中国ミステリ史 第五章 - 中国推理小説120年の歴史

2011年2月10日

 『中国ミステリ史 第五章』では、1990年代末から21世紀初頭までの中国の探偵小説(偵探小説)/推理小説/ミステリの歴史を紹介している。

目次

第五章 20世紀末~21世紀初頭: 新たなミステリの潮流

第一節 インターネットという新天地/新たな創作の場

【主要参考文献:杜撰(ずさん)(2009)「百年華文推理簡史 九、網絡推理小説的創作熱潮」】

 20世紀末より、今までとはまったく違う文脈でミステリ作家が登場するようになる。大きな役割を果たしたのは、インターネット環境の整備である。1998年、中国語簡体字による最初の推理小説ファンサイトとされる『偵探推理園地(ていたん すいり えんち)』(侦探推理园地)が誕生。続いて次々とミステリ関連サイトが開設されるが、その中でも、中国オンラインミステリの発展に最も影響を与えたのが1999年開設の『華生的偵探世界(かせい の ていたんせかい)』(华生的侦探世界)だった。このサイトはほかのサイトにはないオリジナルコンテンツとして「推理クイズ」コーナーを擁していたが(現物を見ていないが、おそらく阿井幸作さんのブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」に掲載されているこのようなものだと思われる)、このコーナーはまたたく間に人気コーナーとなり、ほかのサイトの管理人たちもこぞって推理クイズを作成するようになる。この「推理クイズ」文化は1999年中ごろに発生し、またたく間に中国語簡体字圏のミステリサイト中に広まったという。
 (【注】 簡体字(かんたいじ):中国で使われている簡略化された漢字のこと。たとえば、「学習」は「学习」と書かれる。簡体字と対になる語は繁体字(はんたいじ)で、これは台湾や香港などで使われている省略されていない元の漢字のこと。たとえば「学習」は「學習」となる。繁体字は、日本の旧字体とほぼ同じものだと考えてよい。)

 2000年8月、ミステリ関連サイトの管理人と古参の推理マニアが十数人が集まり、現在も存続する中国最大手のミステリ総合サイト「推理之門(すいり の もん)」が開設される。このとき推理之門の管理人に推薦されたのが、「書香門第網絡図書館(読書家 ネット としょかん)」(书香门第网络图书馆)を運営していた老蔡(ラオツァイ)氏だった。中国オリジナルミステリの発展に寄与することを旨とするこのサイトでは、当時の推理クイズ文化を受けて、「毎週謎題(まいしゅう めいだい)」コーナーすなわち毎週定期的にオリジナルの推理クイズを出題するコーナーが設けられ、またオリジナルの推理小説を投稿できる掲示板も設けられた。「推理クイズ」は2011年2月現在も続いており、クイズの数は計459に達している(「推理之門」にユーザー登録しないと見られない)。現在の中国のミステリ作家の中には、この推理クイズの作成をきっかけに小説を執筆するようになったという人も少なくない。最初のころに創作ミステリ掲示板に投稿された作品は、単なる推理「クイズ」から脱し切れていなかったが、熱心な読者の励ましと批評により、執筆者は次第に腕を上げ、推理「小説」といえるものが書かれるようになっていった。

 2003年3月、大衆文芸出版社(大众文艺出版社)より、「推理之門」に投稿された創作ミステリ21編を収録したアンソロジー『指紋』(指纹)が刊行される。そのレベルは決して高くはなかったが、このようにオンライン推理小説が出版されたことは、ネット上で創作する多くの作者に希望を与え、さらなる情熱を呼び起こした。

 2004年から2006年にかけて、「推理之門」では創作ミステリのコンテストを何度か行った。このころ、「推理之門」でオリジナルミステリの書き手として注目を集めたのが、日本でも2009年に『蝶の夢』が刊行されている水天一色(すいてん いっしき)や、服部平次(フーブー ピンツー)・羅修(ら しゅう/ルオ シウ)・杜撰(ずさん)といった作家たちである。

