレ警部の最後の事件」(井桁貞義訳、pp.210-234) - ミステリのパロディ的作品
  • 1974年:長編 ストルガツキー兄弟『幽霊殺人』(深見弾訳、1974年8月、早川書房) - 原題の直訳は『ホテル「死滅したアルピニストの許で」』。1970年の作品。
  • 1977年:短編 ア・アヴデェーエフ「勇気」(深見弾訳、『ミステリマガジン』1977年9月号)
  • 1978年:短編 レフ・シェイニン「セメンチューク事件」(深見弾訳、『ミステリマガジン』1978年3月号)

1970年代に邦訳された東欧の作品
  • ポーランド - イェジィ・エディゲイ
    • 『顔に傷のある男』(深見弾訳、早川書房 ハヤカワ・ミステリ1292、1977年)
    • 『ペンション殺人事件』(深見弾訳、早川書房 ハヤカワ・ミステリ1312、1978年)

 上述のようにソ連のミステリ界の活況が伝えられる一方で、邦訳はあまり進まなかった。早川書房の『SFマガジン』では今までに複数回、ロシア(ソ連)SF特集が組まれているが、『ミステリマガジン』では1991年12月号で一度小特集があったのみである。1974年には『季刊ソヴェート文学』がミステリ特集を組んでいるが、日本の雑誌でソ連ミステリをまるごと特集したのはこれが唯一のものだと思われる。
 深見弾氏は1978年に『ミステリマガジン』誌上で、ソ連及び東欧の推理小説を紹介する隔月連載のコーナー「ソ連・東欧ミステリ紹介」を始めている。ソ連の短編の翻訳1点と東欧の長編の要約紹介を毎回掲載すると予告されていたが、残念ながらソ連の短編の翻訳は第1回のみしか掲載されなかった。東欧の長編の要約紹介は第6回まで続けられた(掲載号は1978年3月号、6月号、8月号、10月号、12月号、1979年3月号)。

  • 主要参考文献
    • 飯田規和(1972)「ソ連の推理小説」(『世界ミステリ全集12』早川書房、1972年)月報
    • 『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)【特集:ソ連の推理小説】

1980年~1991年:亡命作家とペレストロイカ

 この時期のソ連を代表する作家――といっていいのかは分からないが、この時期にソ連出身のミステリ作家として世界的に有名になった作家に、亡命作家のエドワード・トーポリとフリードリヒ・ニェズナンスキイがいる。トーポリは元新聞記者で、ニェズナンスキイは元検事。亡命地のニューヨークで出会った二人は『赤の広場』、『消えたクレムリン記者』という2冊のミステリ小説を共同で発表している。単なるミステリ小説というよりは、ソ連の暗部を暴き立てる小説として受容されたようだ。コンビ解消後もそれぞれ作品を発表しており、邦訳も刊行されている。

  • トーポリ&ニェズナンスキイ
    • 『赤の広場 : ブレジネフ最後の賭け』(中央公論社、1983年4月) - 週刊文春ミステリーベスト10、第3位
    • 『消えたクレムリン記者 : 赤い麻薬組織の罠』(中央公論社、1983年7月)

  • エドワード・トーポリ(エドゥアルド・トーポリ)
    • 『ソ連潜水艦U137 : 人工地震エンマ作戦』(中央公論社、1984年)
    • 『赤いパイプライン』(新潮社、1988年)
    • 『暗黒のクーデター』(新潮社、1992年)
    • 『公爵夫人ターニャの指輪』(新潮社、1993年) - 妻のエミリアとの共著

  • フリードリヒ・ニェズナンスキイ
    • 『犯罪の大地 : ソ連捜査検事の手記』(中央公論社、1984年/文庫版あり) - 非小説
    • 『赤い狼 : KGB"T"機関の陰謀』(中央公論社、1985年/文庫版あり)
    • 『「ファウスト」作戦 : 書記長暗殺計画』(中央公論社、1987年)

 ソ連は崩壊へと向かっていたが、そんな中でもソ連の推理作家は対外交流に積極的だった。ユリアン・セミョーノフは1981年の第3回世界推理作家会議(スウェーデン・ストックホルム)に参加しており、夏樹静子とも面会している。1986年にはユリアン・セミョーノフやメキシコのパコ・イグナシオ・タイボ二世を中心に国際推理作家協会が設立されており、セミョーノフはその初代会長になっている(日本の推理作家では戸川昌子が国際推理作家協会の理事の一人になり、1987年6月にヤルタで開かれた第一回理事会に参加した)。セミョーノフは1987年10月にフランス・グルノーブルで開かれた世界ミステリ祭にも招待されている(日本の推理作家では松本清張が招待された)。
 1988年・1989年にはソ連で日ソ推理作家会議が開かれており、日本推理作家協会の代表団が訪ソしている。

  • 日ソ推理作家会議の日本からの参加者
    • 第1回(1988年):三好徹(当時の日本推理作家協会理事長)、小松左京、長井彬、高柳芳夫、山村正夫、中津文彦、松村喜雄
    • 第2回(1989年):山村正夫、加納一郎、豊田有恒、田中光二、菊地秀行、井沢元彦、大沢在昌、新津きよみ

 1985年からゴルバチョフによる改革運動(ペレストロイカ)が始まる。これにより検閲制度がなくなり、表現が多少は自由になった。1991年7月のインタビューで、ロシア共和国推理作家同盟の総裁(当時)で推理作家のアナトーリィ・ベズーグロフは検閲制度について以下のように話している。

