2011年11月9日
『韓国ミステリ史 第二章』では、1940年代から1960年代までを扱っている。
目次
金来成簡略紹介
以上の2つの記事を未読の方は、金来成についての以下の簡略紹介をご覧になってから第二章にお進みください。
金来成 (きん らいせい、キム・ネソン、1909-1957)
1909年、平壌(ピョンヤン)近郊に生まれる。平壌の学校で英語教師(後に翻訳家)の
龍口直太郎の授業を受け、探偵小説の魅力を知る。21歳から26歳まで日本に留学。早稲田大学法学部独法科在学中の1935年、探偵雑誌『ぷろふいる』(1933-1937)に
「楕円形の鏡」が掲載されデビュー。同年には、同誌の創刊二周年特別懸賞募集に投じた
「探偵小説家の殺人」も入選し掲載された(ほかの同時入選作は、光石介太郎「空間心中の顚末」など)。日本語で発表した創作はほかに、雑誌『モダン日本』(1930-1951)の懸賞ショートストーリー募集に入選したユーモア掌編
「綺譚・恋文往来」(
こちらで全文公開している)がある。
『ぷろふいる』でのデビュー後は、探偵作家の光石介太郎が同誌デビューの作家に声をかけて結成したYDN(ヤンガー・ディテクティブ・ノーベリスト)ペンサークルの会合に出入りした。また、江戸川乱歩を師と仰いでおり、乱歩邸を訪れたことも二、三度あった。乱歩によれば、金来成は「非常な感激屋で、情熱家で、文学青年であった」(「内外近事一束」『宝石』1952年9・10月号)という。
金来成が日本で発表した2編の探偵小説は本格謎解きもので、中島河太郎も『ぷろふいる』から出た新人の中で金来成には特に注目していたようである(『日本推理小説史』第九章「ぷろふいる」五年史)。しかし、金来成はデビュー1年後の1936年春、早稲田大学を卒業すると朝鮮に戻る。以降は金来成は朝鮮語(韓国語)で作品を発表し続けたが、その作品は一作も邦訳されておらず、彼がどのような作品を書いていたのかは日本ではほとんど知られていない。
朝鮮に戻った金来成は、日本で発表した「探偵小説家の殺人」を翻訳改題した「仮想犯人」(1937)を皮切りに、「狂想詩人」(1937)、「復讐鬼」(1938)、「異端者の愛」(1939)、「
屍琉璃」(1939)、「
白蛇図」(1939)、「霧魔」(1939)(
こちらで翻訳公開している)、「第一夕刊」(1940)、「秘密の扉」(1941)などの短編探偵小説(多くは変格物)や、ベストセラーとなった長編通俗探偵小説『魔人』(1939)、『台風』(1943)、さらには少年向けの探偵小説『白仮面』(1937-1938)、『黄金窟』(1937)などを発表。また同時期に、『赤毛のレドメイン家』の翻訳や、ホームズ物、ルパン物の翻案を行った。朝鮮半島に探偵小説を広めるため、まさに韓国の乱歩と言っていいほどの八面六臂の活躍をしたのである。
金来成の作家生活は約20年だったが、後半の10年は主に大衆文学を執筆しており、探偵小説の創作は少ない。戦後の探偵小説作品としては、日本語で執筆したまま未発表だった長編探偵小説『血柘榴』を原型とする『思想の薔薇』(1955)や「罰妻記」(1949)などのほか、『巌窟王』、『鉄仮面』、『ルルージュ事件』の翻案などがある。
金来成は朝鮮に戻ってからも乱歩に手紙を送っていた。それは戦争で一度途切れるが、1952年からは再び乱歩と文通を開始している。金来成は旧友と会うことや探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)の見学を望んでいたが当時の情勢では渡航は難しく、探偵作家クラブが韓国政府に金来成の来日を認めるよう手紙を送ったが、結局来日は実現しなかった。また、金来成は自作を翻訳して日本の探偵雑誌に掲載することを望んでいたが、これもどうやら叶わなかったようである。
金来成は1957年、脳溢血のため死去。人気作家として大衆文学のベストセラーを連発しているさなかのことだった。生誕100年となる2009年を迎えて以降、韓国では長編『魔人』の復刊や新編集の短編探偵小説集の刊行などがあり、金来成の探偵作家としての再評価が進んだが、日本ではほとんど知名度がないというのが現状である。