  • 服部平次(フーブー ピンツー)
    • 現在20代またはそれ以下のミステリファンなら必ずこの名前(というか、この文字の並び)に心当たりがあるはずである。断言はできないが、名探偵コナンの登場人物・服部平次(はっとり へいじ)から筆名を取ったと思われる。服部平次(フーブー ピンツー)は1998年よりネット上で推理小説の創作を開始。「推理之門」では2001年から2005年にかけて数十編の短編を発表した。創作理念に変化があり2005年に一度ミステリの創作から離れたが、2008年より本名の馬天(ばてん/マーティエン/马天)名義で雑誌『歳月・推理』にミステリを掲載している。敬愛する推理作家として、欧米ではエラリー・クイーン、日本では島田荘司、東野圭吾を挙げており、特に本格ミステリを好んでいる。出版された書籍に、『女王勲章 The Queen's Medal』(女王勋章)、『時光隧道(じこう すいどう) The Time Tunnel』(时光隧道)がある。『時光隧道』および、古い型に「島田荘司流」を流し込んで新しくした『旅行推理』シリーズ(未単行本化)は、現在の中国ミステリを代表する短編シリーズである。
  • 羅修(ら しゅう/ルオ シウ/罗修)
    • 2001年より「推理之門」で創作ミステリの発表を開始。2005年まで、服部平次とともにオンラインミステリ創作の2大エースだった。2005年に服部平次が一度ミステリ創作から離れた後は、一人で「推理之門」の創作ミステリの先陣を走り、また創作ミステリ掲示板の管理人として、創作を志す新人をはげまし、オンライン創作ミステリ界を盛り上げた。2006年に『歳月・推理』が創刊されるとそこで作品を発表し好評を得る。しかし、初の単行本『麒麟之死(きりん の し) The American Pen Mystery』が刊行される直前の2007年5月、心臓病のため27歳という若さでこの世を去った。没後に出版された書籍にほかに、『狐仙伝(こせんでん) The Tale of Fox』(狐仙传、2008)、『女媧石伝奇(じょかせき でんき)(上) 九藜山荘不可思議的殺人(きゅうれんさんそう ふかしぎ さつじん)』(女娲石传奇 上部 九藜山庄不可思议的杀人、2008)、『女媧石伝奇(下) 女媧石密碼(じょかせき の 暗号)』(女娲石传奇 下部 女娲石密码、2008)がある。2007年7月、北京偵探推理文芸協会より特別記念賞が贈られた。エラリー・クイーンを敬愛しており、「アメリカペンの謎」という副題を付けた上記の『麒麟之死 The American Pen Mystery』のほか、短編「日本人形の謎(日本娃娃之谜)」、「インド真珠の謎(印度珍珠之谜)」、「モンゴル駿馬の謎(蒙古骏马之谜)」、「中国爆竹の謎(中国炮仗之谜)」などがある。

  • 水天一色(すいてん いっしき/シュイティエン イースー)(1981 - )
    • 水天一色の作品はすでに日本でも刊行されているので、名前を聞いたことがある人も多いだろう。2009年11月に日本で刊行された『蝶の夢 乱神館記』(原著2006年)は、毎年恒例の原書房『本格ミステリ・ベスト10』の海外部門で14位となり、個別の投票結果を見ると、推理小説評論家の千街晶之氏が年間1位に、ほかに3名が年間2位に推すという好成績を収めた。千街晶之氏の「今後もこのシリーズを続けて紹介してほしいと心底希望する」というコメントは、海を越えて前述の中国ミステリ総合サイト「推理之門」にも届き話題になった(原书房发布《2011本格推理BEST10》水天一色作品入选)。なお、同ランキングでは台湾の寵物先生(ミスターペッツ)『虚擬街頭漂流記』も12位に入っている。また『蝶の夢』は、『本の雑誌』2010年9月号の「初心者向けおすすめミステリー30」で30冊のうちの1冊に選ばれている。
    • 水天一色と寵物先生は、両人とも第4回(2006年)台湾推理作家協会賞に参加している。この賞は台湾推理作家協会が主催する短編ミステリの公募新人賞で、この時は水天一色が1次選考通過、寵物先生が3次選考通過(最終候補)だった。
    • 乱神館記シリーズはまだ『蝶の夢』しか発表されていないが、ほかに学生探偵・杜落寒(ドゥールオハン)が活躍する「杜公子シリーズ」の長編『盲人と犬』(盲人与狗、2008)、『学校の惨劇』(校园惨剧、2008)がある。「推理之門」では創作スピードは遅かったが、どの作品も質は高かった。2007年には、「推理之門」に掲載した「青煙手記(せいえん しゅき)」(青烟手记)が第4回北京偵探推理文芸協会賞に入選。2006年より『歳月・推理』の編集者となり、「推理之門」で活躍していた作家を紙の雑誌という新たな舞台へと引き入れる役割を果たした。
  • 杜撰(ずさん)(1984 - ) (ブログ
    • 2005年2月から「推理之門」で創作ミステリの発表を開始。2006年8月までに20編発表。『歳月・推理』創刊後はそちらに舞台を移し、2006年末から2007年にかけて、新作の不可能犯罪物のミステリ短編の13か月連続掲載を成し遂げた。のちに同誌の編集者になり、オリジナルミステリの掲載数を増加させることと、「本格ミステリの重視」を編集方針として打ち出した。影響を受けた作家に、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カー、横溝正史、島田荘司を挙げている。出版された書籍に、短編集の『純属杜撰(じゅんぞく ずさん)』、『第五元素』、『純属杜撰Ⅱ』、長編の『時之悲(とき の かなしみ)』がある。