『ミステリマガジン』1991年12月号掲載のインタビューより
(編集部)――ペレストロイカをきっかけに、ミステリは変わりましたか。
ベスーグロフ 以前は検閲があって、検事や内務省を舞台にした小説を書いた場合は、内務省から発行の認可をもらうことが必要でした。書いてはいけないこともありましたし、嘘を書かざるを得なかった作家もいます。でも、わたしはいつも正直でいたかったので、嘘は書きませんでした。こんど全十四巻から成るわたしの作品集が出ますが、昔の作品に訂正を加える必要は感じていません。

 ロシア共和国推理作家同盟はインタビュー内でベズーグロフが「まだ結成したばかり」といっているので、1990年・1991年あたりに結成されたものだろう。ベズーグロフはソ連初のミステリ専門誌『インターポール・モスクワ』(Интерпол-Москва)(1991年創刊)の編集局長も務めている。創刊号にはソ連の作家の作品以外に、イアン・フレミングの『女王陛下の007』、筒井康隆の「如菩薩団」も翻訳掲載された。007シリーズはかつてはソ連では出版が禁じられていたが、これもペレストロイカによって翻訳掲載が可能になったのである。創刊号は発行部数25万部。ただし第2号が刊行されたのかは分からない。ロシア共和国推理作家同盟についてもその後の動向は不明である。ソ連崩壊の混乱の中でこの団体も消えてしまったのかもしれない。
 なお推理小説を掲載する雑誌としては、『インターポール・モスクワ』以前には、SF小説や推理小説、冒険小説を掲載する『イスカーチェリ(探求者)』があった。

1980年代~ソ連崩壊前後に邦訳された作品
(トーポリとニェズナンスキイの著作については前述)
  • 1991年:長編 ユリアン・セミョーノフ『春の十七の瞬間(とき)』(伏見威蕃訳、角川文庫、1991年6月)
  • 1991年:短編 アナトーリィ・ベズーグロフ「予審判事の捜査記録」 (深見弾訳、『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.53-77)
  • 1995年:短編 ユリアン・セミョーノフ「一九三七年の夏」(ジェローム・チャーリン編『ニュー・ミステリ : ジャンルを越えた世界の作家42人』[早川書房、1995年10月]に収録) ※非ミステリ

この時期に邦訳された東欧の作品
  • ヨゼフ・シュクヴォレツキー『ノックス師に捧げる10の犯罪』(宮脇孝雄・宮脇裕子訳、ミステリアス・プレス、1991年5月) - アメリカ合衆国に亡命したチェコの推理作家

  • 主要参考文献
    • 高橋正「ロシアン・ミステリーの内幕」(『ミステリマガジン』1987年7月号、pp.115-117)
    • アナトーリィ・ベズーグロフへのインタビュー「ドストエフスキーのような作家になるのが目標です」(『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.46-49)
    • 深見弾(1991)「ソビエト・ミステリ界の現状」(『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.50-52)

1992年~:ソ連崩壊以後:世界に通用するミステリ作家の登場 ――アレクサンドラ・マリーニナ、ボリス・アクーニン

 もともとソ連では一部の国外ミステリ作品は翻訳されて読まれていたが、ペレストロイカにより今まで翻訳が禁じられていた作品も出版が可能になり、街には翻訳ミステリがあふれるようになる。一方でソ連の作品を集めた推理小説全集の刊行も1990年前後に始まっている。ソ連時代には出版部数がすべて計画的に決められていたため「ベストセラー」と呼ぶべき作品は存在しなかったが、ソ連崩壊後はベストセラーリストを推理小説がにぎわすようになる。そんな中で、ロシアのクリスティと呼ばれるアレクサンドラ・マリーニナや、日本語の「悪人」に由来する奇妙な筆名を持つボリス・アクーニンなどの、世界的に名を馳せるミステリ作家が登場する。


 日本の作品では、近年では桐野夏生の『OUT』や東野圭吾『容疑者Xの献身』、『探偵ガリレオ』などが翻訳されて読まれている。
 神梨国男の《北海道警察シリーズ》4冊もロシア語に翻訳されているという設定である
 《北海道警察シリーズ》の翻訳者はエドワルド・ヴラーソフ(Эдуард Власов)氏と表示されているが、実際はこの方が作者であり、日本の作品をロシア語に翻訳したもの、という設定で刊行しているらしい

 推理小説を掲載する雑誌としては、月刊誌の『イスカーチェリ』(ロシア語版Wikipedia)や同じく月刊誌の『ポールデニ』(ロシア語版Wikipedia)などがある。前者は推理小説やSF小説、冒険小説を掲載するエンターテインメント雑誌、後者はSFをメインとする雑誌だが、優れた作品はジャンルを問わず掲載され、ミステリに近い作品も掲載される。

  • 主要参考文献
    • 沼野充義(1999)「マリーニナと現代ロシアの推理小説」(アレクサンドラ・マリーニナ『モスクワ市警殺人課分析専門官アナスタシヤ1 盗まれた夢』[作品社、1999年]巻末、pp.357-364)
    • 籾内裕子(2009)「世界のミステリ雑誌 各国ミステリ雑誌大紹介 ロシア」(『ミステリマガジン』2009年1月号、pp.52-53)


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最終更新:2012年02月04日 21:42