第二章 1940年代~1960年代: 金来成後の忘れられた作家たち
第一節 戦前~戦後の読書事情
1952年に金来成が江戸川乱歩に送った手紙で、韓国の当時の推理小説事情を知ることができる。おそらく、金来成が韓国(朝鮮)に帰った1930年代後半~1940年代初頭のころの状況を説明したものだと思われる。
江戸川乱歩(1952)「欧亜二題」
次に現代の朝鮮探偵小説については、金君は左のように書いている。
「結局一般読者が探偵小説を認識しはじめたのは、欧米からではなく、日本から輸入されたものにあったと思います。それには欧米のものの翻訳と創作とを含みますが、ポー、ルブラン、ドイル、ガボリオなどをはじめ、江戸川乱歩、森下雨村、水谷準、大下宇陀児、横溝正史、小酒井不木等の諸氏の作品が入って来ました。中にもルパン(ルブランではないのです)と、江戸川乱歩(明智小五郎ではないのです)と、ホームズ(ドイルではないのです)が大いに受けました。昔の黒岩涙香を知っていたのは私一人であったかも知れません」。
ポーやルブラン、ドイル、ガボリオなどは確かにこの時期にすでに韓国語に翻訳されていたようだが、引用中に名前が挙がっている日本の作家、江戸川乱歩、森下雨村、水谷準、大下宇陀児、横溝正史、小酒井不木らの作品が韓国語になっていたのかは分からない。1930年代以降、朝鮮半島では、日本の大衆雑誌『キング』(
Wikipedia)や少年向け雑誌『少年倶楽部』(
Wikipedia)などが日本語のままで若者の間で広く読まれていた(南富鎭「『キング』と朝鮮の作家」(2005))。おそらくは、日本の探偵作家の作品は翻訳されたのではなく、そのまま日本語で読まれていたのだろう。たとえば江戸川乱歩は、『キング』には『黄金仮面』(1930-1931)、『鬼』(1931-1932)、『妖虫』(1933-1934)、『大暗室』(1936-1938)を連載し、『少年倶楽部』には1936年から1940年にかけて少年探偵団シリーズを連載しているが、これらは日本のみならず朝鮮半島でも読まれていたことになる。
【注1】
なお、金来成は1937年に少年向け探偵小説『白仮面』と『黄金窟』の連載を始めている。金来成にこのような少年向け探偵小説の依頼が来たのは、あるいは江戸川乱歩の少年探偵団シリーズの人気を受けてだったのかもしれない。また、江戸川乱歩が少年探偵団シリーズ第二作『少年探偵団』を『少年倶楽部』に連載したのは1937年だが、翌1938年には韓国を代表する文学作家の
パク・テウォン(朴泰遠)(박태원)(1910-1986)(
Wikipedia)が、少年向け探偵小説『少年探偵団』(소년탐정단)を雑誌『少年』に連載している。
戦後の韓国では正式なルートで日本の本や雑誌が入ってくることはなかったようだが、闇で入ることがあり、金来成は1946年に創刊された日本の推理雑誌『宝石』などを韓国で読んでいた(江戸川乱歩「内外近事一束」(1952))。
南富鎭(なん ぶじん)氏は戦後の韓国の読書環境について以下のように書いている。
南富鎭(2011)「松本清張の朝鮮と韓国における受容」
松本清張文学の韓国での受容を論じる際に不可欠な要素になるのが翻訳の問題である。しかし、日韓においてはこれ以外の大きな問題がある。植民地期の日本語教育、あるいは自発的な日本語の習得から、翻訳を通さずに原文をそのまま読める層が幅広く存在しているからである。【中略】松本清張が活躍しはじめる一九五〇年代、あるいは一九六〇年代には、日本とほぼ同時で清張の作品に接した日本語読者層が韓国にかなり存在していたと言える。翻訳の必要性はなく、日本語のほうがかえって理解しやすいという読者層である。当時の読者層を支えた知識人層が一般的にそうであったと思われる。後にハングル世代が増えていくに従って、また彼らが読者層の主流を占めることになるに従って翻訳の必要性が生じてくる。
また、韓国推理作家協会のチョン・テウォン氏は1950年代の韓国について、日本語からの重訳でルパンやホームズ、ポーが訳されたと紹介した後で以下のように書いている。