 日本の最近の若手作家では、米澤穂信(2001年デビュー)や北山猛邦(2002年デビュー)が、デビュー前にネット上で小説を発表していたことが知られている。中国で、1998年から2006年までネット上で鍛えられた若い力は、2006年に創刊されるミステリ専門雑誌『歳月・推理』上で花開くことになる。

インターネットが読書環境に与えた影響

 インターネットの普及により現れたミステリファンサイトの中には、中国語簡体字圏では出版されていない国外ミステリ作品を違法に掲載しているものも多かった。すでに台湾や香港で刊行された翻訳本を用いたり、あるいは自分で訳したりして、欧米から日本まで幅広いミステリがネット上で読めるようになっていたという。当時まだ中国では刊行されていなかった島田荘司綾辻行人の作品が人気を集めるようになったのもこのころだった。綾辻行人の作品は、台湾では1988年ごろから1998年にかけてすでに館シリーズの最初の6冊が刊行されており、その後も次々と翻訳が進んでいたが、大陸の方で館シリーズが最初に刊行されたのは2004年である(綾辻行人 海外で刊行された作品リスト)。

 また、今まで第一章から、「ホームズなどの欧米探偵小説」(第一章)、「旧ソ連の反スパイ小説」(第二章)、「日本の社会派推理小説」(第三章)が中国ミステリ界にインパクトを与えてきたことを見てきたが、この時期に中国の特に若い世代に影響を与えたのは、日本の『金田一少年の事件簿』『名探偵コナン』だった。『名探偵コナン』は1990年代末に中国でテレビ放送され、それによってミステリーに魅せられた少年少女も多かったという。このことは、上で紹介した中国の推理作家・馬天(ば てん/マーティエン)がネット上で『名探偵コナン』の登場人物の一人である「服部平次」の名をペンネームとして使っていたことからもうかがえるし、池田智恵(2009)によれば、日本で『蝶の夢』が刊行されている水天一色も、高校時代に放送が始まった『名探偵コナン』を毎回見るたびに、自分の書いているミステリの至らなさを思い知らされたということをインタビューで話しているという。中国における『名探偵コナン』の影響の大きさは、後述する雑誌『推理世界』でもうかがうことができる。
 (もっとも、ドラマやアニメの影響を受けて漫画的な推理小説が増えた、ということを主張しようとしているのではない。たとえば、フランスの推理作家ポール・アルテもインタビューでアニメ『名探偵コナン』について「プロットがよくできているので驚きました」、「コナンのトリックには、すっかりだまされましたよ」(『本格ミステリー・ワールド2009』)と語っているし、不可能犯罪ものに詳しいミステリ翻訳家のジョン・ピュグマイヤー氏も、英文雑誌に掲載された密室ミステリーに関する座談会で、「日本に特有の、不可能殺人事件を味わう方法の一つとして、漫画を読むというやり方があります」として、漫画『金田一少年の事件簿』を挙げている(『本格ミステリー・ワールド2011』)。まだ海外への翻訳の少ない(特に欧米では少ない)日本のミステリの魅力を伝えるのに、日本の漫画(およびそれをドラマ化、アニメ化したもの)はアジアのみならず世界中で貢献しているのである。ヨーロッパでは、アニメ『キャプテン翼』をきっかけにサッカー選手を志した人もいるという。日本のミステリ漫画が世界に与えた影響については、いつか誰かがきっちり論じなくてはならないだろう。)

  • 韓国でも『金田一少年の事件簿』はかなりの人気を博している。エキサイトニュースの記事「韓国で今、横溝正史がヒットするワケ」(2008年10月17日)によれば、韓国では金田一少年人気が先にあって、その結果「金田一耕助って誰?」ということで横溝人気に火がついたのだという。

第二節 ネット上で活躍していたミステリ執筆者が紙媒体へ/雑誌『歳月・推理』創刊

【主要参考文献:杜撰(ずさん)(2009)「百年華文推理簡史 十、《歳月·推理》与現今華文推理」】

 2006年1月、中国でミステリ専門の月刊誌『歳月・推理』(岁月·推理)が創刊され、ネット上で活躍していた作家が紙媒体へと進出する。杜撰(2009)によれば、創刊以降の『歳月・推理』は3つの段階に分けられるという。第1段階は、2006年から2007年にかけての、主にオンラインミステリを掲載していた時期。このころの『歳月・推理』はいわばネット上の創作ミステリを集めたアンソロジーのようなもので、作品も有名作家の模倣にとどまっていたり、ネット用語を多く使用していたり、あるいは現実感がとぼしかったりする同人的な作品が多かったという。この時期の『歳月・推理』で一番の人気を集めたのは、もともと「推理之門」に掲載されていた午曄(ご よう/ウー イエ/午晔) の『罪悪天使 Evil Angel』(罪恶天使)で、漫画的な舞台設定やサスペンスで多くの読者をひきつけた。また、前述の羅修も、連続して短編を掲載した。