鄭泰原(チョン・テウォン)(2000)「韓国ミステリ事情」
日本の推理小説自体は反日感情があり、ほとんど出版されることはなかった。かろうじて韓国作家による翻案という形で出版されていただけだった。
少なくとも1950年代までは、以上のような要因から、日本の推理小説の翻訳は韓国では出版されなかったようである。韓国の作家による日本の探偵小説の翻案にどのようなものがあったのか気になるが、それについての資料は見つけられなかった。
- 注1:少なくとも雑誌『キング』は台湾でも読まれていたようである。中島利郎「日本統治期台湾の「大衆文学」」(2002)参照。
第二節 日本や欧米の作品の翻訳・翻案
(1)金来成による翻訳・翻案
1935年に日本の探偵雑誌『ぷろふいる』でデビューした金来成(きん らいせい/キム・ネソン、1909-1957)は、1936年に韓国(朝鮮)に戻ってから探偵作家・大衆小説作家として活躍した。金来成は戦後になると一般向けの創作探偵小説はほとんど発表しなかったが、少年向け探偵小説や翻案探偵小説は発表した。
金来成についての記事と重複するが、金来成による翻訳・翻案小説のリストを掲げておく。
年 |
著者 |
一般的な邦題 |
韓国語タイトル |
|
1940年 |
イーデン・フィルポッツ(英) |
『赤毛のレドメイン家』 |
『赤毛のレドメイン一家』(홍두 레드메인 일가) |
翻訳 |
1947年 |
アレクサンドル・デュマ(仏) |
『巌窟王(モンテクリスト伯)』 |
『真珠塔』(진주탑) |
翻案 |
1947年 |
コナン・ドイル(英) |
(ホームズ物5編) |
『深夜の恐怖』(심야의 공포) ※短編集 |
翻案・翻訳 |
1948年 |
モーリス・ルブラン(仏) |
『奇巌城』 |
『宝窟王』(보굴왕) |
翻案 |
1948年 |
エミール・ガボリオ(仏) |
『ルルージュ事件』 |
『魔心仏心』(마심 불심) |
翻案 |
1949年 |
フォルチュネ・デュ・ボアゴベ(仏) |
『鉄仮面』 |
『秘密の仮面』(비밀의 가면)【少年向け】 |
翻案 |
1954年 |
ジョンストン・マッカレー(米) |
『黒星(くろぼし)』 |
『黒い星』(검은 별)【少年向け】 |
翻訳? |
『真珠塔』はラジオドラマの脚本として書かれたもので、放送翌年の1947年に単行本化された。これは『モンテクリスト伯』の翻案作品であるが、おそらく『モンテクリスト伯』(1844)を翻案した黒岩涙香の『巌窟王』(1901)を再翻案したイ・サンヒョプ『海王星』(1916)をさらに翻案したものだと思われる。この『真珠塔』は大ヒットし、のちに漫画化されたりテレビドラマ化されたりもしている。2009年には約50年ぶりに再刊された(
『真珠塔』2009年版)。
(2)パン・イングン(方仁根)による翻案
パン・イングン(方仁根)(방인근)(1899-1975)は戦前から恋愛小説などで有名だった文学作家。日本の中央大学卒業。戦前には探偵小説に近い長編小説『魔都の香火』(1934)を発表しているほか(韓丘庸「
翻訳時評 「韓国ミステリー」の課題と展望(1)」参照)、ルブランの『813』等の探偵小説の翻訳もしていた。
1940年代後半から1960年代半ばまで、
チャン・ビホ(張飛虎)(장비호)探偵シリーズを断続的に発表した。これは李建志氏によれば、「実はコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」を翻案したもので、残念ながら独自の作品とはいいがたい」という(李建志2006)。パン・イングンは戦後も多数の作品を発表しているが、すべての作品がホームズ物などの翻案だったのか、それとも創作も含まれていたのかは分からない。
- 韓国国立中央図書館の蔵書
- 探偵小説『復讐』(복수)(1948)
- 探偵小説『放火殺人事件』(방화살인사건)(1949)
- 探偵小説『悪魔』(악마)(1949)
- etc...