 第2段階は2007年から2008年にかけてで、このころになると雑誌に依頼されて雑誌掲載のために書いた作品が増えていく。そのため、オンライン小説の欠点がだんたんと消えていき、小説に必要なストーリー性や現実感のあるミステリが執筆されるようになっていった。2007年7月に授賞式があった第4回北京偵探推理文芸協会賞では、『歳月・推理』掲載作品が6作品入選し、従来のミステリ文壇でもその力が通用することが証明された。また、2006年から2007年にかけて、『歳月・推理』編集部から4冊の単行本が誕生する。このときに刊行されたのが、2009年に邦訳が出た水天一色『蝶の夢』である。ほかの3冊は、『歳月・推理』創刊当初に人気を集めた前述の午曄『罪悪天使 Evil Angel』と、羅修『麒麟之死 The American Pen Mystery』と、周浩暉(しゅう こうき/チョウ ハオフイ/周浩晖)(ブログ)の『鬼望坡 The Cliff』(サスペンス作品)。また2007年1月には、少年読者向けの姉妹雑誌『推理世界』(月2回刊行)も創刊されている。この雑誌は、最初の半年間ほど『名探偵コナン』のイラストを表紙に無断(…だろう、おそらく)使用していたという問題はあったが、『歳月・推理』と同じくミステリ専門誌として、特に若い世代のミステリファンの増加に貢献している。(なお、この雑誌のキャッチコピーは最初の1年半ほどは「真相只有一个!」(真相はただひとつ!)であり、どこか『名探偵コナン』の決め台詞「真実はいつもひとつ!」を思い起こさせる。この辺りからも、中国における『名探偵コナン』の影響が見て取れる)

 第3段階は2008年以降で、杜撰氏が歳月推理の編集になり、2つの方針を決める。1つは、中国オリジナルミステリの掲載を増やすこと。もう1つは、本格ミステリを主とすること。この方針のもと、2008年9月号のリニューアル号から2号連続で島田荘司のインタビューを掲載。またこの年、『歳月・推理』の不可能犯罪特集号で、御手洗熊猫(みたらい ぱんだ)がデビュー。島田荘司流の奇想とトリックで話題となる。しばしミステリから離れていた馬天(=服部平次)もミステリ創作に復帰し、『歳月・推理』は本格ミステリ雑誌としての地歩を徐々に固めていく。また同編集部は、前年に続き、2008年には10冊の単行本を刊行。言桄(げんこう/イェングアン)の『七宗罪 Seven Sins』 は、赤川次郎を思わせる青春ミステリ路線。ほかに、水天一色の『盲人と犬』、『学校の惨劇』、杜撰の不可能犯罪ものの短編集『純属杜撰』などが刊行された。

 2009年以降は、単行本では御手洗熊猫の短編集『御手洗濁的流浪』や、杜撰の初の長編『時之悲』を刊行したほか、台湾ミステリの簡体字版の刊行にも着手し、日本で『錯誤配置』が刊行されている藍霄(ランシャウ)の作品や、台湾推理作家協会創始者の既晴(き せい/ジー チン)、第1回島田荘司推理小説賞最終候補になった林斯諺(りん しげん/リン スーイェン)の作品を刊行した。

 2010年末には、『歳月・推理』と『推理世界』の合同で華文推理大賞(後述)を創設。短編の創作ミステリを募集する公募新人賞で、第1回の結果は2012年4月に発表される。



第三節 邦訳された21世紀の中国探偵小説

【2011年7月31日、追加】


 ミステリ雑誌では、21世紀に入ってからの作品だが、2002年刊行の光文社『ジャーロ』7号(2002年春号)に畀愚(ビイユ、1970年生、男性)の短編「謀殺」が掲載されている。『ジャーロ』創刊号から連載されていた企画「世界のミステリーを読む」の第7回「中国編」で掲載。『上海文学』2001年7月号掲載の同タイトルの作品(表記は「谋杀」)の翻訳。もともとミステリ雑誌に掲載されたものではなく、ミステリらしい作品でもない。

 また、中国語ではなく英語による創作だが、中国で育ちアメリカで著作活動をしているジョー・シャーロン(裘 小龍/Xiaolong QIU)の『上海の紅い死』が早川書房ハヤカワ・ミステリ文庫で2001年に刊行されている。この作品は、桐野夏生や宮部みゆき、前述の中国の作家・王朔や何家弘などの作品と並んで、イギリスの推理作家キャサリン・サンプソンが選ぶアジアミステリーベスト10にも選ばれている。

参考文献



最終更新:2011年08月06日 12:22