(3)その他の翻訳・翻案
1950年代半ばから人気を集めた大衆雑誌には創作推理小説だけでなく翻訳の推理小説も多く掲載された。
南富鎭(なん ぶじん)氏の調査によれば、松本清張作品の最初の韓国語訳は1961年の『点と線』と『ゼロの焦点』である【注2】。また、韓国推理作家協会のチョン・テウォン氏によれば、それと同時期から佐野洋、黒岩重吾、水上勉、南條範夫、西村京太郎、多岐川恭らの短編が紹介されるようになった。(日本と韓国の国交回復は1965年)
欧米の推理小説の翻訳では、1962年にルパン全集、世界名作推理文学全集(全10巻)、世界推理傑作選(全6巻)など全集の刊行が相次いだ。また、1960年代には映画とともに007シリーズが高い人気を得ていたという。
- 注2:松本清張の作品は1961年から次々と翻訳されたが、「無節操に重複翻訳され、時には翻案され、しかも題目も原題を大きく変えられている作品が多いため、清張の原作と翻訳作品の対応関係はいまだに明らかにされていない」(南富鎭2011)という。清張作品は2012年1月から30作品ほどが韓国語訳されることが決まっている(参照:「日本‘社会派推理小説’元祖作品 異例的にコンソーシアム通じ翻訳出版」)。
第三節 1940年代~1960年代の創作探偵小説
(1)金来成が戦後に発表した探偵小説
金来成は戦後には、探偵小説の短編集『狂想詩人』(1947)(のちに『怪奇の画帖』に改題)、『秘密の扉』(1949)(乱歩の蔵書にあり)などを刊行し、短編「罰妻記(ばっさいき)」(1949)などを発表してはいるが、1949年に連載を始めた『青春劇場』を機に大衆文学作家へと転身し、以降は少年向け探偵小説(翻案含む)は発表したが、一般向けの新作探偵小説は発表しなかった。
1954年には、1936年に日本語で執筆した長編探偵小説『血柘榴』を『思想の薔薇』として連載開始。1955年に上巻、1956年に下巻を刊行した。この作品は金来成が最初に書きあげた長編探偵小説であり、また最後に発表した探偵小説となった。戦後、少年向け探偵小説としては、『夢見る海』(꿈꾸는 바다)、『黄金蝙蝠』(황금 박쥐)、『二重の虹がかかる丘』(쌍무지개 뜨는 언덕)、『おばけ敢闘』(도깨비감투)などを発表している。
(2)1960年代に活躍したホ・ムンニョン(許文寧)
活動期間は短かったものの、この時期に推理小説専門作家として活躍した作家にホ・ムンニョンがいる。
ホ・ムンニョン(許文寧)(허문녕 or 허문영)は1960年代に登場【注3】。ホ・ムンスン(허문순)、ソンゴル(성걸)などの筆名も使った。金来成と日本の推理小説の影響を受けている(パク・クァンギュ2008)。1963年より短編シリーズ「暗行御史朴文秀」(암행어사 박문수)を連載【注4】。ほかにも歴史ミステリやエロティックハードボイルド、サスペンスなど様々なミステリ作品を発表した。短い期間で長短編合わせて約200編を発表したが現在では忘れられた作家になっており、新刊書店ではホ・ムンニョンの作品を見つけることはできない。
- 韓国国立中央図書館の蔵書
- 1961年:『白雪領』(백설령) - 時代探偵小説
- 1964年:『明洞夫人』(명동부인)
- 1965年:『稲妻二丁拳銃』(번개 쌍권총、번개 雙拳銃) - エロティックハードボイルド、稲妻シリーズ
- 1966年:몽당비 마귀(몽당비 魔鬼) - 稲妻シリーズ
- 1965年:『君を狙う』(너를 노린다) - サスペンス小説
- 1965年:『魔の女体』(마의 여체、魔의 女體)
- 1965年:『黒い禿鷲』(검은 독수리)
- etc...
韓国国立中央図書館の蔵書を検索すると、石坂洋次郎『雨の中に消えて』の翻訳『비속으로 사라지다』(1964)の訳者が「許文寧」となっているが、推理作家のホ・ムンニョンと同一人物かは分からない。
- 注3:「許文寧」という名前は「ホ・ムニョン」と発音される場合もある。ここでは仮に「ホ・ムンニョン」としておく。
- 注4:パク・ムンス(朴文秀/박문수、1691-1756)は暗行御史(アメンオサ/암행어사)という役職に就いていた実在の人物である。日本でいえば、名裁判官として知られる大岡忠相に相当するような人物である。パク・ムンスを主人公にしたファンタジー漫画『新暗行御史』(しん あんぎょうおんし、全17巻)が小学館の漫画雑誌に2001年から2007年まで連載されていたので、名前を聞いたことがある人もいるだろう。パク・ムンスを主人公とする物語は文献として伝わるものだけでなく、口承伝承としても韓国全土に分布している。
(3)1960年代の『週刊韓国』長編推理小説公募
【2012年6月11日、加筆修正】
ホ・ムンニョンが作品を発表していたのと同じ時期の1965年、韓国日報社の雑誌『週刊韓国』(주간한국)で第1回長編推理小説公募が行われている。この時の当選作は
ムン・ユンソン(文允成)(문윤성)(1916-2000)の『完全社会』(완전사회)。ただ、これは純然たるSF小説で、韓国SF史上初の長編SFとされる記念碑的な作品でもある。東亜日報2007年4月13日付の記事「
SF小説は未来社会の問題を解くカギ - 韓国SF小説100年」(リンク先韓国語)によると、この作品はコールドスリープで眠りについた男性主人公が100年後の女性しかいない時代に目覚めて苦しむというストーリーで、「単性」社会の問題点を指摘するものだという。同記事で書影も見られる。この作品は1985年に『女人共和国』(여인 공화국)というタイトルで再刊されている。
1968年には
キム・ハビン(金瑕彬)(김하빈)の『君とその人が痛みをともにするとき』(너와 그가 아픔을 같이 했을 때)が入選している。キム・ハビンは雑誌『少年中央』(소년 중앙)1977年1月号に連載第1回が載ったA・A・ミルンの『赤い館の秘密』(붉은 벽돌 집의 비밀)の翻訳などをしているが、詳しいことは分からない。
『週刊韓国』の推理小説公募がいつごろまで実施されていたのかは分からない。
(4)推理小説を積極的に執筆した文学作家のヒョン・ジェフン(玄在勲)
純文学作家としてデビューしたものの、早くから推理小説も積極的に執筆した作家に
ヒョン・ジェフン(玄在勲)(현재훈)(1933-1991)がいる。1957年、高麗大学哲学科を卒業。1959年、『思想界』新人賞で短編「憤怒」が入選しデビュー。推理小説の手法を用いることで主題の重さを強化した。1958年には『夜』。1977年、世界の推理小説を集めた叢書《河西推理選書》(全36巻)が韓国で刊行された際には、韓国の作家でただ一人収録作家に選ばれ、『熱い氷河』、『流れる標的』が収録された。《河西推理選書》には、日本の推理作家の作品では、江戸川乱歩『孤島の鬼』『陰獣』、横溝正史『本陣殺人事件』、松本清張『ゼロの焦点』『点と線』『砂の器』、森村誠一『高層の死角』『人間の証明』『野性の証明』が収録されている(→
ラインナップ)。
1985年には推理小説の短編集『絶壁』で韓国推理作家協会主催の韓国推理文学賞(後述)の第1回大賞受賞者となった。この短編集は主に1970年代後半から1980年代初めまでの作品を集めたもので、12編収録。松本清張などの日本の社会派の影響が見て取れるという。(韓国推理作家協会のソン・ソニョン氏による「
ヒョン・ジェフン紹介記事」(2009年4月18日)参照)
ほかにも、純文学作家が散発的に推理小説を執筆することがあった。クァク・ハクソン(郭鶴松)(곽학송)の「白色の恐怖」(백색의 공포)(1963)、チョ・プンヨン(趙豐衍)(조풍연)の『深淵のアンテナ』(심연의 안테나)(1966)、ソン・サンオク(宋相玉)(송상옥)の『死後に話す女』(죽어서 말하는 여자)(『幻想殺人』(환상살인)に改題)(1971)などがある。
第四節 邦訳された1940年代~1960年代の韓国推理小説
この章で名前を挙げたパン・イングン(方仁根)(1899-1975)、ホ・ムンニョン(許文寧)、ヒョン・ジェフン(玄在勲)(1933-1991)は韓国でも現在では忘れ去られた作家であり、彼らの推理小説を韓国の新刊書店で手に入れることはできない。この時期の韓国の推理小説で日本語に翻訳されたものは見当たらない。
韓国ミステリ史に組み込むのは無理があるが、この時期には日本とソビエト連邦で、朝鮮半島に出自を持つ小説家が推理小説を発表していた。野口赫宙とロマン・キムである。
野口赫宙(1905-1997)は当初のペンネームは張赫宙(ちょう かくちゅう/チャン・ヒョクチュ/장혁주)。1932年に張赫宙というペンネームで文学作家としてデビューし、1950年代から野口赫宙というペンネームを使用した。1950年代末から1960年代初めにかけて『宝石』や『探偵実話』で推理小説を発表。推理小説の単行本は『湖上の不死鳥』(東都書房、1962年)のみである。
ロマン・キム(1899-1967)は朝鮮名は金夔龍(きん きりゅう/キム・ギリョン/김기룡)。両親とも朝鮮人だがソ連で生まれ、1950年代から1960年代にかけてソ連でロシア語でスパイ小説を発表した。邦訳に『切腹した参謀たちは生きている』(長谷川蟻訳、晩聲社、1976年12月)がある。
参考文献
最終更新:2011年10月17日 15:31